神島古物商店の恋愛事変~その溺愛は呪いのせいです~
古民家に眠る、呪いの簪(4)
「ふぅ、だいたいこんなものですかね」
「結構時間かかったね。あの簪の査定、どうする?」
「正直、アレを買い取るのは気が引けますが……まぁ、べっ甲の値段で考えれば良いんじゃないですか?」
「べっ甲の真贋まだ見れてないけど、もう一度開封したくないもんね。一応、買取りリストに入れとくか。店長に要相談だね」
蔵の中にあった品の一覧と、買取りリストを書き込んだバインダーを鞄にしまう。このリストと撮影した写真を元に、店に戻ったら見積を作らなくてはいけない。帰る準備を進めていると、突然私の背中に重たいものがのしかかってきた。
「わっ、何!?」
見れば、保科くんが私に圧し掛かるような形で、ぎゅっと身体を密着させている。保科くんの顔が肩に埋められて、さらりとした前髪がくすぐったい。
「ほ、保科くん、どーしたの!」
「すみません。ちょっとだけ、こうさせていてください」
「え、大丈夫?」
ふざけているなら振り払うのだが、保科くんの声は妙に苦しそうだった。私に触れていると落ち着くといっていたし、これもあの簪の影響なのだろうか。
人命救助をするような気持ちで背中を貸す。ぴったりと当たった胸板に、結構筋肉がついてるんだなって思ってしまって、妙に落ち着かない気分になった。しばらくそわそわしながら我慢していたけれど、保科くんは一向に離れる気配がない。
「保科くん。この体勢はちょっと心臓に悪いというか、そろそろ離れて欲しいんだけど」
「すみません。迷惑だっていうのは分かってるんですけど……あと少しだけ我慢してください。落ち着いたら離れますんで。俺のことは気にせず、作業続けてくれて良いんで」
落ち着くって、何が落ち着くんだろうか。私の心臓は全然落ち着いてくれないのだけど。保科くんに密着されて、片づけをする手が止まる。こんな状態で作業を続けられるわけがない。
「保科くん、まだ?」
「ん……もうすこしだけ」
耳元で囁かれる声が、やはりいつもよりも掠れていて甘い。艶めいた声に心音がさらに早まった。
「ね、早く店に戻ろ? あの簪から離れたら、きっと正気に戻るから」
「……そうですね。このままだと、俺も色々とヤばい気がしています」
保科くんは抱きしめるように私の身体に腕を回し、名残を惜しむようにギュッと力をことたあと私から離れた。
「恐ろしいね、あの簪。もしかして、異性にひっつきたくなるとか、そういう効果なの?」
「いや、どうでしょう。他の人間に会ってないから分かりませんが、先輩限定な気がします」
「なんで? 簪に触ったときに近くにいたから?」
「いえ……いや、そうですね。多分、そんな感じですよ」
奥歯に物が挟まったような感じに言って、保科くんは荷物を持ち上げた。蔵の外にでると、もうすっかり日は傾いていて涼しい風が頬を撫でる。所々で虫が鳴く雑草が伸びた庭を横切って、私たちは軽トラへと向かう。
「遅くなりましたね。どっかで夕食たべてから帰りますか?」
「うん、そうだね。何か食べたいものでもある?」
「先輩と一緒なら、何でもいい――――ちょっと待ってください。今のなしで」
口説くような台詞をいいかけてから、保科くんは顔を赤くして、ぶんぶんと首を左右にふった。そんな保科くんの様子をみて、私はうわぁと思わずうめく。
「今の、アレの影響?」
「そうですね。自分が何を口走るか分からなくて、ぞっとしています」
保科くんは顔を手の平で覆いながら低い声で唸る。
もういつもの保科くんに戻ったように見えるけれど、やはりあの簪に影響されているらしい。かわいそうに。
「はぁ。夕飯は何でも良いですが、無性に酒が飲みたいです。アルコールに逃げたい」
「飲んでも良いよ? どうせ今日はもう仕事も終わりでしょ。帰り、運転してあげるし」
「遠慮しておきますよ。先輩の運転は荒いですし――なにより、今酒を飲むとさらに自制がきなかくなりそうだ」
うんざりした口調で言うと、保科くんは軽トラの運転席に乗り込んだ。保科くんの背中にはまだ黒いモヤの糸がついたままで、それが蔵のほうへと伸びている。このままある程度離れたら、この糸も切れるんだろうか。
エンジンをかけて車を発進させる。けれども、五分もしないうちにハンドルを握る保科くんの様子がおかしくなった。彼は青白い顔で苦しそうに眉根を寄せると、車を路肩に寄せて停車した。
「保科くん、どうしたの?」
「……気持ち悪い。このまま進むと倒れそうです」
「え?」
保科くんはシートにどっかりと身体を預けて、苦しそうに荒い呼吸を繰り返した。背中についた黒い糸は、彼を離さないとばかりにまだくっついたままだ。
「いけるかなと思ったんですけど。あの家から遠ざかるほど、具合が悪くなって」
