羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。

泉野あおい

6章:突然訪れた夜(5)

 先輩の家は玄関までしか入ったことはなかったけど、室内も想像以上に広かった。
 ソファの前のローテーブルに日本酒とグラスを出してくれて、私はそれを注ぐ。

 ふたりで乾杯をして一口飲むと、
「おいしい!」
私は叫んだ。

 あぁ、やっぱりそれだけの品質なんだよね。おいしい。

「ウン。確かに飲みやすいね。俺は日本酒あまり飲まないけど、これなら飲めるな」

 先輩も笑って、少し目が合う。それだけで私の心臓は限界までドキドキと鳴った。

 どうしよう、キスとか、されるだろうか。
 覚悟して黙り込むと、先輩はその場を立ち上がりキッチンの方へ行く。

 私は拍子抜けして先輩を見上げた。


「なにかつまみでも作るね」
「作れるんですか?」
「食べたら、これから俺のことを羽柴シェフと呼ぶことになるよ」
「なにそれ」

 私がくすくすと笑うと、先輩も楽しそうに笑う。
 なんだかこの空間がとても心地よかった。


 先輩が出してくれたのは、目にも鮮やかなおつまみたち。アンチョビまであるけど、普通の家にこれ常備されてる? それにこの人、私より確実に料理上手だ。

「簡単なものだよ」
「すごい……! 羽柴シェフ!」
「はは」

 先輩は笑って、私も笑って、それから、日本酒を飲みながら、最近の仕事のこととか、途中でママの話もしたと思う。
 先輩のご両親は離婚していて、一緒に住んでいた先輩のお母さんももう亡くなっていることもその時知った。だからもう、今はうちの先にある、先輩の住んでいた家ももう他の人の家らしい。




 先輩のことも新しく知って、おつまみもおいしくて、ついついお酒が進んでしまった。瓶にあった日本酒は、もう半分くらい減っていたのだ。
 っていうか、高級と言いながら結局こんなに飲んでしまって申し訳なさしか残ってない。


「ご、ごめんなさい! 結局半分くらい飲んじゃって……」
「ふふ、むしろありがたいって言ったでしょう?」

 先輩は楽しそうに笑う。その顔を見てしまうと、目が離せなくなった。
 先輩の手がそっと私の頬に触れる。

「みゆ、頬が赤いよ?」
「す、少し飲みすぎましたかね」
「かわいい」

 熱い先輩の指先が妙に自分の身体も熱くする。
 ちょ、待って。これ、今、ちょっとやばい……?


 困って先輩を見上げると、

「ごめん。キス、したい」

 先輩は急にそんなことを言い出す。

「な、なにもしないって言ったじゃないですか……!」
「『みゆが嫌だって言うなら』って前置きしたはずだよ」

 先輩の熱っぽい目が私を捉える。「イヤ?」

「ま、またそれ」
「うん。だって、みゆは俺のこと、自分から好きって言わないでしょ。とにかく『嫌じゃない』ってとこで妥協しようとしてるの」
「なにそれ……」

 泣きそうになって呟くと、先輩は意地悪そうに目を細める。
 また心臓の音が大きくなって、次は鳴りやまなくなる。


「い、いま、酔ってるから正常な判断力ないです」
「そう?」
「こういうの心神耗弱状態っていうんですよね」
「あはは、良く知ってるね」
「司法試験は受けてないけど、一応、法学部出身ですから」
「そういえばそうだよね。履歴書見て驚いた」

 先輩は少し考えると、「なんで? みゆ、弁護士志望だったの?」

と言う。私は思わず押し黙った。


―――あの頃の私は……。

 先輩はいたずらっぽく笑って、
「……もしかして、俺が法学部に進路を変えたから? なんて……」
と言って、私はその言葉に息をのんだ。

「……っ」


 私は無意識にそんなふうに進路を選んだのかもしれない。

 あの頃、先輩が第一志望ではない大学、しかも違う学部に行ったと知って。
 しかもそれが法学部だと知って……。

 私には同じ大学は無理だったけど、自分に行ける大学の中で、ギリギリ行けそうな大学の法学部を選択した。

(もしかして、私ってストーカー……?)


 そんなことに急に気づくと妙に恥ずかしくなって、私は自分の顔を両手で覆った。
 先輩はそんな私を見て困ったように笑うと、

「みゆ、それ反則だよ」
と、そのまま顔を近づけてくる。

 私が、ぎゅう、と目を瞑ると、唇に軽く触れる感触がして、すぐ離れた。
 あまりにも軽いキスに目を開けると、先輩が私をまっすぐ見ている。

 そんなキスじゃ物足りない、と思って、泣きそうになった。

 破廉恥だ。思考が破廉恥だ。
 どうしたの、私!


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