視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode6-4


会社に戻るとすぐに涼が柊へ報告をしていた。
今日の19時からの飲み会についても話していた。
柊はパソコンから目を離し、顔色一つ変えずに頷く。

「わかった。間に合うように出席する」
「お願いします~。今日は担当者不在らしいですが、上司は来るそうで」
「そうか、場所はメールしておいてくれ」
「わかりました」

柊の個人連絡先は知っている。今日は琴葉の家に来るという予定だったが変更になることは柊も分かっていると思うがそれを確認し合うことが必要か悩んだ。
(メールしておけばいいのかな…)
午後も涼と企画部の人たちと会議をしたり資料を作ったり、休む間もなく結局それをどうするのか決められないまま業務時間が終了した。

18時半、涼と二人で先に会社を出る。
柊はあとから向かうらしい。琴葉がフロアを出る際にチラッと柊を確認すると、柊は電話をしているようだった。

「シャインさんとの飲み会って…結構あるんですか?」
「そうだねー、まぁたまにね?長いからね。うちのクライアントとしては」

広い歩道を歩きながら涼に目を向け聞く。涼は社交的だしそういった飲み会などの席は得意だろう。しかし琴葉は真逆だ。それを感じ取ったのか、涼が琴葉を見ていった。

「大丈夫だよ。橋野さんもいい人だったし、あそこの部長とも飲んだことあるけどいい人だよ。他に誰が来るのかわからないけど…多分大丈夫」
「そうですよね」

涼の言葉に心の重荷が少し取れたような気がした。

今回は向こうが居酒屋を予約してくれていたようで、(いつもならば逆のようだ)会社最寄り駅から二駅ほど移動したところから徒歩10分ほどの場所にあった。
ちょうど帰宅ラッシュの時間と被っているから電車内も駅も混みあっていた。
涼と会話をしながら、居酒屋に到着した。
しかし琴葉は「ここだよ」といった涼の声で足を止めると同時に想像していた“居酒屋”ではなかったから小さな声を漏らしていた。そこは明らかに寿司屋だった。
重厚感のある門構えに入る前から高そうな店だと直感でわかる。

回らない寿司屋など人生で一度しか行ったことがないしその時も大学合格祝いに両親に連れてきてもらっていたから、自ら進んで利用したことはなかった。
今だってクライアントとの飲み会として参加している。成人しているし25歳だがまだ敷居が高いと実感した。

緊張した面持ちのまま、中に入るとすぐに上品な年配の女性が目尻の皺をより一層深くして笑う。

「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?」
「そうです」

隣の涼がすぐに名前を言うと奥の個室へと案内される。
カウンターの席は一杯で、二人組のサラリーマンが既に顔を赤くして「大将!」と上機嫌に呼んでいる。
奥の座敷へ通される。
まだ他の人は来ていないようで涼と一緒に襖側に座った。

「ここ、高いんじゃないんですか」
「そうだね~一人一万五千円から二万?くらいかな」
「え?!これって割り勘ですかね」
「あぁ、それなら大丈夫だよ。うちの経費で落とすから」
「そうですか」

ほっとしたのも束の間、襖の開く音とともに「どうも!」という男性の陽気な声が聞こえ顔を上げる。
40代くらいの渋い光沢を放つスーツを着た男性と、今日会った美幸、それから柊もいた。
「は、初めまして!藍沢と申します」

すぐに正座した状態で挨拶をする。おそらくこの陽気な声を出した男性が“部長”と美幸が言っていた人物だろうと想像がつく。
名刺交換をして再度挨拶をした。
―鎌田栄二
ブランド戦略チーム部長と書かれてある。鎌田は迷わず上座に座り、その隣に美幸が座った。涼と琴葉の列に柊が座ろうとすると、美幸が口を開く。

「不破さんはこちらへどうぞ。そこじゃ狭いだろうから」
「いえ、問題ありませんから」
「大丈夫ですよ!別に接待とか堅苦しい飲み会じゃない。いつもお世話になってる不破さんたちと飲みたいだけですから!」

ガハハ、と大きな口を開けて笑う鎌田に、「じゃあ」と言って柊が美幸の隣に座った。
柊と鎌田、それから美幸はどうやら前からの知り合いのようだ。他の仕事で関わってきたのかもしれない。
しかし、美幸がやけに柊へ目線を送っていることにどういうわけか胸が痛む。
(…どうしたんだろう)
早速寿司をそれぞれ人数分頼み、お酒も同様に注文した。

「いや~途中不破さんと会ったから一緒に来たんですよ」
「そうなんですね。マネージャーとはずっと前から付き合いがありますからね」
「そうなんだよ。俺が部長になる前にお世話になってる。不破さんも部署が違いましたよね?」
「そうです。三年ほどの付き合いになりますね」
穏やかな口調で柊がそう言った。
それから料理が運ばれてきて、琴葉は緊張しながらもそれらを食べていた。
ビールから日本酒へすぐに変わり、琴葉以外は皆、お酒に強いようでどんどんそれらを飲み干す。
「あ、不破さん確かウニの方が好きでしたよね?私ウニ苦手なんですよ」
「そうでしたね」
「じゃあ、これあげます」

