羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。

泉野あおい

6章:突然訪れた夜(1)

―――あの時、どうして私、先輩の手を振りほどかなかった……?


 いつのまにかもう金曜になっていた。
 あれから毎日、あの日の夜を思い出しては、私は頭を抱える。

(なんど思い出しても恥ずかしい! 恥ずかしすぎる……!)


 先輩にそういう『女の子の自分』を見せたことを非常に後悔していた。
 だって今まで誰にもそんな自分見せたことない。未来永劫誰にも見せる気もなかったのに。

 なのにあの時……。
 私は不覚にもドキドキして、握られた手をどうしていいかわからずただ固まって。
 でも、先輩に手を握られていることが、ちょっと嬉しくて。

 そもそもそれが嬉しいって何よ。
 おかしい。絶対におかしい……。



「あぁあああああ……」
 小さくつぶやいていると、部長が来て、
「だ、大丈夫?」
と不審そうに言う。

「申し訳ありません。取り乱しました」
「そ、そう? 気分悪かったら言ってね」

 部長はいつも優しい。
 私は先輩のことを除けば、今の職場にもずいぶん慣れていた。最初は大手すぎるのですごく心配したけど、本当にいい職場だった。


 その時、部長が書類の束を私に渡す。そして、宮坂さんを呼んだ。

「柊さん。これ、宮坂さんと組んで、教えてもらいながら引き継いで。宮坂さんの仕事、今、増えすぎちゃってて」
「はい」

 私は戸惑いながら返事をする。
 宮坂さんは悪い人ではないけど、かかわりも少なくてよく分からないし、羽柴先輩に関することはやっぱり少し苦手だ。だから、余計に身構えてしまうのかもしれない。

「よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 私がぺこりと頭を下げると、宮坂さんといっしょに入り口付近の打ち合わせブースで業務概要を聞いた。ブースは人数が3名以下であれば簡易なスペースとして使える場所だ。4名以上の打ち合わせや会議では、会議室を予約して使用する決まりとなっている。



「それにしても、これだけの量を今までおひとりでこなしてたんですね……」

 業務概要を聞いて、引継ぎには1か月ほどかかりそうだと思った。
 宮坂さんはこれと同じようなものを5つ抱えているらしく、この一つでも精一杯の私は、宮坂さんを先輩として心底尊敬した。

 それに、宮坂さんは物言いこそは少しキツいけど、仕事は真剣に取り組む人だと言うことを実感していた。私が勝手に色眼鏡で見てただけなのかな……。


「すぐ慣れるわよ。私もここにいるんだし、分からないことはすぐ聞いて」
「はい」
「正直、助かる」

 そんなふうに言われて、私はほっとする。こんな自分でも役に立てることがあるようだ。

「ご迷惑をおかけないしように精一杯勤めます!」
「配属最初の挨拶みたいね」

 宮坂さんが楽しそうに笑う。私もそれに笑って返した。たしかにうれしくて力が入りすぎた。
 でも同時に、すごくほっとしていた。こんな風に笑い合える人がホウオウでもできそうで……。


 宮坂さんは一通り笑うと、
「ところでさ」
と真顔で言う。

「は、はい!」
「あなた、本当に羽柴先生と何の関係もないわけ?」
 私は一瞬息をのんだ。「月曜、あなたと羽柴先生を見かけたって社員がいて」

「……あ、あの」

 急に羽柴先輩の話題になって私は焦る。
 月曜と言えば、羽柴先輩と屋台のラーメンを食べた日だ。

 言葉に詰まっていると、

「お疲れ様」
と助けるような声が聞こえて、顔を向けると、羽柴先輩がブースに顔を出していた。

「羽柴先生!」
 宮坂さんも私も驚いて立ち上がる。

「打ち合わせ中にごめんね」
「ちょうど終わったところです」

 宮坂さんが言う。そして、羽柴先輩の隣にもう一人、スーツの男性が立っていて私たちはそちらに目を向けた。見たことない人だ。弁護士バッチをつけているので弁護士だろうと言うことはわかったけど、宮坂さんにも分からないらしかった。


「こちら、新田先生。これから一緒に組んで、ホウオウ担当してもらうことになったからご挨拶に伺ったんだ。最近ホウオウの業務も増えてきたからね。ほら宮坂さんがやってる藤堂商事の仕事一緒にしてもらうよ」

 そう言うと、新田先生と呼ばれた男性が頭を下げる。
「新田秀一です。よろしくお願いします」

 透き通るような栗色の髪、綺麗な肌、くろめがちな目。まるでどこかのアイドルみたい……。宮坂さんも挨拶してから、新田先生をじっと見つめていた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。宮坂翠と申します」
「ミドリさんって言うんだ。どんな漢字ですか?」
「翡翠のスイで、翠です」
「イメージぴったりですね」

