視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode8-4

♢♢♢
「はいはーい、よろしくでーす」
初めての夜の立ち会いに緊張の面持ちでソワソワしていると、そんな琴葉とは対照的な軽い声が隣で鼓膜を揺らす。
涼はすぐに会社用の携帯を切るとジャケットのポケットにそれをしまう。

「もうすぐ来るってさ」
「はい」
「それにしても、こんな夜からって勘弁してほしいよね」
「そうですね。あの、営業してると芸能人とか女優さんとかに会えたりするんですか」
「あー、いやそんなにないよ。テレビCM作成の時に見ることはあるけどね。本当広告業界って華やかに見えてめちゃくちゃ体力必要だし大変な仕事だよ。給料が良くないとやってられない」

息を吐くように愚痴を溢す涼にそうですね、と返した。

「理道に今日カンプ(デザイン)持って行ったでしょ?あれもちゃんと向こうがどういうイメージで広告にしたいのか汲み取らないと大変なことになるからね。俺なんてその場で怒鳴られて帰れって言われたこと何回もあるよ」
「…本当ですか」
「マジだよ。目の前でデザイン案破かれるなんていうこともあるし。ま、そういう世界だよ」
21時とはいえ、辺りはまだギラギラと人工的なあかりが主張していて夜空を見上げても星が見えにくい。
結局作業の立ち会いは23時を過ぎてようやく終えた。

「一人で帰れるの?」
「もちろんですよ。何歳だと思ってるんですか?」
「いやいや、だってもう0時になるからさ」

琴葉が帰ろうとすると涼が子供を心配するような親の顔をしてそう言った。
(確かに女性が夜遅くに一人で帰宅するのは心配するのかもしれない…)
そうは思ったけど、タクシーを拾えば何とかなる。
その旨を伝えると、「じゃあ、タクシーで帰るのをちゃんと見届けるよ」というので目の前でタクシーを拾った。

「お疲れさまでした」
「うん、お疲れ!」

ドアが閉まると同時に出発する車内で、行き先を訊かれて言葉を詰まらせた。
携帯電話を確認すると柊からいくつかメッセージが入っている。

―大丈夫か?迎えに行くこともできるが
―終わったら連絡してほしい

涼もそうだが、柊も帰宅が遅くなる琴葉を心配しているようで頬が緩む。
やはり、彼のことが好きだった。多分、柊からは振られることになるだろうがちゃんと向き合おう。
琴葉は柊の自宅の行き先を運転手へ伝えた。
今朝もプライベートで会っているのに、緊張しながら彼の家のドアの前にいた。
合鍵を渡してもらったから、インターホンを押す必要もないのだが、一応それを押した。
すると、すぐに鍵が開く音がして柊が顔を出した。

「えっと、こんな時間にすみません」
「いいんだ。俺が呼んだんだから。それより一人で帰ってきたのか?」

そう訊きながら、琴葉を柊の家に通す。
ずっと立ちっぱなしで疲れた足がパンプスから解放されるとともに息が漏れる。

「はい、タクシーで」
「そうか。迎えに行こうかと思っていた」
「大丈夫ですよ」

迎えに来てもらったらどんな顔をしていいのかわからない。
柊はこの時間帯には違和感のある私服姿で本当に自分を迎えに来ようとしていたのだと知り好きという気持ちが加速した。

「シャワー浴びてきたらいい。疲れただろう」
「…はい」

既に柊の自宅には琴葉の着替えも、歯ブラシもある。まるで同棲しているように琴葉の私物が増えていく。
振られる覚悟はできていた。でも、それが怖くないかと問われれば嘘になる。
必要以上の会話を避けるように琴葉は浴室へ向かう。
シャワーを浴びながらも刻一刻と迫る別れの時を思うと無意識に涙を溢していた。
幸いにも、シャワーの最中だからお湯と一緒にそれを流してくれる。
シャワーを終えると柊がTシャツ姿でリビングにいた。
お酒を飲んでいるわけでもなく、ノートパソコンを開き何か作業をしていた。
もしかしたら仕事をしているのかもしれない。
琴葉に気づくとすぐにそれを閉じて、立ち上がった。
「琴葉、」
「はい」
「話がある」
きた、と思った。

心音が煩いくらいに全身に響く。
食いしばっていないと涙が溢れそうだった。
バスローブ姿の琴葉は、小さな声で「はい」と返した。

「まず、申し訳なかった」
「いえ…それは私の方です」

柊は、眉尻を下げて今朝と同じように困っているような顔をしている。
“申し訳ない”それは、気を遣わせて申し訳ないということだろう。今から琴葉を振るということをちらつかせているように思う。

「ごめんなさい。勘違いしていたわけじゃないんです。でも…つい、出てしまって、私は…―」

ぽろっと涙が頬を伝った瞬間に、琴葉の視界が大きく揺れた。
吃驚の声が出るが柊の腕が強い力で琴葉を抱きしめる。

「柊さん?!」
「申し訳ない。先に言わせる気はなかった」
「先に?」

耳元で柊の切ない声が鼓膜を揺らす。どうして抱きしめられているのかわからないが、柊の琴葉を抱きしめる力は弱まるどころがどんどん強くなっていく。
それを体で感じながら涙があふれる。

