勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る

稲荷竜

148話 ある夜の話

 ある夜の話だ。

「やっぱり『リッチ化』は、リッチから見ても厳しいのね」

 魔王城謁見の間、っていうかもう、ランツァとリッチの私室。

 魔族に格式ばった『謁見』がないのをいいことに、二人の私物はどんどん増えていた。
 私物を収めるための棚なども増設され、ベッドまで入ってきて、もはや人んちのにおいがする。

 なので『おやすみ前にちょっと』みたいな感じでベッドに入ったランツァがつぶやいたのを、そばの椅子に腰掛けたリッチはしっかり聞いて、うなずいた。

「そうだね。魔王……ドッペルゲンガーから聞いたのかな?」

 リッチはたいてい謁見の間にいるし、ランツァも一日の大半をここで過ごす。
 しかし、さすがにリッチに比べればランツァは活動的で、あちこちで魔族と交流したり、研究室に顔を出したり、そういう『人付き合い』をしているようだった。

 ドッペルさんともリッチを挟まない交流が続いているようで、そこで共有される情報があまりにも多い様子だけが伝わってきていた。

 なのでリッチは『ランツァに話したことがなくてドッペルさんに話した覚えのある情報』がランツァの口から飛び出した場合、ドッペルさんに聞いたのだと反射的に思うようになっていた。

 実際そうらしく、ナイトキャップの中に髪をおさめながら、ランツァはうなずいた。

「……たしかに、リッチ化についてクリムゾンの研究成果が正しいとすると、わたしたちにリッチ化は無理……というか、たぶん、世界情勢がこんなふうに落ち着いていなくても、わたしには無理だったと思うわ」

「君はリッチから見ても才能があると思うけれど」

「当事者感がないもの。『一人でどうにかしなきゃ』と思ったこと、人生で一度もないわ」

「宗教裁判で殺されそうになった時とかも、そんな感じ?」

「懐かし〜!」

 ランツァがベッドを叩いてはしゃいだ。
 あるいは悶えているようにも見えたが、リッチからは彼女の中にうずまいている感情を正確に捉えることはできない。

「そうね! 本当にそう! 殺される流れになった時、わたしはあきらめたのよ! 一瞬でね!」

「そのわりにはすぐに蘇生に応じたけど」

「あきらめたけど、納得はしてなかったもの。ただ、ロザリー率いる神官戦士たちが来て、当時のわたしは『死のささやき』もなかったし、そもそも傀儡で権力もなかったし、もう、『詰み』でしょ」

「まあ」

「……でも、あそこで『生き抜く』と思ってたら、あの時点でリッチ化してたかもしれないわね」

「まだリッチ化の詳しいことは教えてなかった気がするけれど……」

「予想はついてたし、あとから得た知識のおかげで予想は正しかったと確認できてるのよ」

「……『失敗率』で物事を語る学問に身を捧げた立場からすると、当時の君の判断は賢いと評価できる」

「でも、賢いだけじゃ、救われないのよ」

「それは本当にそう」

「わたしが、わたし自身の力だけで、わたし自身を救おうとしたことは、一度だってなかったわね」

「君はすぐあきらめるのかな」

「いいえ。すぐに巻き込むの」

 そう述べて笑うランツァの顔は、なんだか幼い子供みたいだった。
 なんでもない小さなことで得意げになっている、そういう、幼い……

「わたしは、まず、『自分でどうにかしよう』と思う前に、『誰をどう使えば事態を解決できるか』を考える。……だからきっと、わたしはリッチになれないのでしょう」

「それは、俺がランツァや勇者になれないように━━という意味でもあるのかな」

「そうでもあるし、そうではない、かしら。……抽象的にもそう。具体的にもそう。立場もそうだし……それから……」

「……疲れているようだね。そろそろ眠った方がいい。君たちの肉体には睡眠が必要だ」

 いたわるようにリッチは述べる。

 ランツァはブランケットを顔までかけて、詰まったような声で、言う。

「リッチ化できないの、いやだな」

「……じゃあ、やれば?」

「できないのが確信できるから、やらない」

「じゃあ、仕方ないんじゃないかな」

「……こんなに生きたくなる人生になるだなんて、幼い日のわたしには想像もできなかったでしょうね。ただの傀儡で、誰かに従うだけだった、自分の意思も興味も持つことを許されなかった、わたしには」

「……」

「リッチ、あなたはわたしに、どうしてほしい?」

「君の人生だ。君が決めるべきだよ」

「意見ぐらい言ってよ」

 ランツァはたまにこうやって駄々をこねることがあって、たいていそういう時に言い出すのが『リッチの意見を言ってほしい』だった。
 何事にも責任を持ちたくないリッチが、他者の人生において意見を述べることは極めて少ない。たいていの知的生命は個々人で勝手に生きて勝手に死ねばいいと思っているからだ。

