話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

恋の始め方間違えました。

森野きの子

11

 ふと気がつくと、温かくて、固いような、柔らかいというか弾力のあるものを枕にしていた。低い声の談笑が聞こえる。あれ? 私、いつタクシーに乗ったっけ? タクシー? あれ? 私、なにしてたっけ。益子と真壁さん待ってて……。これ、この匂い、真壁さんの香水に似てる……? あぁ、早く会いたいなぁ。
 視界のすみにワイシャツの布地。腕に寄りかかり、寝かぶっていたようだ。
 ――?! ちょっと待って、どういう状況?
「ごめん益子! シャツにファンデーションついちゃ……」
「悪いな。益子じゃなくて」
 顔をあげると私を斜め上から見おろす真壁さん。
「ひぃっ!」
 上半身だけ仰け反ると、反動で酔いがぶり返してきた。
「大丈夫なのか? 本当に」
「あ、は、はい。大丈夫です」
 ぐらぐらする頭を押さえながら姿勢を整え、座り直す。
「お前もザマねぇな」
 助手席から益子が振り向いた。
「あ。いたんだ」
 ホッとしていうと、益子は軽く眉をひそめる。
「いたんだ、じゃねーよ。ほーら、そろそろ着くぞ。二次会会場だ」
 とタクシーが停止した。
「俺、こないだもらったチケットあるんで、真壁さん先にソイツ降ろしといてください」
 降り立った先は駅近くのビル。比較的新しくて、商業施設の上が居住区になっているタワー型。ホテル並みのエントランスと住居者の為のフィットネスクラブとプールがあって、上層階の景色が売りで大手ゼネコンと共同でうちが建てた。そうか。たしか夜景の綺麗なダイニングバーが入ってたっけ。
 そびえ立つビルを仰ぎ見ていると益子が降りてきた。
「俺、一回真壁さんち行って見たかったんですよね」
「なんもねーぞ」
 は? 振り向くと益子がにやっと笑って見せた。
「だからさっきコンビニ寄ったんじゃないっすか」
「まぁ、そうだけどさ」
「さぁさぁ行きましょ行きましょ」
 益子に肩を押され、私と真壁さんは軽くぶつかりながら前に進んだ。

 私が三十五歳になって独身だったとして、こんなマンションを買えるだろうか。
 ここの契約を取ってきたのは他ならぬ真壁さんで、完成予想図なんかは見せてもらっていたけれど。
 オートロックはもちろん、コンシェルジュがいるエントランスに、高そうなソファー一式。フロアごとに自由に捨てられるごみ捨て場があるんだっけ。
 まだ酔いの抜けきれていない頭では余計に目が眩む。
「はー、信じられねぇ。いくら独身で稼ぎ頭とはいえこんなマンション住めんのかよ」
 立ち尽くしている私の斜め背後から益子の声がした。
 部屋の主はコンシェルジュから分厚い封筒を受け取り、こちらへ戻ってきた。
 エレベーターに乗り、着いたのは九階。
 この上の階からさらに価格が違うらしい。とはいえ中に入って靴を脱ぐスペースからして広さが違った。
 そして生活感のないモデルルームのようなリビングルームから、パノラマで夜景が一望できた。自分の部屋とのあまりの差に足元がふらつく。
「一発で女落ちますね。これは」
「一応ファミリー向けだぞ、ここ」
「ああ……」
「そんな声出すなよ」
 益子と真壁さんのやりとりで察してしまう。新婚生活の居住に購入したのね。
「でも、まあ、ここのおかげで立ち直ったっつーか。俺はこの夜景が見える場所より下は行かないって決めたんだ。なによりローン残ってるし、働く理由の一つだな」
「売ったら良かったんじゃないですか?」
 と益子がいうと真壁さんは苦笑する。
「それはなんか癪だろ」
「あと十年もしたらこの上の階にいけるんじゃないですか?」
 私がいうと、真壁さんは小さく笑った。
「まぁ、マンションより会社の最上階狙いたいわな」
 部屋の明かりをつけずにいると光の海の底に佇んでいるような不思議な感覚に陥る。巨大な水槽の中を眺めているのか、はたまた巨大な水槽の中にいるのか。
 不意に着信音が鳴り、我にかえる。益子が携帯電話を出して耳に当て、玄関へとリビングルームを出ていった。

「恋の始め方間違えました。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く