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恋の始め方間違えました。

森野きの子

49

「場所を変えませんか。二人だけになりたいんです」
「俺と?」
「他に誰かいます?」
「いない」
「でしょう」
 私は席を立ち、途方にくれたように、立ち上がろうとしない彼の手を握った。
「言いたいことが、たくさんあるんです。したいことも、してほしいことも。でも、こんなところじゃどれも実現できないから、場所を変えたいんです。今すぐ」
 彼は、顔をあげて私を見る。私の気持ちを図りかねているようだ。心配しなくても、あるのは、彼に対する渇望だけなのに。
「……じゃあ車に。地下に停めてある」
 私の手を握り返し、指を撫でるようにして動かした。私は責めているわけではない。詰るつもりもないことをわかってほしくて、口角を上げて笑って見せた。
 人知れず傾いていく太陽が、その存在感を増していく。どっしりと街に根づき生えてきたような建物の数々を照らしている。
 モノより思い出とはよくいったものだけど、簡単に捨てられるモノより、いつまでも記憶から消えない思い出の方が残酷で嫌になった。見かける度に辛くなるくらいなら、思い出なんかいらないと泣いてばかりいた。
「どこに行きたいとかあります?」
「決めてない。適当にドライブでもしようかと思っているくらいだ」
「どうして素っ気なくするんですか? 飼い犬に手を噛まれてショックでした?」
「去っていかれるくらいなら、噛まれた方がずっとましだ」
 彼は、前を向いたままハンドルを動かして、車は港付近の高速入口へ車線を変更した。
「女わたしがお金で満足すると思ってました?」
「もっと気の利いたことができていたら、バツはつかなかっただろうな」
「私、松永さんには感謝してます」
「松永さん? 南町の? それとも石崎? いや、城西? あ。農協?」
「今更私が地主さんとか役員さんになんの関係があるんですか。友人代表の松永由紀さんです」
「えらい変化球で抉ってくるな。手どころか喉狙ってないか」
「息を引き取るときは、私の腕の中でお願いしますね」
「それならいつ死んでもいい」
 ようやく彼に微かでも笑顔が戻った。
「あの時は血の気が引いた。俺の立つ瀬ないだろ。あの時の事は今でも語り種だよ」
「でもすごかったじゃないですか。慰める会」
「本当ありがたいよな。もしあれでお客さんも失ってたら、俺は駅前か公園に住んでたかも知れない」
「えー。それなら私が養いましたよ。あの頃そこそこ稼いでたので」
「そうか。それも悪くなかったな」
「そうなればよかったのに」
「ならないよ。ゼロになったとしても、一から始めればいい。土地も人もそこら辺にたくさんあるんだから、周り全部仕事の種だらけだ。ほら、あそこの新しく……」
 高速道路から一望できる街の海辺の一角を指しながら目を輝かせている。
「ストップ。真壁さん。今、お仕事の話を聞く気はないんです。そんなことは忘れて、これから私の部屋に来ませんか?」
「俺を部屋に呼んでいいのか?」
 真壁さんの視線がちらりと動いた。
「職場つきとめられた時点で今更ですよね」
「さすがに家までは知らないよ」
「知ろうと思えば簡単なことなんでしょう?」
「さあ。知らない」
「権力者は堂々としらばっくれるんですね。明らかな嘘でもつき通せる自信があるから」
「俺に権力なんかない」
「そうですか。まあいいです。このナビって、今、操作できます?」
「うん」
 私はタッチパネルを何度かつまずきながら操作して、自分の住所を入れた。

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