オフィスの書類庫で書類整理をしていたら突然暗闇になり非日常が始まった

ghame

1/木】2.昭和恋物語へと思いを馳せる

「いえ。私もちょうど今来ました」

 この辺りに住む人々は、両親共にこの工場で勤めているので、昔から子供同士もよく遊んでいて、勘吉さんも草野球では、そのずば抜けた運動センスを披露し女の子からも男の子からも憧れの存在でした

「今夜が最後の夜だから、顔だけでも見ておきたくて」

 久しく会って居なかったので、勘吉さんの声や顔形が大人の様に変貌している事にショックを受けました
 その顔はあまり陽に当たっていないのか、髪も目も色素が薄く繊細な印象で、目元には歌舞伎役者の女型の様な色気がありました。鼻の筋は通り、微笑みを讃えた口元も日本人離れした美しさがあります

「はい。私もです。最後の晩にお顔が見れるなんて、思ってなくて嬉しいです」

「実はっ……」
勘吉さんは、言い淀んでいる

「はいっ?」

「いやっ。喉仏を触ってみるかい?」

 向かい会った目の高さで喉元に尖った骨が、話をするたびに上下して動くので、それが特に興味をそそり、私は勘吉さんにも気付かれてしまう程に見ていたようでした

「えっ?」
ーー喉仏をさわっても良いのですか?

「さっきからずっと見てるよね?」

「あっ!そうですか?いえっ。見てました」
ーー恥ずかしい

「君には無いからね?」

「また、動いた。よく動くんですね?」

「さっ。そんなに興味があるなら、最後の晩だ。明日はれられないよ?」

「最後の晩」「明日は触れられない」この2つの言葉が私の胸を詰まらせました

   そんな悲しい顔をした私の手を取り自分の喉元へ乗せてくれる彼は、笑顔を心がけているようです

 勘吉さんの体温は高く、喉の仏は生命力を持っている。
ーー生きている

「君はあどけない顔を時折見せて、プッ。で、どうだったかな?触ってみて」

「仏様が、おいでになりました」

「クスッ、僕には仏様が付いているのか」
  寂しく笑うと俯いた
「とても心強いよ…ありがと」

「…………。」

  この沈黙は、寂しい寂しいものでした

「次は、僕も触れても良いかな?」

「はい。私にはありませんが、あれば私の仏も勘吉さんに差し上げられたものを」

彼は、その言葉にも寂しく儚い笑を見せてくれた

「では、別のものをいただけますか?」

「はい、私に差し上げるものがあるのでしたら」

彼はあからさまに驚いた顔を見せた
「そんな事を言ってはいけないよ?欲しいものだらけなんだから」

  娘が男性に捧げる物を想像して、彼がそんなものを望むはずも無く赤くなってしまった。

「…………」

   返す言葉を見つける事は難しく無言のまま立ち尽くすのです
 すると俯く私の頭の上の方から声が降りて来ました


「唇が欲しい」

 一瞬聞き間違いかと思い、勘吉さんを見た

「はい?」

 思いもよらない言葉に困惑が先立ちました

「君にくちづけをしたいんだ」

  大胆な言葉を続ける彼は、口元こそにこやかに見えますが目元は真剣で、決意をして来た事を物語っていました

「私にですか?」
ーー最後の夜のくちづけに私を選んでくれたのですか?

「君の事をずっと想っていて。実は子供自分から」

「…………。」
ーーこれは夢ですか?

「驚かせてしまってすまない。今夜伝えないと後悔しそうで」

「私もです。子供の頃からお慕いしていました」
 正直に答えました

「うそだ……」

「本当です」

「夢のようだ」
この時のパッと明るく変化した表情は女心を虜にする威力を持っていました

「私の方が夢のようです」
私は彼を見てうっとりするしかできません

「ウソだ……君は男性から人気がある事に気が付いていなかったのかな?」

「人気は無いです」
ウソではありません

「君は男性の視線を集めている」

「それは無いです」
きっと勘吉さんの思い過ごしです

「そのっ。触れると柔らかそうなところや、唇もほっぺも綺麗な桃色をしていて、その瞳に見つめられるとドキリとしてしまうんだ」

   普段の硬派な彼とは違い、言葉を直球で投げて来る

「私に触れると、柔らかい?ですか?」
  どうやら、勘吉さんには私がそんな風に映っていた様で驚くばかりです

「できれば、唇だけでなく、抱きしめてもみたい」

ーー…………ゴクリ

「そんな、きっと私は特別他とは変わりません」

「僕にとっては君は特別だ。……だめかな?」

「いいえ。嬉しいです」
 心臓が飛び跳ねて、息が止まってしまうかと思いました
 顎を上げ、鼻から呼吸をして唇を許す仕草を見せた

 勘吉さんは、丼を両手で抱える様に私の顔をすくい上げ、ほおや目元まで顔全体に唇を付けて来た

「やはり君はとても柔らかだ」

  その唇は、私の髪をかき分け耳元から首筋、そして喉元にまで移動範囲を広げで行き、優しく吸い始めました
 私の耳元では、勘吉さんの口が出す音が聞こえ、それと同時に唇がくすぐる部分がゾクゾクして、呼吸が荒くなって来ました

