勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る

稲荷竜

130話 人を動かして走らせ続けるものは回

「しかし、一つだけ……無視できない問題がある」

 リッチが骨剥き出しの人差し指を立てると、末節骨のあたりに注目が集まった。

 褐色肌に白い髪の少女━━魔王。
 紫髪の紫の瞳の美女━━聖女ロザリー。
 そして、リッチ。

 以上三名がこの魔王城謁見の間……この世界の今後を左右するであろう決戦の舞台に集った者どもである。

 このうち『会話』というものに価値を見出すのは魔王とリッチだけであるので、ロザリーはやや不機嫌さをうかがえる顔で黙り込んでしまっていた。

 なにせロザリー、魔王城謁見の間玉座で待ち受けていた白髪褐色肌の少女を魔王だとわかっていないのである。

 ロザリーの中で『魔王』といえば、『影、あるいは黒い炎のような定まらない輪郭を持つ、巨大な人型の生き物』なのであった。
 少なくとも戦場で遠目に見かけたことがある『魔王』はそのような姿なのであった。

 なによりロザリーの知る『魔族・魔物』はあのように人の似姿をしていない。
 人の似姿は昼神の使徒たる人族の特権であり、魔族どもは人に似ていても角や翼やしっぽが生えている、明らかに巨大であるなど、そのシルエットを人と異にするのである(だから昔、獣人が魔族扱いされて罰則地に閉じ込められていたりもした)。

 なので玉座に腰掛ける少女は、ロザリーにとって『見慣れない、爪を派手にデコっただけの人族』なのだった。
 普段はコスプレで角としっぽをつけているが、今はそれもないし。

 ……ちなみにロザリーは絶対にどこかで『魔王はドッペルゲンガーという種族で、これは人に化けて人族社会に紛れ込んでいるから、この全部を根絶するまで魔王を倒し切ることはできない』という話を聞いているはずなのだが……

 ロザリーの記憶ログにはなにもなかった。

 長く昼神教聖典と筋肉に判断基準のすべてをぶん投げてきたロザリーは、いきなり『魔王は人の姿をしている』と言われても理解できず、受け入れを無意識に拒否していたのだった。

 そんなわけで殴っていいかわからない対象を前にロザリーはフリーズしている。
 異教徒なら人でも殴るが、リッチと魔王がロザリーを無視して会話に入ってしまったため、魔王が昼神教か否か判別するタイミングもなかったのだ。

 今後、魔王が昼神教的にアウトな発言をした瞬間に殴りかかる予定ではある。

 とりあえず『拳を固めて待機』という状態になったロザリーを横目に、リッチは人差し指を立てたまま、

「君の転生説を否定するには、過去のリッチの魂をここに呼び出し、対話させるのが一番という結論にいたった。そうして、その技術を開発し、実験し、改良した。だが……それでも、リッチ一人では失敗確率が高い」

「……ちょいちょいちょい。あたしの前に『過去のリッチの魂』を出そうと思ってたんじゃなかったん? じゃあなんで一人で来たの?」

「その場のノリで……」

 これがマジでその場のノリなのでそう言うしかない。
 そもそもジルベルダがランツァに殴りかかってこなければ、まだ誰も魔王領にたどり着いてさえいないタイミングなのだ。

 色々準備をしていたリッチ研究室のメンバーがあとから追いかけても充分に追いつけるペースが想定されており……
 北軍がドラゴン族の相手を、中央軍が巨人族の相手をしているうちに、研究員と合流したリッチ率いる南軍は、アンデッドと談合して南部を素通りし、誰より先に魔王のもとにたどり着く計画なのであった。

 全部ダメになった。
 ランツァがあっぱらぱーになってダッシュし始めたからだ。

「なので、君に提示できる選択肢は二つだ」

 リッチが中指を立てる(人差し指はすでに立てています)。

「一つ、この場で、リッチが単独で過去リッチの降霊を行う。こちらは失敗する可能性が高く、もしもダメだった場合、リッチがいつまでも『だから失敗する可能性が高いって言ったじゃないか』と食い下がる」

「ウケる」

「そして二つ目の選択肢は、研究員が追いついて魔王領に来るまで待つことだ」

「待ってたら人族の軍勢が来てそれどころじゃなくなるんじゃね」

「うん、だからみんながそろう前に魔王領に踏み入った人族はとりあえず全員殺しておくことになるね」

「正気?」

「どこか正気を疑うところが?」

「……や。そうだわ。リッチの正気はこんな感じだよね〜」

「どうする?」

「そもそもさあ。あたしの説の否定をしたいのって、そっちの都合じゃんね。別にあたしが選ぶことじゃなくない?」

「いや、君の資産でやった研究の成果発表なので……」

「……は? マジ? そんな理由?」

「まじだよ。リッチはだいぶそのへん気を遣って生きてきたと思うんだけど」

 だからパトロンのことを憎んでいるのだ。

 リッチは自分の社会的、経済的無力さをよく知る者であった。
 好き放題研究をしたいと願い、パトロンから無制限にも思える権限と資金を渡されてなお、いや、そうやって厚遇されるほど、自分の研究者としての命脈を強い力でパトロンに握られていると感じ、パトロンを恐れ、深く憎むようになっていく性質なのだ。

 根本の部分で『人の優しさ』や『厚意』というものをシニカルに見つめているところがあって、優遇されればされるほど『裏』を疑い、徹底的に検証・検討をする性質と合わさり、非常に疑り深く、『このパトロンは自分に権限を与えすぎている。なにかの罠があるに違いない』と思ってしまうのであった。

