名無しの(仮)ヒーロー

海月三五

地獄で仏 3


 幸いマザーズバックは、ある程度時間がある時に荷物を整理してあったので、ポットにお湯を用意するぐらいで荷物の準備は完了した。
「これから、助産師さんのところに行くから」
 と、言われた。
 婦人科ならわかるけど、何故、助産師さんのところなのかピンと来なかった。でも、朝倉先生にお任せするしかない。
 ヨロヨロと立ち上がり着替えの準備を始める。
 すると、朝倉先生から声が掛かる。

「そのままの服装でいいよ。病人なんだから、上着を羽織れば大丈夫」
 
 チャイルドシートに美優を座らせると直ぐに朝倉先生は私を迎えに来て、脇を支えてくれた。おかげでふらつかずに車の後部座席に乗り込むことが出来た。
 
「着いたら起こすから寝ていていいよ」
 ふわりとブランケットで包み込まれ、とても温かい。
 熱で朦朧とする中、朝倉先生の気遣いが沁みる。
 言葉に甘えて目を瞑るとホッとしたのか直ぐに眠りに落ちた。



「谷野さん、谷野さん、着いたよ」
 朝倉先生に呼ばれて目を覚まし、車から降りるとそこは、病院でもなく助産院でもない、昭和の感じのする普通の一軒家の庭先だった。

 朝倉先生がインターフォンを押すと「はーい」という声が聞こえ、玄関の引き戸が開く。
 笑顔で出迎えてくれた御年配の女性に「どうぞ」と家の中に招き入れられ、玄関わきの6畳に通される。そこには布団が敷かれタオルが積まれていた。
「その布団に寝ていてね。直ぐに来るから」
と、声を掛けられた。そして、朝倉先生と美優は、どこか別の部屋に案内されたようだ。

 6畳の部屋の布団に横になっていると、襖が開き先程の御年配の女性が入ってきた。
「こんにちは。滝沢です。胸が張って熱が高いんですって? おっぱいから普段と違う膿みたいなにか出たかしら?」

「はい、練乳の腐ったみたいなのが出ました」

「あら、おっぱいが詰まっちゃったのね。乳腺炎ね。痛かったでしょう?」

「乳腺炎……」

「そう、乳腺炎。母乳を長い時間あげないでいると乳腺が妊娠前の状態まで戻っちゃうのよ。でも母乳の生産は急に止まらないから乳汁うっ滞がおこちゃうの。後は、赤ちゃんに吸われて傷になってもなる場合があるのね。さあ、搾るわよ! はい、はい、さっさと脱いで! おっぱい出してね」

 腕まくりをしながら私に笑いかける滝沢さんの迫力に気圧された。
 優しいのに押しの強いコノ感じ、親戚のおばさんみたいだ。
 
 私は、キツネにつままれたような気持ちで上半身裸になり滝沢さんの指示で布団に横になるとバスタオルで上半身を包まれた。
 そして、タオルの隙間から左胸をむき出しにされ、声が掛かる。

「はい、始めるわよ。ウチは、母乳でがんばっているママさんの駆け込み寺、母乳マッサージの専門なの。これだけ張っているとちょっと最初は痛いかもね」

 と、左胸にホットタオルが乗せられ少しずつ圧が加わる。
 滝沢さんの手によって、もみほぐされ始めた。

「ああ、ココにがシコっているわね。チョット痛いわよ」

 グッッと押されると思わず痛みで「うっっ!」と声が上がる。手に力がはいり敷布団を掴んで握りしめた。

「痛いわよね。でも、酷くなると手術だから、それよりマシだと思って頑張って!」

 私は、手術という言葉を聞いてゾッとした。美優を預けるにしたって、いとこは仕事しているから何日もお願いする事も出来ない。それぐらいなら揉まれて痛いのぐらい耐えてみせる。

 時折、うめき声をあげてしまったが、滝沢さんによる左胸の施術が終わった頃には、あんなにコチコチになっていた胸が、プルプルのプッチンプリンのように柔らかくなっていた。
 肩も物凄く軽い。

「スゴイ! スゴイ! 嘘みたい!」
 私が、感激していると滝沢さんが笑顔で言う。
「今度は右のおっぱいね」
 がーん! そうですよぇ。右のおっぱいもパンパンなんだもの。でもあの痛みをもう一度体験するのか……。
 手術するよりマシだよね。うっっ!

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