「顔、真っ青だよ。それって、あの簪から離れちゃだめってこと?」
「おそらく。これ以上離れると……意識、失いそうな感じです」
保科くんは本当に具合が悪そうで、私は慌てて彼のシートベルトを外した。
「助手席に移動して。とりあえず、蔵に戻ってあの簪をもってこよう」
「買取り前の品物の……勝手な持ち出しは……」
「非常事態だよ! あとで店長にも電話して、クライアントにも謝ってあげるから」
強引に保科くんを助手席に座らせると、運転席に回ってシートベルトを締める。具合が悪そうな保科くんを気遣って、出来るだけ丁寧に車を発進させた。すぐさまUターンをしてクライアントの家まで戻ると、もう一度蔵を開けて例の簪を桐箱ごと持ち出した。
軽トラに戻ると、具合が回復したのか保科くんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「体調はどう?」
「簪が近くにあるからか、体調は回復しましたが……気分は最悪です」
さもありなん。私は同情しながら運転席に乗り込む。
「途中で何があるか分かんないから、運転は私がするよ。あと、簪の持ち出しについて店長に相談するから、ちょっと待っててね」
保科くんにそう断って、私は店長に電話をする。正直、こんなオカルトめいた話を信じてくれるか不安だったが、起こった出来事を――保科くんの名誉のために、私に迫ったことは伏せて話すと、意外なほど真剣にとりあってくれた。
なんでも、古物には極稀にそういう訳ありの品があるらしい。保科くんが話してくれた店長の体験談も、ホラ話ではなく本当にあったことなのかもしれない。
クライアントには店長が話を通してくれることになり、ひとまずあの簪は保科くんが持っているのが良いだろうということで落ち着いた。
バタバタとしていると、すっかり時間が経ってしまった。ここから東京に戻るのかと思うとげんなりするが仕方がない。私も保科くんもすっかりくたびれてしまって、夕食はパーキングエリアで簡単に済ますことにした。予定していたよりも遅くなったため、店には戻らず直帰することにする。
東京の県境に近いパーキングで休憩をとると、保科くんが運転席のドアに手をかけた。
「三枝先輩のマンション、確か駐車場が無いんでしたよね? 軽トラ、俺んとこ置いときますんで、運転代りますよ」
「大丈夫? 辛いんだったら、近くのパーキングに止めとくから平気だよ?」
「簪が近くにあると、具合が悪くなるってことはないみたいです。その分、別の症状はあるんですが」
「別の症状?」
「ええ。先輩に触れたくなります」
保科くんの言葉に私は顔を赤くして、一歩だけ後ろに下がった。
なるほど、アレは簪が近くにあると起きるのか。紙でぐるぐる巻いて箱にしまってからはモヤが薄くなったし、昼間ほど酷いことにはならないだろうけれど。
「警戒しなくても大丈夫ですよ。我慢できる程度の衝動ですから」
「そ、そっか。じゃあ、運転代ってもらおうかな」
運転に集中してもらっていた方が、変なことを考える暇もないだろうと私は助手席に回る。わかっている。保科くんがそんな風になるのはあの簪が原因だ。だけどこうも堂々と触れたいだなんて言われたら、恥ずかしくなってしまうのは仕方がない。雑念をかき消して私はシートベルをしめた。
その後、保科くんは体調が悪くなることもなく、私の自宅まで運転してくれた。クリーム色の壁が特徴的な六階建てのマンションだ。マンションの一階には美容室になっているが、もうシャッターは降りていた。駐車場がないので、マンション前の路肩で降ろしてもらう。
「保科くんの家はここから三十分くらいだっけ。気をつけて帰ってね」
「はい。今日は色々とすみませんでした」
「まぁ、保科くんのせいじゃないし。でも、本当に気をつけてね? 何かあったら連絡してくれていいから。あんまり頼りにならないだろうけど、救急車呼ぶくらいならできるし」
保科くんを見送ってから、店舗横の階段を上って自宅に戻る。今日は一日汗をかいたし、埃っぽい作業だったのでまずは身体を洗いたい。疲れをとるためにシャワーじゃなくて、お風呂にお湯をはるのも良いだろう。そう思ってお湯を溜めていると、スマホが音を立ててなった。驚いたことに、さっき別れたばかりの保科くんからの電話だ。
「保科くん、どうしたの?」
「三枝先輩……助けて下さい」
スピーカーから苦し気な保科くんの声が届いて、私は目をまるくした。
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コメント
asami
保科くんが可愛い…!
めちゃくちゃドキドキする展開で、先が楽しみです!