神島古物商店の恋愛事変~その溺愛は呪いのせいです~

大江戸ウメコ

解けた呪いと恋の行方(5)

 今日は群馬まで買取りの品物を取りに行く日だ。私は少し緊張しながら店へと向かった。なにせ今日は記憶を失った保科くんと一緒なのだ。前回、微妙な感じで病室から出て行ってしまったし、どんな顔をして保科くんと顔を合わせればいいのか分からない。

 保科くんは身体のどこにも異常は見つからなかったということで、昨日無事に病院を退院したらしい。色々とありがとうございましたと、短い連絡が届いていた。今日の業務についても店長から話を聞いているようで、よろしくお願いしますというこれまた短い文が書かれていた。

 記憶を失った期間のこと、絶対に聞かれるよね?

 記憶が無いあいだの出来事が気にならないわけないだろう。だけど、私はどこまでを保科くんに話して良いのか計りかねていた。なにせ私と保科くんはほとんど恋人みたいな親密さでいたのだ。それをそのまま話すわけにはいかない。

 緊張しながら店に向かうと、保科くんはもう準備を始めていた。私の顔を見て、一瞬、保科くんの表情が強張る。けれどもそれは一瞬で、すぐに彼はいつもの顔で小さく会釈をした。

「おはようございます、先輩」
「おはよう保科くん。今日はよろしくね」

 ぎこちなく挨拶を交わしたあと、沈黙が落ちる。私もだけれど、保科くんもどことなくぎこちない感じがする。ここのところずっと一緒にいたのに、こんな空気になるのは初めてだ。呪われているあいだ、保科くんは常に甘い空気を出していたし、その前だってこんな風に気まずくなることはなかった。
 呪われる前の保科くんと、どんな会話をしていたんだっけ。距離感が思い出せないまま、私は無言で準備を手伝った。

「それじゃあ、向かいましょうか」
「うん、そうだね」

 ぎこちないまま準備を終えて、私たちは軽トラックへと向かう。車の鍵は保科くんが持っていた。

「俺、運転しますよ」
「お願いしていいかな? 私の運転は荒いみたいだし」

 私がふざけて言うと、保科くんは困ったようにちょっと顔をしかめた。

「本気にしないでください。先輩の運転、そこまで酷くありませんから」

 保科くんは小声でそういうと、運転席へと乗り込んだ。私は呆気にとられた気持ちで保科くんが車に乗るのを見送る。エンジンがかかる音を聞いて、慌てて助手席へと乗り込んだ。
 
 どうしたんだろう、保科くん。呪われていたときとはもちろん違うけど、その前ともどこか様子が違う気がする。

 私はなんとも落ち着かない気持ちでシートベルトを締めた。ふと視線を感じて顔を上げると、保科くんがじっと私を見つめている。

「えっと、どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」

 保科くんの様子がおかしい。だけど、私も多分、普通じゃあない。
 保科くんの隣にいるとドキドキと心臓が早くなる。普通ってどうだったっけ。もっと自然に会話ができていた気がするのに、気の利いた話題のひとつも浮かばない。
 車はゆっくりと発進した。いつも通り、よどみない丁寧な運転。

「体調、もう大丈夫なんだよね?」
「はい。多分、呪いが解けた影響で倒れただけなんでしょうね。病院でゆっくり休ませてもらって、かえって体調がいいくらいです」
「気がついたらいきなり病院だなんて、大変だったでしょう?」
「そうですね。病院の先生や看護婦さんの対応が少し……困りましたね」

 保科くんは苦虫を嚙み潰したような顔を作った。

「病院の先生や、看護婦さんの対応?」
「俺、結婚式の途中で倒れたんですよね。それが病院中に知れ渡っていたようで。お気の毒だと言われたり……あと、先輩が途中で帰ったものだから、式を台無しにしたことで奥さんと喧嘩したのだと誤解されたり、色々です」
「ええっ!?」

 まさか、私が病室から逃げ出したことで、そんな風に噂されているとは思わなかった。だけど、考えてみたら当然である。結婚したばかりの夫が倒れたなら、妻はもっと心配してつき添うなり、退院のときだって迎えにくるのが当然だろう。

「うわぁ、ごめん! そこまで考えが及んでなかった!」
「いえ。実際は夫婦ではないのだから、当然だと思います。嘘をついているのが心苦しかったくらいで、別に何か実害があったわけでもないですし」
「だとしても、もっと保科くんをフォローするべきだったのに」

 自分のことばかりで保科くんを思いやれていなかった。そう反省していると、車は高速道路へと侵入した。ぐっと速度が速くなって、ビルの群れがぐんぐんと流れていく。

「先輩はおととい、病院から店長と帰ったんですよね」

 しっかりと前を向いたまま、ぽつりと保科くんがそう零す。

「え? ああ、うん。店長から聞いたの?」
「……まぁ、そんな感じです」

 保科くんは歯切れの悪い様子でなんどか口を開けたり閉じたりして、それからまた、ぽつりと言葉を零した。

「店長と、何を話したんですか?」
「え?」

思いがけないことを尋ねられて、私は目を瞬いた。
あの日、店長と話したのは保科くんについてだ。私が保科くんを好きだということを打ち明けた。だけど、そんなのを本人に言えるはずが無い。