「好きだ」
唇が触れそうな位置で愛の告白をされた

 はたして私の心臓は動いていたのか、止まってしまったんではないか?そんな衝撃の時間が続いています

「私も好きです」

「僕が君に触れる事が出来るなんて、夢のようだ」

「私の方が夢を見ているようです」

   勘吉さんの顔が一度引いて、驚いて私を見つめる顔にピントが合った
 男性とは思えない綺麗な肌をしている、
ーーこんな方が明日行ってしまわれるなんて、

「僕の部屋へ来てくれないかな?その夢の続きを僕にも見せて欲しい」

ーー私は大好きだった勘吉さんからの申し出を断る事は出来なかった


 案内された彼の部屋は広くて洋式の造りだった。窓から工場が見下ろせる景色のよいものでした

「この窓から、君を探して見つめていたんだ」

「…………」
ーー信じられない

「いつも昼と夕に君はこの窓の下を、あの工場のドアから出て来て」

「見られているとは、おどろきました」

 それから二人はベッドの上に腰掛け手を取り合いました

「抱擁しても良いですか?」
「はいっ」

 彼は思いの外大胆で、ドギマギしてしまいましたが。
 でも私を大切に扱い優しく導いてくれるので幸せな時間でしかありません

「一糸纏わぬ姿を見せてはくれませんか?」
「はいっ」

 私は勇気を持って自分からシャツのボタンを外しました。それを勘吉さんは見ています。
 明日、旅立つ彼を思うと怖いものなどありません。
ただただ、彼を満足させられたら私はそれで良いのです。

「素肌に触れても良いですか?」
「はいっ」

 彼の掌は温かく、儚く、悲しく、愛おしいもので忘れない様に脳裏にそれを刻み込みました

「君が私の名前を呼ぶところを聞かせてはくれませんか?」
「はいっ」
    
  勘吉さんの願いは次第にエスカレートして行く

「朝まで隣に居てはくれませんか?」
「はいっ」

 ことを終えると、最後の彼からのお願いは苦しい声をしていました

「僕の帰りを待っていてはくれませんか?」

 しかし、それは私にとっては一番嬉しい言葉となりました
「はいっ。お帰りをお待ちしております」

 幸せ過ぎて、彼からの申し出全てを喜んで受け入れた夜でした

 それと同時に私の大切な仏様が無事に帰還してくれる様に、胸の内に何度も繰り返し唱えて、彼には気が付かれない様にそっと涙も流しました

 ベッドの中で朝まで起きていた二人は窓の外に朝日を感じて別れの時が近づいている事を知りました

「朝になったね」

   クスリと二人で笑った

 その時は、この世がもう終わってしまっても良い。
そんな満ち足りた気持ちになっていました

 彼は布団の上から、私のお腹の上に右手をそっと乗せて満足気な微笑みを見せてくれました

「ありがとう僕達の子だ。一筆記してから発つよ。」

 私は幸せに満ちた微笑みを返しました

「はい」

「身体を大事に」

「はい。勘吉さんも」

「名前はどうしよう?」

「勘吉さんから一字頂戴してもいいですか?」

「そうだね。名前が決まれば、それも一筆入れておきます。我が家への物と君へ、2つ用意しておこう。」

 その彼の配慮に胸が締め付けられた

「女の子なら"勘"。勘が良く、家族の間違いを正し支える娘に育ってくれるといいな」

「勘ですか。凛としていて、貴方に似た賢い娘になりますね」

「息子なら富を付けたい。富が無ければ工場の者を食べさせて行けないからね」

「吉富ですか?」

「そうだ。吉富、息子なら吉富と名付けてくれ」

 勘吉さんは涙を流していました。私も涙が出ましたが、気が付かれないように努めました
「ううっ。顔を見る事が叶うと、良いが……」

「大丈夫です。見れますよ」

「私はやはり欲深だ。金を積んでも手に入らないものばかり求めてしまう」

「勘吉さん。私の事は手に入れたじゃないですか?それに、貴方の未来もほらっ。ここにちゃんと手に入れてありますよ?」

「正に、これは仏様のみが成せる技だね」

「そうですね」

 頬を濡らした彼は、安らかな表情になり、少し笑いました
「クスッ。君を今夜誘うのは勇気がいったよ」

「本当ですか?私ならいつでも喜んで来ますよ?」

「クスッ」
この笑いは、泣き笑いの様な表情です

「腰抜けな僕は、やっと君に想いを伝える事が出来た」

「…………」

「心から君を愛している」

「私も心から勘吉さんを愛しています」

   揺るがぬ愛を確かめ合った夜の後、再び固く抱き合い、この瞬間があれば、わたしはこの先も生きてゆけると確信しました




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