 それはそれとして、じゃあ厚遇されず、搾取されていれば安心するのかといえばそんなこともない。
 自分の研究成果を悪用……リッチ基準での『悪用』は『経済的利用』『粗雑な理解による誤解を広めるような喧伝』などかなり多岐にわたる……する者あらば、これもまた、激しく憎む。

 リッチの人に対する感情は基本的には『敵対』から開始するが、これがパトロンになると、かなり激しい敵対感情からスタートする。
 しかしパトロンがいなければ研究ができないという現実があるので、彼は憎み、恨みながらもパトロンを尊重し、表面上パトロンに従順な態度をとり、その意向をいちいち重く尊重するのだ。

 その疑り深さ、性格のねじれは骨髄にまで達しており、『姪っ子のように思っているのかもしれない』と自白したランツァあたりに対しても、常に心の根底に一抹の『裏切られるかもしれない』という思いを置いているほどだった。

 それは彼が長く人の世界で過ごしてきて育んだ、自己防衛のための猜疑心だ。もともとあった猜疑心を育て抜いたものであり、これはもうどうしようもねぇなと本人もあきらめている、彼の性格の核なのだった。

「だからリッチは実のところ、君には伏してお願いする立場なんだよ」

「そのわりに偉そうなのウケる」

「これはランツァに黙っていたことなのだけれど、実は降霊術開発の過程で、君の残機数に関係なく、一瞬で君を殺す術を開発しているんだ」

「……そんなんあるわけ?」

「リッチは嘘をつけるようになった。本音を隠して語る術も覚えた。けれど、研究にかんしてだけは、決して嘘をつかない」

 研究にかんして嘘をつくすべてが憎悪対象なので。

「だからリッチは本当に、君を今すぐ殺せるし、殺すつもりでいる」

「……なんでランツァちゃんに黙ってたの?」

「言うタイミングがなくて。忙しそうだったから……」

「……あ〜。ね」

 じゃあランツァに対して『魔王にだいぶ情報力で差をつけられてるけど、魔王の居場所を全部つかんで殺し尽くすことはできるのか?』と問いかけた時についでに言えという話だが……
 その時は『情報力に差があるけど次善の策はあるのか?』という疑問の解消がメインだったので、こちらから情報を提供するタイミングとは思わなかったのであった。
 そのあとランツァが『老後は魔王を殺して過ごすわ』とにっこりしながら言ったので、圧がすごすぎて発言できなかったし。

「だから、リッチは君というパトロンに研究成果の発表をしてもいいか、たずねると同時に、君がその長い生の最後に自分が抱き続けた転生説が本当かどうかを確かめる機会を与えたいとも思っている。……ああ、そうだ、あと」

「?」

「会いたくないかい? リッチなら、君を、君の親に会わせてあげられるけど」

「……」

「君の感性が多くの人族と同じものかはわからないけれど、死霊術師に対して『死んだ愛する相手とまた会いたい』と望む者は本当に多いからね。以前は制限時間があったから『数年前に死んだんですけど』とか言われても『無理』と断っていたけれど、今ならできる」

「……」

「どうする?」

 魔王はため息をついて、それから「ちょっと待ってて」と言って玉座の向こうに引っ込んだ。

 ロザリーが『あれ? 逃げた?』と疑問に思い、とりあず玉座をぶん殴ろうと重心を前にかたむけたのとほぼ同時、魔王が玉座の裏から出てくる。

 その姿は、さきほどまでの、どこか前衛的でスカートがやたら短く、だぼだぼした靴下をはいた服装ではなかった。

 生成りのローブを身にまとい、髪にも爪にもいっさいの飾りをつけていない格好……

 かつて、彼女が初代リッチとともに諸国を漫遊した時にとっていた服装なのだった。

「一応ね。一応だけどね。あの格好じゃわかんないかもしんないから。ま、あたしは転生してると思ってっけど。一応ね」

「用意してたの?」

「玉座の裏に私物まとめてあっから」

「えぇ……謁見の間だろう? 余分な物は置かない方がいいよ」

 しかし人族女王ランツァの謁見の間もひどいごちゃごちゃ具合で、黒い布を張り巡らせてどうにか体裁を整えている有様なのだった。
 王と名のつく者、玉座の間を物置かなんかと思いがちだ。

「っていうかさ、今やるでいいのかい? リッチは『リッチ一人だと失敗確率が高い』と告げたつもりなんだけれど」

「いやいや。ここまでぶち上げて失敗するようならもう、転生説でいいわ。転生したって思ったまま死ぬし」

「いや、その場の空気感と実験の失敗率とはなんの因果関係もなくて……」

「んじゃ、『待ちきれない』じゃダメ?」

「……待ちきれないならしょうがないな」

 疑問を覚える。観察する。分析する。仮説を立てる。研究する。実験する。仮説の確度が高まる。━━実証する。
 疑問を覚えてから実証するまで、常になにかに急き立てられているかのように心が落ち着かない気持ちは、リッチにもよくわかる。

 その気持ちに急き立てられて、気付けば死霊術師になり、それ以外の生き方は想像できないほどにのめりこみ、資金稼ぎのために勇者パーティーなんていう自分らしくないものに入り━━
 リッチになって、ここにいる。
 知りたいという想い、確かめたいという気持ちは、それほどの、人生を決定づけるほどのものなのだ。

「じゃ、やろう」

 リッチは杖を天へ高く掲げた。

 そして、はるかはるか高いソラへと呼びかけ━━

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