視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode2-1

「どうしたの?そんなに暗い顔して。何かあった?」
「何もありません!大丈夫です。午後から会社を出て理道に行くんですよね」
「そうそう。今回は新ブランドの件だから普段の担当者じゃないんだよ。どんな人なのか俺も知らないんだ」
「そうですか」

柊の件を誰かに話すわけにもいかずに、琴葉は一人で悶々としながらデスクへ向かっていた。
柊の方を本人に気づかれないように見るが彼はいたって普通だった。
腕時計くらい、会社に持ってきてくれたっていいのに。
と思ったが、周りに気づかれずにもらわなくてはいけないとなるとそれも厳しそうだ。
誰かに見られたらどうやって説明すればいいのだろう。
学生時代を知っている彼と同じ職場など世界は自分が思っている以上に狭いのだと思った。
とにかく午後からの初打ち合わせに集中しなければ。
既に奏多以外デスクにはいなかったが行ってきます、と言って涼と会社を出る。

「運転は?得意?」
運転席でシートベルトを装着しながらそう訊く涼に「ペーパードライバーです」というと「そうだろうね」と返してくる。

そう見えるのだろうか。助手席でシートベルトをして発進する社内で緊張を解すように窓の外を見た。
社会人になって購入した名刺入れを使用する場面は少なかったが今後は頻繁になるだろう。
昔から誰よりも責任感はあると自負していた。広告代理店に入社すると決まった際には、営業には不向きかもしれないがそれでもいつかの自分のように“心惹かれる”広告を作ってみたい、それに携わりたいと思っていた。しかし人事部へ配属され、あの時の熱い気持ちを忘れかけていたことに気づく。

「緊張しなくていいからね。とりあえず今日は顔合わせだから」
「はい!」
「あー、それから琴葉ちゃんって化粧してるの?」
「っ」
「あ、これってコンプライアンスになっちゃうかな~最近厳しいもんなー」

涼の楽しそうに弾む声が隣からハッキリ聞こえてきているはずなのに、それらがバラバラに聞こえる。聞きたくないと、琴葉の中で拒否しているのだと思った。触れてほしくない部分だったから。

「少しだけ…」

流石に日焼け止めだけです、と言うことが出来ずに蚊の鳴くような声で言った。
「そうなんだ。なんか化粧映えしそうな顔しているからもっときれいになりそうだけどなぁ」
「…綺麗、」
自分とは無縁の言葉のはずなのに、お世辞なのか涼がそう言った。しかしお世辞のように聞こえないのは、ずっと営業の第一線で活躍している営業マンだからなのかもしれない。

今後は社外の人と仕事をしていく。一般的に言われている女性は化粧をすることがマナーだという認識はもちろんある。涼が切り出したこの話題に関しては、おそらく“化粧した方がいいんじゃない?”という意味も込められているのだろう。
トラウマになっていたそれをまた自らでする自信はなかった。しかし、それでは営業先に失礼になるかもしれない。
ファンデーションにアイブロウだけでもそれなりに見えるだろう。あくまでも、“仕事”のためだ。自分の為ではない。

何度か自分に言い聞かせるように心の中で呟き、今日帰宅する際に化粧品を購入しに行こうと決めた。
「着いたよ」
涼の声に顔を上げる。いつの間にか駐車場に止まっていた。背筋を伸ばして、鞄を肩にかけると同時に車を降りた。有料駐車場に営業車を止め、そこから数分歩き理道の本社ビルの前に到着した。

「わぁ、すごい…」

立派な自社ビルに感嘆の声が漏れた。隣の涼は太陽が眩しいのか目を細めて行こう、と足を進める。
ビルのエントランスには警備員が数名いる。
受付で名前を言い、エレベーターで14階へ行くように指示をされる。
この時既に琴葉の緊張はピークに達しており、何度も酸素を肺に取り込みそれを吐き出した。
涼は何度も「緊張しなくても大丈夫」と声を掛けてくれるが、琴葉の緊張はほぐれることはなかった。
14階に到着し、空調が効いている廊下を歩く。
涼は既に何度か来ているようだったから場所も把握しているようだった。
歩いていると向こうから女性一人と男性一人がこちらへ歩いてくる。

「あぁ、ごめんなさい、下で待っている予定だったの」
「いえいえ、初めまして。H&Kの新木です」
「初めまして!藍沢です」

女性は、細身のグレーのパンツスーツにオフホワイトの胸元にフリルのついたブラウスを着ていた。七分丈のそれから覗く腕は触れたら折れてしまいそうなほど細くて白い。
それなのに挨拶の声が想像以上に大きくて驚いた。10センチ以上のヒールを鳴らして琴葉たちの正面に立つとすぐに名刺を出す。
慌てて琴葉もぎこちなさはありつつも名刺交換をする。名刺には“ブランドマネジメント部チームリーダー 西田美玖”と書かれていた。

ショートカットの似合う小柄な西田は琴葉の目には30代後半くらいに見えた。

西田の隣にいる男性とも挨拶を交わし、名刺交換をする。
“プロモーション部チームリーダー勝木陸”と書かれている。
勝木は西田と同様に細身の男性で年齢も西田と同じくらいに見える。細身だが身長は涼と同じほどあり(180センチほどはあるだろう)肌は日に焼けているのか浅黒い。そのせいか、やけに歯が白く見えた。
こちらに、と言って彼らの後に続き、会議室へ通された。
長いオフィステーブルにそれぞれが腰かけた。プロジェクターやパソコンもセッティングされている。

では、そう言って口火を切ったのは、西田だった。
細くて華奢な彼女からは想像できないほど声に張りがあって“自信”を感じた。琴葉はどう見られているのだろう。



コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品