勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る

稲荷竜

コミック1巻発売記念if 追い出されなかったリッチ2

「こんな夜中にどこへ行くんだい?」

 リッチが荷物をまとめて陣幕を抜けようとすると、勇者に呼び止められてしまった。

 前線の夜は真の暗闇の中にあって、陣地にはいくつかの篝火が立てられてはいるものの、それはすべてを昼のように照らすほどではなかった。

 リッチのような『特殊な人材』にはそれぞれ個人用の陣幕が用意されてはいるけれど、それはせいぜい一人が寝るぐらいしかできない、狭いものでしかなく、専用の灯りもない。

 ぶっちゃけるとすべての陣幕に灯りを配るぐらいの戦費は用意されているはずなのだが、それはひどい中抜きにあっていて、主に上級将校などが贅沢をするために使われている。あとは貴族の懐。

 勇者の陣幕なども中抜きされた費用がふんだんに使われた心地のいいものんではあったし、『勇者パーティー』であるリッチも豪勢な設備で寝泊まりすることはできたが、リッチは好んで質素な陣幕で寝起きしていた。

 自衛である。

 豪勢なことをしていると目をつけられやすい。
 目をつけられた時に発言力やら腕力やら、ようするに『こいつに正面から文句を言ったりするとヤベェ』という感じがあると、特になにも起こらないが……

 リッチは『文句をつけやすい相手』であった。

 見た目が不細工で、自分に自信がなさそうで、声が小さく、どこかおどおどした雰囲気なので、勇者には文句を言わない兵士たちも、リッチには聞こえるように文句を言ったり、すれ違いざまに足を引っ掛けたりというようなことをする。

 実際のところ、勇者よりリッチの方がよほどヤバい。なんせ第一の相手への干渉手段が『殺す』だから。

 しかしリッチは生命を尊ぶ者であった。
 だから反撃もせず、文句も言わない。

 そうなると世間では『なにをしても反発してこない、なにをしてもいいやつ』認定されていく。

 基本的にそういう、嫌がらせをするようなやからを見下し、『会話の通じない非知的生命体になにを言っても無駄』と思っているからなにもしなかったが……
 これはリッチがリッチにならなかったルートにおいて、そのうちキレた死霊術師による軍皆殺しということが起こる、危うい状況ではあった。

 閑話休題。

 ともあれ、『真夜中の暗闇の中で陣幕を抜け出てくるガイコツ』とかいうホラー存在に、勇者は声をかけたわけである。

 その声かけのタイミングは、あらかじめ待ち受けていたようなものだったので、リッチはビクリとして、暗闇の中の勇者に目を向けた(リッチは暗闇でも問題なく見える)。

 勇者が笑顔のまま『答えろよ?』みたいな目を向けてくるので、気が弱いリッチは視線を下げて、答えた。

「と、トイレ……」

「君、その体でトイレ必要ないって言ってたじゃないか」

「よく覚えているね」

「君のことだからね」

 勇者にとって死霊術師は替えの利かない『剣』であり、それが勝手に手元を離れたりしないように監視しておくのは当然……みたいな意味だ。
 けして勇者がリッチに惚れているとかそういうことではない。

「死霊術師、君、魔王領に行く気なんだろう?」

「い、いや、ちょっと用事を思い出したんで家に帰ろうかなって」

「家に帰って必要な荷物を持って魔王領に行く気なんだろう?」

「どうしてわかるんだ」

「君のことだからね」

 勇者は優しく微笑んでリッチに近づく。
 そして、ボロのローブの下にある骨張った肩に手を乗せた(骨張ったというか骨)。

「なあ、死霊術師……どうしてそんなに魔王領に行きたいんだい? まさか魔王の軍門に降りたいわけじゃないだろう?」

「当たり前だ。俺が魔王の軍門に降ることなんか絶対にありえない」

 もちろんリッチに人類愛があるわけではない。
 人の生命を愛してはいるし、絶滅されて困るのは本当だが、それは研究者としての気持ちでしかなく、いわゆる『人類愛』という言葉から読み取れるのとは少し違う気持ちだろう。

