視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode5-1

目が覚めたのは誰かの視線を感じたからだった。
いつも以上に重い体のせいで寝返りを打つこともできずにいる琴葉は薄っすらと目を開ける。
と。

「うわっ…」
「何だよ。朝から大きな声出して」
「何で不破さんが…」

隣には柊が琴葉の顔を覗き込むような体制で寝ている。しかし彼からシャンプーしたばかりの香りがして既に起床していたことがわかる。
時間を確認すると10時だった。

「何でって起きて一人だったら寂しいかと思ったからだよ」
「…寂しい?」
「寂しくないのか」
「寂しくは…ありませんが」
「ふぅん」

不満げな瞳が琴葉を映す。そして琴葉はあることに気が付いた。それは、自身が裸だということだ。
危うくそのまま上半身を起こしてしまうところだった。琴葉は顔を赤らめてホテルのようなフワフワの羽毛布団をかぶって顔の半分まで隠す。
昨夜のことはあまり鮮明には覚えていなかった。お酒の力も相俟って抱いてほしいなどと言ってしまったが柊に抱かれたことは全く後悔はしていなかった。あの熱いキスに愛撫、それらを思い出すだけでじんわりと腹部に熱が宿る。それを本人に言えるはずもないが、琴葉の赤面した顔を見たら誰だって昨夜を思い出していることは安易に想像できるだろう。

柊がわざわざ琴葉の横で寂しくないようにと隣にいてくれたことは嬉しいしくすぐったい。

「そろそろ起きてシャワーでも浴びてこい」
「はい」
「昨日は途中から覚えてないんじゃないか」
「…はい…だって…」
「エアコンは効いていたはずなのに汗だくだった」
「…」

そんなことを今言わないでよ、と思ったが顔を伏せて口も噤む。
「すごく綺麗だったよ」
そういうとすっとベッドから離れて寝室を出ていく。
(…無意識でそんなことを言っているのかな)
一日中柊と一緒だと心臓が持たないと確信した。琴葉は柊がいなくなった寝室でようやく上半身を起こしてベッドから床へ足をつける。
立ち上がるとやはり体が重い。久しぶりのセックスだったからなのか。
床に落ちているバスローブを見てまた恥ずかしくなるがそれを払拭するように勢いよく取るとバスローブを羽織った。
リビングへ行くと柊に「シャワー浴びてきます」とだけ言って浴室へ向かった。

あんなに激しくて、でも興奮するようなセックスをしたことがなかった琴葉は何か違うことを考えていないとすぐに昨夜のことを思い出してしまいそうだ。
バスローブを脱いで浴室の大きな鏡で自身の裸を見て声を上げそうになった。

「…何、これ」

ちょうど鎖骨の少し下に二つの赤い跡がついていた。首を傾げながらも何度かそれを擦るが消えない。
虫刺されのようなその跡は内出血をしているようで昨日のシャワーの時点ではなかったことを思い出す。
数秒考えこむが、柊に抱かれている間確か首辺りがチクリと痛んだ気がした。

「…キスマーク?」

まさか、と思ったがそれにしか考えられなくなった。シャワーの圧を弱めながら鏡に映る自分の顔を見る。
柊は満足できたのだろうか。自分で良かったのだろうか。
シャワーを終えて髪を乾かしバスローブ姿のままリビングに戻ると柊がまたコーヒーを飲んでいた。
足を組み、iPadで何かを確認しているようだ。
まだ数回しか彼と一夜を過ごしていないがだいたいの彼の行動パターンはわかってきた
柊に声を掛ける前にこちらに顔を向ける。

「上がったのか。朝食はどうする?」
「いえ、大丈夫です」
「飲み物は?コーヒー牛乳なら何個か買ってある」
「…ありがとうございます」

何故コーヒー牛乳かと思ったが、喉が渇いていたこともあり冷蔵庫からあまり見かけないタイプの紙パックのコーヒー牛乳を取り出した。手のひらサイズのそれは学生の頃に確かよく飲んでいたことを今思い出す。
柊と向かい合うようにしてソファに腰かける。
窓際の観葉植物を見ながらコーヒー牛乳を飲んでいると、キスマークのことを思い出して慎重に問う。

「あの…この鎖骨あたりの跡って…何でしょうか?」
「あぁ、印だよ」
「印?」
「そう。他の男除けだ」
「…」

疑問符で脳内が埋め尽くされる頃にはコーヒー牛乳は既に空になっていた。
男除けと言われてもいまいちよくわからなかった。
男など琴葉の周りには柊しかいない。涼は仕事で関わる先輩社員だ。それ以外は特にいない。柊が勘違いしているのかもしれないと思ったが、深く考えることを辞めた。
それよりも今日は“デート”だ。
そのようなことは初めてだった。学生時代の初彼氏である春樹とは思い返すと付き合ってと言われて付き合ったがデートらしきことはしていなかった。

買い物に行くということらしいが、柊とならばどこへだって行きたい。
琴葉は持ってきていた濃紺のパンツにオフホワイトのシャツに着替えて慣れないメイクをした。
服装は傍からみるとオフィスカジュアルのように見えるかもしれない。
あまり服を持っていない琴葉にとってデート用の服をすぐに用意することもできなかった。
30分ほどで化粧を終えて、柊の待つリビングに行くと私服姿の彼が既にソファに座り待っていた。
慣れないメイクのせいで待たせてしまったのに柊は苛立つこともなく普段よりも優しい視線を琴葉に向ける。
仕事での彼とは全くの別人だ。

「待たせてごめんなさい」
「待ってない。それに琴葉が時間をかける分、楽しみが増える」
「…楽しみ?」
「どんどん綺麗になるお前を最初に見られるんだから」
「……」

柊はそんな顔を伏せたくなるようなセリフを顔色一つ変えずにサラリという。
琴葉は何と返していいのかわからずに困ったように視線を巡らせた。

「今日は琴葉の買い物に行く」
「はい、ありがとうございます…でも付き合わせるのは…」
「何言ってるんだ。俺と選ぶんだよ。付き合わせるとかじゃない。デートなんだから」

琴葉は、あっと小さな声を漏らす。そうだ、柊は女性用の下着売り場に平気で入る鋼のメンタルを持つ男だった。
彼にとって女性ものの衣服や化粧品売り場に入ることはどうってことないのだろう。それに下着売り場でも柊はこれがいいなど普通にアドバイスをしてきた。

「何か食べたいものはあるか?昼食はどこか外で食べることになると思う」
「私は何でもいいです」
「そうか」

何でもいい、という言葉は相手にどう捉えられるのだろうか。琴葉は、嫌いな食べ物は少ないし柊と一緒ならばどこでも、何でもいいのだ。
しかし普段あまり人と関わらずに生きてきた琴葉にとって自分の言動一つで相手がどう思うのか経験不足も相俟ってわからないでいた。
車のキーを持つと琴葉が見上げるほど高い身長の柊が「行くぞ」と声を掛ける。
はい、と大きく声を出して彼に続いた。

柊の私服は細めのグレーのパンツに白いシャツだった。シンプルながらも彼のスタイルの良さが際立っている。
隣に並ぶのも憚られるほどに彼は完ぺきだった。

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