羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。

泉野あおい

1章:最悪な再会とあの日の続き(4)

(辞めるって言うなら……さっきだった……)

 私は部屋を出た瞬間、その場に崩れ落ちた。
いざと言うときの自分の機転のきかなさに泣けてくる。あとでいろいろ反省しても、いざその場に立つとすぐにその判断がうまくできないのだ。

 しかし、どれもこれも、羽柴先輩が悪い。
なんでこんなとこにいるのよ……。

って、羽柴先輩が顧問弁護士ってことだよね。でも顧問弁護士なんて、普通はあまり社員と関係ないよね……?

 一縷の望みをそんなことに託しながら私はとぼとぼとエレベータまで向かった。
 それに辞めるって言うこと自体は、いつでもできるはずだ。

 そんなことを思いながら、やってきたエレベータに乗りこみ、1階のボタンを押す。次の瞬間、スーツの男性がエレベータに強引に乗り込んできた。
 それが羽柴先輩だと気づくと、私の息は止まり、身体は固まった。そして寒くもないのに、身体はがたがたと震えた。


「みゆ、だよね」
 後ろから、羽柴先輩の低い声が耳に届く。

「……いえ、チガイマス」
 そう言ってみたけど、先ほどフルネームで面談した。何なら履歴書も出していたのを先輩は見ていた。言い訳にしては苦しい。

「みゆ? 弁護士相手に嘘はいけないな」

 羽柴先輩が笑いながら、後ろから私を抱きすくめる。
 ひ、と、私の息は確実に止まった。

(なんで、どうして、いまさらこんなこと……!)
 私は完全にパニック状態だ。


「ちょ、離してください……!」
「離すわけないよ。みゆも俺に会いたかったからホウオウに残ったってこと?」
「違います。超絶見当はずれです。そもそも先輩が顧問弁護士だなんて知らなかった! 知ってたら……!」
「知ってたら、どうしてた?」

 羽柴先輩の声が何オクターブも下がった気がした。
背中に悪寒が走って、私は思わず振り返って羽柴先輩の顔を見る。

 羽柴先輩の目は、あの時の……そんな目で、私は思わず目をそらした。

 なのに、羽柴先輩は私の顎を捉えると、自分の方に無理矢理向かせる。そして、私の耳元に唇を近づけた。羽柴先輩の熱い息が耳にかかって、身体ごと熱くなる。

 だめだ、これ。あの時と、同じ。


「ひゃっ!」
「想像してみて。今、エレベータが停まったら、誰か入ってくるかもしれないね? 俺たち、どんなふうに見えるだろう」
「……!」

 私が羽柴先輩を押しても、羽柴先輩は私の手を軽々掴んで、それを束ねてエレベータの壁に縫い付けた。絶対にほどけると思ったけど、その腕の力は強くて私が本気を出して動かそうとしてもピクリともしない。

「ほら、油断してるからこうなるんだよ。みゆ、ずっと会いたかった。会って、話したい事があったんだ」

 私はとにかく落ち着こうと羽柴先輩の目を見ないように、自分の目を瞑りながら、

「あ、あ、あ、あ、あの時のこと……すみませんでした……!」

と泣きそうな声で言う。いや、むしろ泣いてる。
 今の気持ちは完全に虎に捉えられた兎だ。

 手をふさがれては……足しか使えない。
 思いっきり蹴り上げようか……そう思って、やっぱりやめた。これもまたあの時の二の舞だ。

 相手は弁護士で頭も回る。今度こそ絶対にまずい。


「あの時のことは悪いと思ってる、ってことでいいの?」
「もちろんです」
「ふうん。じゃ、どう償ってもらおうかな」

 先輩は目の前で楽しそうに笑う。先ほどから羽柴先輩は心底楽しそうだ。その声を聞いていると、お腹の底からふつふつと怒りがわいてきた。

(なにがおかしいの! なに笑ってんのよ……!)

 攻撃的な気持ちになって私が羽柴先輩を睨むように見ると、先輩はそんな私を見て、またクスリと笑う。

「やっとこっち見たね。あの時も、その目を好きになったんだよ」
「……」
「先に言っておくけど、これは脅しではない。みゆがみゆの意思で決めることだから」
「どういう……」
「みゆが本当に悪いと思ってるなら、みゆから俺にキスして。あの時の続きだ」


 は? と言葉が出かける。でも、目の前の先輩の様子は冗談でもなんでもない顔をして、私を挑発するような目で見ていた。

 あ、これだめだ。私の攻撃的な本能が止められない。私の足に力が入るのをみて、先輩は楽しそうに笑った。


「ねぇ、み……」

 ゆ、と先輩が言うより先、私は一歩前に出ると、先輩のネクタイを引っ張って、先輩に口づけた。キスなんて、ただ唇を合わせるだけだ。

 もう金輪際関わりたくないから、この人のお望み通りキスするのだ。


 すると、先輩が驚く気配がして、私は唇を離そうとする。
 本当にされて驚くくらいなら変なこと言わないでよ、と思った次の瞬間、頭の後ろを掴まれると、するりと舌が口内に入り込んできた。驚いて唇を離したかったけど、それは叶わなかった。

 その間にも何度も角度を変えされるキスに翻弄されていると、先輩の左手は私の右手をゆっくり這い、指をからめとる。
 その先輩の指の熱の感覚が妖艶で、今、キスしていることがやけに実感として沸いてきて、私は顔を真っ赤にした。だめだ、これ。まずい。私は、思わず思いっきり先輩の唇を噛んだ。

 するとやっと唇が離れ、ちょうどエレベータが1階につく。私は先輩を睨むと、

「これで、あの時のことはチャラってことでいいんですよね」

 と言って、くるりと出口に向かって走り出した。


「ほんとにするんだもん。驚いたなぁ」

 先輩の楽しそうな声が後ろから聞こえる。
 その瞬間、はらわたが煮えくりかえりそうになるけど、ぐっとこらえて、そのまま振り返らずに走った。

 私はあの時から、いや、今でもずっと

―――羽柴先輩なんて、大嫌いだ!


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