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恋の始め方間違えました。

森野きの子

80

 夜景が見える創作料理店で夕食を済ませ、彼のマンションに向かった。
 あとから入った私がドアの鍵を閉める。鞄を上がり框に置いて振り返り、私を抱きしめて、口づけた。
「久しぶりの夜だな」
「ええ。そうですね」
「今夜を楽しみにしてたんだ。なのに水を差すような話をして悪かった」
「いいえ。お気になさらず」
 真壁さんはスーツを着替えに寝室へ行き、私は先にシャワーを浴びた。入れ替わりに入り、今度は私が寝室へ行き、彼を待った。
 青みがかったグレイの壁に、ネイビーで揃えたカーテンとクイーンサイズのベッド。眠りの浅い彼は、とにかく寝具にこだわっていて、枕はフルオーダーで、カバー類全て肌触りが良く、寝心地がいい。横になったが最後、なかなか出ることが難しい。
 モスグリーンのシルクサテンのスリップドレスのみを身につけ、期待に胸をふくらませながら彼を待つ。
 この時ばかりはいつまでたっても胸が高鳴る。間接照明だけの薄暗い室内で私はドキドキしながら何度も寝返りをうつ。
 がチャリとドアが開く音がして、思わず目を閉じた。
 すぐ側が沈み、こめかみにキスが落ちてきた。捲られた上掛けから新しい空気と暖かくて逞しい身体が滑り込んできた。私は仰向けになり、彼の首に腕を伸ばし、目を開けた。慈しむ優しい眼差しを受け、口づけをする。
 愛しくて愛しくてたまらない。それはずっと変わらない。だからこそ、不安になる。本当に私でいいのかと。

 昼過ぎにベッドを出て、身支度を整えて、午後から真壁さんの運転する車で街に出て、百貨店やハイジュエラーの店舗を六軒ほど巡ったけれど、これといってピンとくるものがなかった。
「なにかいいのは見つかった?」
 休憩に近くのカフェに入り、飲み物を注文した後、私に向き合い尋ねた。
「恭一さんは?」
「俺は二店舗目のかな」
 老舗ハイジュエラーの、シンプルなデザインのリング。月収で言うところの三桁分。彼の立場上、時計と同じようにステータスとしてそれくらい必要なのかもしれない。
「確かにとても素敵でしたね」
「という割には浮かない顔だな」
 眩い高級ジュエリーを前に、怯む様子もなく、彼がただ気にするのは、私の好みに合わせることだけ。喜ぶべきところなのはわかっている。けれど、当惑している自分がいる。本当に、私でいいのだろうか。彼は、私じゃなきゃと言ってくれる。でも、本当にそうなのだろうか。
 もっと公私共に相応しい相手が必要なのではないだろうか。
「だって普段使いにはちょっと贅沢というか……」
「そうか。まさかと思うけど、遠慮してるわけじゃないよな?」
「ええ。一生モノなので慎重に選びたいだけです」
「それもそうだな。でも、式も挙げないんだ。存分にこだわってくれ」
「ありがとうございます」
「そうだ、新婚旅行の希望は?」
「……まだなんとも」
「そうか」
 真壁さんはそれきり口を噤んだ。私も言える言葉がうかばない。ちょうど注文したコーヒーとアールグレイティーが運ばれてきた。重くなった空気をどうすることも出来ない。互いにカップを口にしながら、沈黙を続けた。
 抱き合っている時は夢中で溺れてしまう。なのに、ひとたび肌を離すと、覚めた思考が不安を呼び寄せる。
 考える必要なんてないのに。 
「……いつ、お会いになるんですか?」
 思わず零れた言葉。彼は何のことだか分かってないような表情で、目を開いた。
「……あの、昨日話していたお嬢さんです」
「ああ、まだ全然決めていなかった。というか、すっかり忘れていた。明日出社したら会長に取り次いでもらうとしよう。少しは態度が軟化するだろう」
「そうですか」
「ずっと気にしてたのか」
「……ええ。まあ……」
「それでずっと浮かない態度だったのか」
 私は黙って肯定する。
「昨夜の演技もそのせいか」
 困ったような笑みを浮かべ、小さなため息をついた。
「演技? ですか?」
 真壁さんは身を乗り出して私に耳打ちする。
「いった振り、よかった振り、しただろ」
 どこか面白がるような声で詰る。
「そ、そんなことないです!」
「そうやって口ほど俺を騙せる身体じゃないんだよ、涼子は」
 周りを憚りながら小声で告げる。
「精神的なものが大きく作用するからな。直前にあんなこと言った俺が悪かった。でも、涼子に知らせず彼女に会うことはできない。例え俺に一切その気がなくても。黙って会ったりした方が不安にならないか?」
「……はい」
 私は頷くしかなかった。
「やっぱり早く籍を入れて一緒に暮らしたほうがいいんじゃないか? 式も挙げないことだし」
 真壁さんの言うとおりだ。でも、まだ頷けない自分がいる。
「一年とは言いません。少しだけ待ってもらえませんか」
 何か言いたげに私を見つめるけれど、あえて黙って頷いてくれた。

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