羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。

泉野あおい

1章:最悪な再会とあの日の続き(1)

人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。

―――この愛は、重い。




 起きるのは朝5時半。ボロボロの我が家の窓から差し込む光は狂暴なほど明るい。

 素早く着替えて部屋を出るとぎしぎし鳴る廊下の先に、リビングという名の和室がある。
 リビングに入ってキッチンの方に目をやると、その巨体に似つかわしくない花柄のエプロンをした父の姿があった。

「おはよ~、みゆ」
 最後にハートマークがついていそうな父の声に、私は眉を寄せる。父は鼻歌交じり(なぜかYOASOBIだ)に卵焼きを焼いていた。

「しょっぱいやつにしてよ」
「はいは~い」
 そう言いながら作る父の卵焼きは、いつもちょっとだけ甘い。
 文句を言っても、いつも『みゆへの大きな愛情のせいかな』と、しょうもない返しが返ってくるだけだ。

 私は父の後ろで、いつも通りセットしていた炊飯器の白米を二人分茶碗につぐ。
「パパの分は少なめにして」
「体力勝負なんだしもっと食べなよ。少なめって、うちの女子社員じゃあるまいし」
「でもぉ~」

 でもぉ~、じゃない。
 父は『刑事』という仕事柄、現場ではキリっとしているらしいが、自宅ではまったくそのそぶりは見せない。どちらかというと、そういう夜のお店にいてもおかしくない口調だし、ちょっとナヨナヨしている。

 私が小学校の時、不慮の事故で母が亡くなり、『パパがママの代わりになるからな……!』と感動的なセリフを吐いていたが、こういう事ではない、と天国にいる母も思っているだろう。


 父のやっぱり甘い卵焼きと、白米・納豆とともに朝食を食べ、残りのご飯は2つのお弁当箱に昨日のおかずとともに詰め込む。それでも残った分はラップに包んで冷凍庫に放り込んだ。これもまたいつも通り。

「みゆ。パパ、今日から数日は遅くなるから、気をつけてよ。戸締りもちゃんと……」
「大丈夫だって。いってきます」
「いってらっしゃい」

 父に見送られ、6時40分のバスに乗って、30分揺られてから電車に乗りかえる。満員なのに、いつもと同じ顔ぶれが並ぶ車内は、窮屈だけど、どこか安心する。
電車は重そうに人々を乗せて、毎日同じようにそれぞれの目的地に運んでいた。

 毎日同じことの繰り返し。
それってつまらないよね、と、いうように同期は少しずつ、ただ、確実に辞めていった。でも私は辞めなかった。つまらない日常だからと、それを辞める必要なんてない。

 こういう平和で平凡な日常が大事なのだと、事故や事件にかかわる父は昔から口酸っぱくして言っていた。私もそれはそう思う。全面的に同意だ。




 電車を降りると、小さな飲料メーカーである私の会社まで歩いて5分。自社ビルは保有しておらず、生命保険会社が建てたビルの4階を間借りしている。そんなわけで生命保険会社の人が良くうちの会社にも勧誘にやってくるが、私はもともと必要性を感じていたので何個かそこで加入していて、保険会社の女性とも仲が良い。

 そう、保険は大事だ。
 母が亡くなった時も心の傷はなかなか癒えなかったが、お金があることで助かったことは多い。

 そして、人生には、『まさか』が起こることも身をもって知っていた。
 母のように突然亡くなってしまうこともあれば、突然、誰かを怪我させてしまうこともある。保険は必須。保険失くして、人生は成り立たない。


 こんなにこんなことを強く思うのは、私が元は保険の外交員だから、ではない。
 実は私は、高校時代に、とんでもない事件を起こしたことがあるからだ。

 それを知っているものは、私と、あの男くらいだけど。
 きっと一生、あのことは、私の中で重い足かせとなってまとわりつく。そのせいで、私はまともな恋愛ひとつできやしない。思い出すと、身体が、ブルリと震えた。

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