 楽しそうに新田先生が笑う。宮坂さんが一瞬で顔を赤くした。
 新田先生、どうやら天然の人たらしらしい。


「部長いる? ご連絡してたんだけど」
 先輩にそう言われて、私は部長の席をみる。先ほどまでいたと思ったが、今ちょうど席空きだ。

「会議ではなかったと思うので探してきます」
 私が言うと、宮坂さんが
「柊さん、ついでに会議室予約もしてきて。たぶん部長忘れてるから」
「はい」
 さすが宮坂さんだ。何でも気が付いてくれる。確かに忘れているだろう。

 私は速足でPCまで行くと今開いている会議室を予約し、それを宮坂さんに伝えると先に会議室に案内してもらい、その隙に部長を探すことに決めた。
 探してみると、急な電話のようで、部長は申し訳なさそうに5分だけ遅れると伝えてほしいと言った。


 それを伝えに会議室に行くと、宮坂さんと、新田先生、先輩が楽しそうに談笑している。
 私は羽柴先輩が楽しそうに笑っている姿にちくりと胸が痛んだ気がした。

 先輩は私の顔を見ると、おいで、と手招きする。

「宮坂さん、柊さん。今夜時間ないかな。先週、歓迎会したばかりで申し訳ないけど。せっかく新田先生が加入したことだし先に軽い歓迎会。ちゃんとした歓迎会の前に、若者だけで行っちゃおう」
「はい、もちろん大丈夫です!」
 宮坂さんが答えと、それに先輩は笑う。
「嬉しいです」
と新田先生も笑った。その笑顔を見て、宮坂さんもまた楽しそうに笑う。

 いつの間にか宮坂さんと新田先生の雰囲気がすごくよくなってる、気がする。
「柊さんは大丈夫?」
「……えっと」
 悩んで宮坂さんを見ると、宮坂さんは、頷いて、と言うような顔をしているような気がして、私は頷く。すると、宮坂さんは笑った。

 あ、良かった……。私、間違ってないよね?

 そのとき、部長のことを思い出して、
「申し訳ありませんが、あと5分ほどお待ちいただけますか」
と言うと私は会議室を後にした。


 戻ろうとしたところで、後ろから
「柊さん」
と声がかかって振り向くと、新田先生だった。「柊さんのことは、所長から聞いています」

 そう言われて一瞬で顔が青くなった。
 所長とは羽柴先輩のことだ。あの先輩は何を言ったんだ!

「まさか……!」

 あのことまで言ったんじゃないだろうな!
 でも、あの事って何だろう。後ろ暗い出来事が最近多すぎて、どれだかはっきり判断できなくなってる。やだ、もう泣きそう。

 そんな私を見て、新田先生は笑うと、
「柊さんのこと、猛アプローチしても、全然振り向いてくれない後輩って言ってましたよ」
と言う。

「……」

 ちょっと安心したけど、それはそれでどうなんだろう……。
 新田先生は続ける。

「所長、僕が知る限り誰とも今まで付き合ってなくて、女の子には興味ないんじゃないかって噂まであったんですよ」
「そ、そうなんですね……」

 それはあれがアレできないことに関係しているような気がするが、そうとも言えない。

「それが『好きな人がいる、高校からずっと』だもん。顔に似合わないですよね。柊さんが不安になるのも確かですよ」

 そう言われて、私は決して不安になっているわけではないと思った。
 でも目の前の新田先生は、私がOKを出さないのは、羽柴先輩の言葉に対する不安があると思っているようだ。

 ちがいます、と否定しようとしたところで、


「でも大丈夫ですから。所長、本気であなたのこと、好きですよ」
 そんなことを言うと、新田先生は会議室に戻って行った。


 私はあることに気づいて固まる。

 だって私、今……そのこと、分かってる、って思った。
 私は、羽柴先輩の言葉も、気持ちも、もう信じてるんだ……。


 それに気づくと急に恥ずかしさが押し寄せてきた。
 羽柴先輩は私を好きで、私はその羽柴先輩の気持ちはちゃんと信じてる。

 あのとき、カフェに走ってきてくれた羽柴先輩の姿とか。
 手をつないだ時の先輩の熱とか……。

 そんな一つ一つのかかわりが、羽柴先生の気持ちをしっかり私に伝えていたのだ。

 私は頭を抱えて座りこむ。
 なんで今突然にそんなことに気づいてしまったのだろう……!

 深呼吸を何度しようと、その日、私の心臓は落ち着くことはなかった。


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