「琴葉の視線が俺に向くことなんかないと思っていた。だから強引にこういう関係にしたが、よく考えるとお前を不安にさせるだけだった。俺は、ずっと昔から琴葉の視界に入りたかった」
「え?視界に?…」

柊の発する一つ一つのワードを何とか口に出すが全貌が見えてこない。

「そうだ。大学生のころから、琴葉の視界に入りたかった」

―ずっと、好きだった
―付き合ってほしい

そう言って柊が琴葉からゆっくりと体を離した。視線が絡むと、柊が泣いている琴葉のそれを無骨な指でそっと拭う。
「つ、付き合う?好き?」
振られる覚悟で今日、この場にいたから柊の告白に口を半開きにして驚いていた。

(どういうこと?彼が私のことを好き…?)
戸惑いつつ、琴葉は慎重に言葉を返した。

「それは…私の好きと同じでしょうか」
「同じだ。恋人になってほしいということだ」
「…夢?」
「夢じゃない。俺と付き合ってほしい」
「はいっ…!もちろんです」

次から次へと溢れる涙はきっと気持ちが通じ合ったことへの嬉しさからだ。
まさか両想いだとは思ってもいなかった。
しかし、柊の琴葉を見下ろす優しく包み込む眼差しは確かに愛があるように思う。
柊が何も言わずに琴葉に影を作り、気づくと顔を近づけられ唇が重なる。
深いキスではなく、触れるだけの優しいキスだった。
嬉しさが募れば募るほど、まるで夢の中にでもいるような気になる。
何度か夢かな、と呟く度に柊に違うと否定され、現実だと理解する。

柊がシャワーを浴びて、二人で広すぎるベッドの上で肩が接しそうなほど近い距離にいた。付き合ったということは、両想いで、柊も自分を好いてくれている。それは当たり前のことではなくて奇跡だと思った。

「あの、聞いてもいいですか」
天井を見ながら、柊に声を掛けた。すると、柊もまだ起きていたようで「もちろんだ」と返してくれた。
「大学生の頃の話です。どうやっても思い出せなくて。本当に柊さんと私に接点はあったんですか?」

クツクツと喉を鳴らす音が聞こえたかと思うと、ベッドサイドテーブルの上で光るライトが揺れる。振り向くと柊が肘を立て、琴葉の方を見ていた。

柊がゆっくりと話し始める。

「覚えていないのは無理はない。だって、何度か話しかけたことはあるがお前の視線に入れたことなどなかったから」
「…視線に?」
「そうだ。今、琴葉の視線にようやく入れた」
そういうと、伸びてきた手が琴葉の頬を撫で、髪を撫でる。パラパラと柊の指の間から落ちていく髪の毛を見ながらすっと口角を上げるとつづけた。
「図書室で勉強している琴葉に声をかけたこともある。覚えてないだろ?」
「…すみません」

申し訳ないという気持ちでいっぱいになるが、どうしても思い出せない。つまり、学生時代の琴葉にとって柊の存在はやはり“知らない人”なのだろう。
「どうして…話しかけてくれたんですか」
「最初はただ今どき珍しい女の子がいると聞いてみていただけだった」

珍しいという言葉に琴葉は苦笑していた。
確かに柊が言うように珍しい存在だったのかもしれない。あの頃を思い出すと他の学生たちから話題にされてもおかしくはない。

「何となく見ていただけだった。最初は」
「…はい」
「でも誰色にも染まらない真っ直ぐな視線の中にいつの間にか入りたくなっていた。何度か話しかけたりわざと琴葉の目の前で専門書を開いて勉強したりしたけど、一向にお前は俺を見ようとはしなかった」
「…」

それはそうかもしれない。
あの頃は誰とも接しようとしなかったし、大学デビューにも興味がなかった。それをしようと思ったのは、初めて付き合った春樹の影響が大きい。ただ、その彼は琴葉に何の感情もなく好きなのは自分だけだった。
今でも思い出すと胸がズキズキと痛みだすが、柊のお陰で過去を過去として振り返ることが出来るかもしれない。柊はそのあとも暫く学生時代の話をしていた。
知らなかったが、琴葉が“事実”に気づいてしまった後、柊は春樹に接触していたらしい。何をしたのかまでは聞かなかったが、琴葉以上に彼に怒りをぶつけてくれていたのかもしれない。幸せな気分のまま、瞼を下ろそうとすると体に重みを感じた。

「あれ、」

気がつくと、柊が琴葉に覆いかぶさっていた。閉じかけていた瞼が一気に開く。
すぐにわかる。あぁ、抱かれるということを。
彼の目が普段以上に鋭く、琴葉を射抜くように見るからだ。それだけで全身に熱が宿る。
「嫌じゃないか?」
「まさか、」
首をゆらゆらと振る。いつも彼は嫌かどうか確認をする。
(大切にされていたんだ…)
セフレかと思っていたことを恥じた。こんなにも、自分は愛されていた。

「どうしようもないくらいに、琴葉が好きだ」
「…私もです」

近づく顔に目を閉じるとすぐに激しく唇に割って入る舌が琴葉の思考を停止させる。
パジャマの中に手が入るのを感じて枕の端をギュッと掴み、押し寄せてくる快楽を必死に受け止めた。






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