「えっと、ちょっと相談に乗ってもらっただけ。そんな大した話はしてないよ」
「相談って?」
「それは……」

 私が口ごもると、保科くんは前を向いたまま小さく息を吐いた。

「いえ、すみません。俺には言えませんよね」

 保科くんは歯切れの悪い様子で、口元をへの字にして、そのまま黙り込んでしまった。
もっと呪われていた期間の出来事について聞かれるかと思っていた私は、拍子抜けした気持ちで彼の横顔を眺める。けれども、不機嫌そうに前を見つめる保科くんの顔からは、彼が何を考えているのか読み取ることはできなかった。





 会話も少なく移動を終えて、目的地へとたどり着く。前回と同じようにクライアントの立ち合いは無しでの引き取り作業だった。預かっていた鍵で無人の家へと入り、蔵を開ける。つい数日前に来たばかりだというのに、かなり前のことのように感じた。

「保科くんは前回の査定中から記憶が無いんだよね。引き取りリスト、分かる?」
「大丈夫です。先輩が作った見積りのコピーを店長に送ってもらいましたんで」
「そっか。分からないことあったら、質問してね」

 手袋を嵌めて蔵の中へと入る。薄暗くて埃っぽい蔵は相変わらず蒸し暑い。リストを眺めながら、てきぱきと品物を軽トラックに積み込んでいった。
 汗が玉みたいになって額を伝う。ふぅと腕で顔を拭うと、なぜかこちらを見ていた保科くんと視線がぶつかった。

「保科くん、どうしたの?」
「例の簪は今、先輩が持っているんですよね。あれもどこかで売却するんですか?」
「あー、あれね。呪いは解けたと思うし売れないことはないんだろうけど」

 なにせ呪われていた品物だ。売却して、その先で問題が起こると怖い。

「保科くん、要らない?」
「え、俺ですか?」
「うん。覚えて無いだろうけど、欲しいって言ってたよ。いわくつきの品物、好きなんでしょう?」

 記憶が無くなったとはいえ、保科くんが話してくれたこと全部が嘘ということはないだろう。私の言葉を聞いて、保科くんは何とも言えない顔をした。

「俺、先輩にそんな話をしたんですか?」
「おじいさんの壺を割っちゃった話も聞いたよ。素敵なおじいさんだった」
「うわ。俺、先輩に何の話をしてるんだろう。変な事とか言ってませんでしたか?」
「変といえばずっと変だったよ。保科くん、呪われていたし」

 私のことを好きだといって、優しく抱いてくれたのだと言えば、彼はどんな反応をするだろう。照れるだろうか。それとも、困る? もし本当に私のことが好きなら、喜んでくれる?
 気になるけれど、もし嫌がられたり、忘れて下さいなんて言われたらと思うと、とても口にできそうになかった。

「すみません。俺、多分、先輩に色々と迷惑をかけていたんですよね」
「うーん。色々あったけど、迷惑だったとは思ってないよ」
「でも、先輩は俺から離れられなかったんでしょう? 店長から聞きましたよ。それで、俺の家に泊まり込んでいたんじゃないですか」

 どうやら店長は、呪いの詳細を保科くんに話してしまったらしい。何をどこまで打ち明けるべきか、私はちょっと悩む。

「家に泊ったのは不可抗力だし、保科くんのせいじゃないから。気にしないで」

 保科くんを困らせないようにできるだけ軽い感じで言うと、何故か彼は不服そうに眉を寄せた。

「先輩は気にしていないんですか? 俺の家に何日も泊っても、何も思わなかった?」
「非常事態だったからね。私から離れたら保科くんが倒れちゃうし、仕方なかったんだよ」

 我ながら心にもない言葉だ。最初は仕方ないという感情だったけど、途中からは保科くんと一緒にいるのが心地よくなっていた。気にしないで欲しいなんて大嘘だ。私のことをもっと気にして欲しいし、できることならあの時間を思い出して欲しい。
 だけど、そんな醜い本音を今の保科くんに言えるはずが無い。
 私がどうにか取り繕っていると、保科くんは落胆したように肩を落とした。

「俺の家に泊るなんてことも、先輩にとっては大したことじゃあないんですね」
「え?」
「こっち、トラック積んできます」

 保科くんは早口に言って、床に積んであった段ボール箱を持ち上げた。
 今の台詞はどういう意味だったんだろう。まさか、私に意識してほしかった……とか? 
 保科くんの些細な一言で心が乱されて、簡単に期待してしまう。問いかけようにも、保科くんは荷物を積みに蔵を出て行ってしまっていた。
 

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