視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode3-3

男性に慣れていないからこんなにも動揺しているのだと必死に言い聞かせる。しかしひとたび彼に触れられるとそれだけで脳内が麻痺してしまう。

「お前が欲しがるまではしないよ」
「…欲しがる?」
「そうだよ、無理やりする趣味はないから」
「欲しがるわけないじゃないですか…私たちただの上司と部下の関係です」
「さっきも言ったが、今はプライベートだ」
「…」
「なんだよ。そんなに欲しそうな目で見るな」
「見てませんっ…!」
「俺なら後悔はさせない。俺だったらもっといい女にしてやるのに」

柊の手が琴葉にずっと密着している。その部分に全神経が集中していた。
確かに、先ほどの鏡越しに見た自分は“女性らしさ”に溢れる妖艶な顔をしていた。
化粧をしているせいかと思ったが一人だったらあの表情にはならない。
柊が触れると、確かに琴葉は妖艶に、艶やかに変化できた。
彼の手ならば…―。

「私、…変われるかな」
独り言のように呟くが瞬時に柊が頷く。
「当たり前だ、既にお前は変わってきているじゃないか」
「…どの辺が…ですか?」
「全部だよ。学生時代よりもずっと綺麗だ」

広告代理店の営業にずっと携わっているような人だから彼の言葉はお世辞のようなものかもしれない。それでも、琴葉は彼の言葉で凍り付いた心が溶けていくのを感じた。
自分などお洒落をしたって無駄だ、そう思っていた。学生時代のトラウマで今でも男が苦手だった。それなのにこうも容易く彼を信じている自分がいた。
好きでもない男と同じベッドに寝るなど、どうかしているのに嫌じゃないのは何故だろう。触れられても嫌じゃないのは、何故だろう。

柊からはお風呂上がりのシャンプーの香りがした。琴葉も同じものを使ったから同じ匂いを纏っている。

「…キス、なら…」
「ん?」
「キス、なら…いいです…」

戦慄く唇が空気を吸うために少し開く。

と、同時に勢いよくそれが圧迫された。

一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし驚いて微かに開いた唇から入り込んできた舌にキスをされているのだと理解する。自分からしてもいいといったくせにいざされるともっと軽いものを想像していたから吃驚した。

「…っ…んぅ、」

くぐもった声が自分の耳朶を打つと一気に羞恥心で体が熱を放つ。
キスなど何年ぶりだろう。それに春樹とだってこのような強引で熱いキスを交わしたことなどなかった。
まるで琴葉を食べるようなキスに呼吸が苦しくなっていく。上手くそれが出来ないのは経験不足だからだろうか。

「煽んなよ」

一瞬離れた唇が、不敵に弧を描く。

そして、もう一度琴葉の唇を貪る柊はキスをしながら琴葉の頬、首筋を撫でる。

熱い、全てが熱い。
一体どうしてしまったのだろう。キスをせがむなどどうかしている。けれど、琴葉は必死に柊のキスを受ける。
“女としか見ていない”
そんなふうに言ってくれたのは、柊だけだった。

―柊の前なら琴葉は女の顔になる。

ようやく唇を離すと息を切らし、胸元まで真っ赤になる琴葉が目に入り柊は珍しく顔を歪めた。琴葉は虚ろな目でそれを確認するがどういう感情でそんな顔をしているのかは理解できない。

「ようやく、俺を視界に入れてくれた」
「…意味が、わかりません」

唾液に濡れる唇を柊の指が撫でる。枕に琴葉の艶のある黒髪が広がっている。
胸で大きく呼吸をする琴葉の横にようやく柊が移動して威圧感のある彼の視線から解放されるとほっとした。
しかし同時に少しばかりの寂しさもあった。

―もっと、触れてほしい。

思ってはいけないのに、そんなふしだらな考えが浮かぶ。
自分はどうかしてしまったのだろうか、ボーっとする頭で必死に考えるがいくら考えたって答えは出ない。
柊は自分で言った通り、キス以上のことはしてこなかった。
では、もしも…それ以上のことをしたいと言ったら、彼はするのだろうか。

「寝るんですか…」
天井にぶら下がる見たこともないような照明を見ながら訊く。琴葉の言葉に続くようにして照明が暗くなっていく。木製のベッドサイドテーブル上にある柔らかな照明が部屋を灯す。

「寝る。これ以上したら我慢できないから」
「…我慢」

隣で体を休める柊は琴葉の方へ体を向けた。
横目でそれを確認する。

「今週の金曜日、新木と飲むんだろ」
「あ…そうでしたね」
「そのあとまたうちに来たらいい」
「…」
「土曜、そのまま買い物に行く」
「買い物?」
「言い換えるとデートだ。以上、じゃあ寝る」
「っ」

もっと説明してよ、と言いかけたがやめた。というか言えなかった。
ぐっと体を引き寄せられて抱きしめられているからだ。
柊はそれ以上何もしてこないだろう。それはわかっていたのに緊張で体が強張る。
こんなふうに男性に抱きしめられて眠りについたことはなかった。春樹とだって、なかった。彼の胸の中に顔を埋めたまま、固まってしまう。

「何もしないから、安心して寝たらいい」
「…はい」
「俺は前の男ではない。塗り替えてやるから…だから安心していい」

ふっと体の緊張が解けて、目を閉じた。
この人は一体何を考えているのだろう。全くわからないけど、春樹のことが徐々に霞んでいくくらい柊のことで頭がいっぱいだった。





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