 リッチがここで『絶対に魔王の軍門になんか屈しない!』という発言をしたのは、人族側の文明を愛しているからなのだった。

 この当時、魔族たちは『ろくな設備や文明もない蛮族』とみなされていて、リッチもその風聞を信じていたのである。
 研究するために必要な設備はもちろんのこと、研究という概念さえ魔王側にはないものとリッチは判断していたので、『人族を裏切って魔王につく』という選択肢は、考慮にさえ値しないものだった。

 戦争をしている敵側をこき下ろしたい気持ちは誰にでもあって、敵側へ文句を言ったりけなしたりというようなことをする時、そこに具体的な根拠がないことも多い。

 そしてリッチは根拠がない判断をなにより嫌う。

 ではここで前線に立つドラゴン、アンデッド、巨人たちの様子を思い出してみましょう。
 どう考えても文明を感じない蛮族にしか見えない。

 リッチの『魔王側にはろくな文明がないだろう』という予想は、実際に戦っている連中を見ての経験からの判断であった。
 魔王軍は九割のアホと九分の良心と一分の頭脳で構成されているゆえに仕方ないことではある。

 勇者はため息をついて、

「……なあ、もう少しで、俺と女王陛下との挙式が上がる。そうしたら俺は王配……いや、国王にさえなれるかもしれないんだ。……でも、この国の王は、はっきり言って傀儡だ。これが権力を得るためには、なにか『でかい功績』が必要になる。……だからさ、もし君が全力で魔王を攻め滅ぼそうとするなら、王となった俺の指揮のもと、俺の号令でやってほしいんだよ。わかるね?」

「そうかもしれない……」

 リッチは政治がわからず、興味もないので、政治にまつわる長い話だと判断した瞬間に興味を失う。
 なので今の『そうかもしれない』は同意でも拒否でもなく、聞いてないことがバレないようにという願いだけがこもったスカスカ言葉であった。

 勇者はリッチの言葉の中身のなさをだいたい察して息をつき、

「とにかく、今は普通に戦ってほしい。必ず君の力が必要になる時が来る。その時にどうか、俺に力を貸してほしい。頼むよ」

「そうかもしれない」

「ありがとう!」

 勇者はリッチの『そうかもしれない』がスカスカ言葉なのを知っているので、ここで大きくお礼の言葉を述べて印象操作をした。

 リッチがのちにこの時の会話を思い出したら、『そういえばなんか勇者に賛同してお礼言われたな』という印象を抱くようにだ。

 このように会話の最後らへんに相手の思い出しポイントとなる発言をしておくことで会話相手の記憶を操作できる。勇者が人付き合い経験から編み出した対人社交技能の一つだった。

「……けれど、睡眠も必要ない君にとって、夜は長いのだろう。ごめんよ。配慮が足らなかった」

 そういえばリッチがこの体になってから今の戦場に戻ってくるまで、リッチのことをたくさん聞かれた。
 リッチはなにぶん死霊術にまつわる話をするのが大好きなので、勇者がたずねるままリッチ体のことを全部しゃべったのだが……

「よく覚えているね」

 このころにはもう自分の話は人に九割スルーされることを経験から察していたリッチは、勇者がリッチ体のことについて普通に覚えているのにじゃっかんビビった。ビビリッチである。

 すると勇者は魅力的に微笑んで、こう答える。

「君のことだからね」

 リッチは『こいつ、もしかしたら俺のこと好きなのかもしれない』と思い始めた。

 かくして勇者による説得は功を奏し、リッチは陣幕に戻る。

 そして翌朝━━

 ━━リッチの姿が陣幕から消えていた。

 そう、リッチは興味を抱いたことを確かめずにはいられず、あと、人に説得されるということがほぼないのだ。
 なぜって『他人の言葉』『他人の事情』にそもそもなんの価値も見出しておらず、今のリッチはそれらに忖度しないと生活できない存在ではないから。

 こうしてリッチはけっきょく魔王領へと単独で旅立った。

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