 もちろん利害が一致しないなどの理由で殺し合いになったりすることはあるだろう。
 けれど、利害が対立しない……争う必要のない他者の人生に意見を述べるというのは、なるべく、したくない。

 だからランツァは、こうやって、拗ねるように、要求するのだろう。

 リッチの主義を知っているから、それをこうやって、まげさせるという、わがままを、たまに言うのだろう。

 そしてリッチは、応えるのだ。

「君は天寿を迎えるべきだと思っているよ」

「……『生きたい』って言っているのに?」

「うーん、言語化が難しいな……これはなんていうか、とても主観的かつ根拠に乏しく、また、リッチ本人の適性をかんがみても決して確度が高いとは言えない予想なのだけれど……」

「……」

「君の生きたい人生は、いつか終わるものなんだと思うんだ」

「リッチだって、いつか終わるんでしょう?」

「『終わる』じゃなくて『終える』んだ。リッチの生命は、自分で『やるか』と思って終わらせるもので、それはいわゆる人の『天寿』とは異なると思うんだよね」

 少しだけ、言葉を理解するためのような、間があった。

 それはリッチからするとやけに長く感じた。……ランツァが眠ってしまったのかと思うぐらい、長く、長く、感じたのだ。

「わたしは天寿を迎えるべき……それは、『自分の意思ではなく、死ぬべき』っていうこと?」

「それはちょっと、責めるようなニュアンスが強すぎるね。……まあ、人道道徳的に言って、リッチも君も、かなりの悪人ではあるだろうし、いつ来るかわからない死に怯えるべきだというのも、なくはない。けれどそれは、リッチの語りたい本意ではない」

「じゃあ、どういうこと?」

「……『なぜ、人を生かさねばならないのか』」

「……」

「君に問われたことがあったね。当時のリッチはストレスを残す意味で人類の生存を推したけれど……長いこと考えてみたら、また違った答えが浮かんできたんだ」

「それは?」

「『人が寿命で死ぬのが、なんか、いいから』」

「なんか」

「いいから」

「……それは、その……『エモ』ってこと?」

「そう。……戦争が続いたから、人がたくさん死んだよね」

「うん」

「それ以外にも色々なことがあって、唐突に死んでしまう人が増えたよね」

「そうね」

「過去リッチたちの死に様もそうだ。『やるべきことがなくなってしまったから』『自分が自分でなくなってしまったから』『死を選んだ』。……それはいかにも悲劇的だよね」

「そう、かもしれないわね」

「もう、劇的な死はたくさんなんだよ。だって、地上にあふれているから」

「……」

「君は、大して劇的でもない死を迎えるといい。それは実のところ希少で、それから案外、劇的で……少なくともリッチにとっては、鮮烈だ。君の名を忘れないと断言できるぐらいにね」

 リッチが人の名を忘れないと断言することの意味。
 この、なかなか人の名を覚えず……

 長い長い生を歩むなら、その果てで必ずや『記憶の積載量オーバー』が起こるはずの、このリッチという存在が、『忘れない』と、言う、意味。

「……なら、しょうがないわね」

「そうそう。『しょうがなく死ぬ』ぐらいがいいと、リッチは思うよ。君の人生は必ずや歴史に残る。たぶんみんなが、あることないこと騒がしく語り立てるだろう。それは想像してみるといかにもやかましそうじゃないか」

「そうね」

「なら、晩年ぐらいは、人の口にのぼることもないほど、あっさりと死んだらいいさ。君は誰かのための物語である必要はない。君の人生は、君のものだったんだから」

「…………」

「もう、語るべきことはないかな。……そんなところで、リッチの陳述は終わりです。他になにかあるかい?」

 ランツァはブランケットごしに首を左右に振った。

 その動きを見てリッチはうなずき、

「おやすみ。良い夢を」

 立ち上がり、去っていく。

 足音はコツコツと響き、それから部屋を出て行った。

 ランツァはここにいないリッチになにかを言いたい気持ちになった。
 それはたぶん、お礼とか、文句とか、今まであったすべてのことをまとめるような、そういう、一言なのだ。

 大事な大事な、いつか必ずかけるべき、たった一言なのだ。

 でも、なにも言わないことにした。

 だってなんだか、劇的な感じになってしまいそうだったから。

 夜はただふけるだけ。
 彼女もただ眠るだけ。

 これはある夜の話だ。
 そうして朝が訪れる、なにも劇的ではない、いつか記憶から消えるであろう夜の話。

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