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恋の始め方間違えました。

森野きの子

27

「すみません。凜花さん」
 桧山くんがこそっと私を呼ぶ。すっかり真壁さんを恐れてしまったようだ。
「シャンパン、ドンペリのピンクとゴールドとブラック、あとモエのロゼしかないんですけど……」
「ありがとう。充分よ」
 シャンパンを並べて、一通りセッティングする桧山くんから並々ならぬ緊張が伝わってきた。
「では、失礼します」
 席をあとにするとき、桧山くんは一緒に仕事をするようになって半年にして初めて私に頭を下げた。もう笑うしかなかった。五年前、真壁さんという後ろ楯をなくした時の気持ちが蘇る。私はこの人がいないとなんの価値もないのか。
「織部?」
 その声は常に何気ない。けれど、この耳に届くとき、その音質はこの上なく官能的。私は振り返る。
「どうしました?」
 グラスを彼の前に置き、シャンパンを注ぐ。そして私のグラスには彼が。
「いや。浮かない顔してるから。……まあ、そうだよな。俺の顔なんか見たくなかっただろ」
 私は微笑みで誤魔化した。できれば、会いたくなかった。会いたくて絶望した。会ったら会ったで自分の愚かさに呆れた。
「あの日のこと、どう謝ればいいのかわからない。織部を傷つけたままあの場を去ったことを後悔している。なにかあったら俺にできることはどんなことでも力になるよ」
 グラスのぶつかる小気味良い音が小さく響いた。
 まるでマフィア映画のフィクサーからの約束みたい。私が男なら、密かにほくそ笑み、グラスを呷るだろう。でも、そうではない。
 喉を滑る冷えすぎた液体は、灯った小さな情欲に加担する。飲み込まなくては。もう感じてはだめ。私に光を与えてくれたのは、もうこの人じゃない。
 私に癒しをくれた人は、今ファミレスに一人で私を待ってくれている。私は心のなかで自分に言い聞かせた。

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