美幸が艶やかな唇を上げて色気の含む声色を柊へ向ける。甘えたようにそれを柊の皿へ置く。
(柊さんは…ウニが好きなんだ。知らなかった)
好きなものは、嫌いなものはなにか聞いたがどれも明確な答えはなかった。なんでも食べると言っていたしお酒だって何でも飲むと、言っていた。
ピンポイントでそれらを知っているであろう美幸に沸き起こる嫉妬が琴葉の心を蝕んでいく。

「琴葉ちゃん、大丈夫?なんだか顔色が悪いけど」
「全然大丈夫です!ちょっとトイレに、」

琴葉はそう言って立ち上がると、個室から出る。その際、一瞬柊と目が合ったが、すぐに逸らしてしまった。
意外と長い廊下を進み、奥にトイレがあった。

トイレの鏡で自分の顔を確認する。若干酔っていて頬が赤いのにどうして涼は顔色が悪いといったのだろう。首を傾げつつ、一人の空間でようやく緊張の糸が解け、息を吐いた。
柊のあの柔らかな目線、口調、全て自分だけに向けていてほしかった。
そのようなことを言う立場にないことは理解していたが、どうしたって胸の奥がざわついて真っ黒い感情が溢れる。これが恋をするということなのだと、改めて実感した。
休日に会うたびに、体を合わせて他愛のない会話をする。それだけで満足だったはずなのに。数分トイレでボーっとした後にようやくそこを出ると、

「わ、」

廊下に涼がいた。壁にもたれるようにして携帯を見ている彼は琴葉に気づくと、途端笑顔を見せた。

「待ってたよ。大丈夫?」
「待ってたって何ですか…」

引き攣った顔をしていると、涼が顔を顰めて首を横に振った。
「ちょっとやめてくれない?人を変態みたいな目で見るの」
「そこまでは思ってません」
「そこまでは、って…。まぁいいや。大丈夫?なんか元気無さそうで。やっぱりこういうところ苦手だよね?」
「いえ、そんなことはないです!」

涼の言った“顔色の悪い”という表現は“元気がない”様子を言っていたのだと気づき思わず笑みが浮かぶ。
「本当に?あ、わかった。不破マネージャーのことでしょ?俺はあんまり橋野さんのことは知らないというか今回初めてちゃんと挨拶したけど前から不破マネージャーとは知り合いみたいだね。名前だけは何度か聞いていたから」
「…そうですか」

涼にはすべてお見通しのようだ。飲み会と言ってもただのそれではない。クライアントとの飲み会は接待に値する。気分を落とさないようにしっかりしなければいけないのに、どうしても柊のことが気になってしまう。こういう時、皆はどうしているのだろう。
動揺もせずに気を落とさずに普通の顔をして笑っているのだろうか。

「ほら、戻ろう!」
「はい」

自分に喝を入れるように声を張った。
しかし―…。

「何してるんだ」
「あ、マネージャー」

ドスの利いた声がトイレに続く廊下に響き、涼と二人で顔を向けるとそこには柊が立っていた。腕を組み、会社では絶対に見せないような不機嫌な顔をしている。
苛立った様子で琴葉たちに近づく。

「琴葉ちゃんが具合悪そうだったんで」
「そうなのか。体調が悪いなら無理するな」
「いえ、大丈夫です!」

涼と柊を交互に見て口角を吊り上げる。涼は普段の調子で「そうそう、無理しないでいいんだよ。琴葉ちゃんはもっと甘えないと」と、言って琴葉の頭に手を置き、ポンポンとする。青春映画にでも出てきそうなワンシーンに一瞬あたりの空気が凍ったのは柊の今にも爆発しそうな怒気を孕む視線のせいだった。
それを感じ取っているのかいないのか不明だが涼は飄飄と「先に戻ってます」といって琴葉たちから去っていく。
数秒間、琴葉と柊は見つめ合い微妙な空気感の中で何と口火を切っていいのか考えていた。

「戻りましょう」

ようやく声が出たが柊の視線に怖気づいてしまいそうになる。
早く戻らなければ、シャインの人たちを待たせることになる。柊だってそれをわかっているはずだ。

「体調良くないのか」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ、何故そんなに苦しそうなんだ」
「…」
「新木には言えて俺には言えないのか」
「別に涼さんに話しているわけではありませんし」
「じゃあ、“理由”はあるんだな」
「あ…」

誘導尋問のように口を滑らせて、琴葉はしまったという顔をする。
(言えるわけないじゃない。嫉妬してる、そんなこと言えるわけない)
また無言が続いた。柊の鋭い眼光に耐えられそうにない。すると、すっと柊の手が伸びてきた。思わず目を眇めた。それが一度何かを躊躇するように止まったが、再度琴葉の頭の上に置かれる。
先ほど涼にされた事と同じことをする。
「…え」
「ムカつくな」
「……」
「他の男に触らせるな」

そういうと、「戻るぞ」と言って琴葉の手首を掴みスタスタと歩く。
たったそれだけなのに、涼に触れられた時とは全く違う反応をしてしまった。胸が早鐘を打つのは、柊に触られた時だけだ。やっぱりこれは恋、だ。

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