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シュガーレス・レモネード

umekob.

第13話 メッセージの送り主

「お疲れ様でーす」
「お疲れ様でしたー」
 同僚が次々と席を立ち、それぞれの帰路へつく頃。ブラインドの向こうではすっかり夜のとばりが下りていた。ふと顔をもたげた私は眼鏡を外し、壁掛けの時計に視線を移す。時刻は六時。定時である。
 気を紛らわそうと無心で仕事に打ち込んだおかげで、進捗状況的には定時で上がっても何ら問題はない。そもそも七時には家に武藤くんが迎えに来るのだから、そろそろ帰宅しなければ間に合わない。
 けれどどうにも気が重く、昨日の彼とのメッセージのやり取りも結局確認しないままだった。一方でその原因を作った真奈美さんは即座に席を立ち、「お疲れでぇーす」と高い猫撫で声を発してにこやかに帰宅していく。
 ハイブランドの服で身を包み、髪型も化粧もいつも以上に整えて去っていく後ろ姿。今から合コンの場へ赴くのだろう。あの人と武藤くんが共に夜を過ごしたのだと考えると、胸が更にずんと重みを増す。
 ああ、やだな。
 見たくない。考えたくない。
(……もう、武藤くんに、会いたくないな……)
 昨晩はあんなにも『会いたい』と思っていたのに、今では彼の顔すら思い出したくなかった。やはりあれは気の迷いだったのだ。
 彼の言葉に惑わされて、思考がほんの少し狂ってしまっただけ。狂った脳が、彼の与える口付けを甘いと錯覚してしまっていただけだった。
(帰ろ……)
 溜め息混じりに席を立ち、職場を出る。繰り出した街では黄色く色付いたイチョウが絨毯さながらに道を彩っていて、その色がまた彼の姿を彷彿とさせた。
 時刻はもうすぐ七時。待ち合わせの時が迫る。それでも彼と顔を合わせる事に踏ん切りのつかない私は、自宅の目の前まで辿り着いたところで、とうとうバッグからスマホを取り出してしまったのだった。
(今日、やっぱりだめだ……! 断ろう……)
 どうしても気持ちの整理がつかない。このまま会っても、余計な事を考えてしまって自分の重荷になるだけだ。そう判断し、連絡先一覧の中から『武藤 綾人』の名前を探し出した私は登録してある番号を迷わずタップする。
 耳元で繰り返す、無機質な数回のコール音。やがてそれは途切れ、彼が通話に応じた。
『……もしもし?』
 紡がれた声に、なぜだか胸が締め付けられる。私は苦しさを誤魔化し、口を開いた。
「……もしもし。ムトウです」
『うん。こちらもムトウです。……何? どうかした?』
「……あの……今、もう、うちの近くにいる……?」
『は?』
 おずおずと問えば、武藤くんは怪訝そうな声を発した。一瞬黙り込んだ彼だったが、程なくして『あー……うん……? まあ、近いっちゃ近い。距離的には、走れば五分ぐらいで行けそーな距離だけど』と続ける。ああ、もうそんな近くまで来ちゃってるんだ、と目を泳がせながらも、私は意を決して口火を切った。
「あの……っ! ご、ごめん! 今日、やっぱり行けそうにないの……!」
『……は? 何?』
「本当にごめん! 昨日行くって言っておいて直前でドタキャンとか、最悪だって自分でも分かるけどどうしても体調が優れなくて──」
『え? ちょ、待って待って。ごめん、何の話してんの? 六藤さん』
「……え?」
 一気にまくし立てようとした言葉を遮られ、私はきょとんと目を丸くする。「え、あの、今夜飲みに行こうって……昨日、武藤くんのアカウントからメッセージが……」と戸惑いがちに声を紡げば、『俺、そんなの送ってないよ』と予想外の返答が戻ってきた。
 アパートの前で足を止め、立ち尽くす私。「え……?」と再び声を漏らして眉根を寄せる。困惑する私を他所に、武藤くんは続けた。
『俺、六藤さんの連絡先は電話番号しか知らない。ショートメールなら送れるけど、それ以外は送る手段ないよ。そもそも俺、SNS系は何もやってないし』
「……え……え? でも、真奈美さんに、私のアカウント教えて貰ったんじゃ……」
『マナミさん? 誰それ、知らないけど。そいつが俺の名前出したの?』
「名前……は……」
 ──出されていない。
 そう気が付き、私はハッと目を見張った。よく考えてみれば、昨晩のメッセージの主も自身の名前を「綾人」だとは名乗っていない。登録されていた〝A〟というイニシャルだけを見て、私が勝手に武藤くんだと断定したのだ。
(え……? 待って、あれって武藤くんじゃなかったの? じゃあ私、昨日、誰に誘われて……?)
 得体の知れない誰かの誘いに乗っていたのだと判明し、私の背筋にゾッと悪寒が走る。そんな私の動揺を悟ったのか、武藤くんは低い声で続けた。
『じゃあ今、よく分かんない相手と待ち合わせしてんの? 何時に? そいつどこに来るって?』
「……い、家に……七時に、車で迎えにくるって……」
『は? 住所教えたわけ?』
「む、武藤くんだと思って……教えちゃった……」
『……今どこ』
 一層声を低め、苛立ったように問われる。私は息を呑み、震える声で「家の前……」と答えた。すると彼は舌打ちをひとつこぼし、『今からすぐそっち行く』と早口に告げる。続けて私に指示を出した。
『この電話、俺がそっちに着くまで切らないで。今もう七時。多分五分ぐらいで着くけど、もしかしたらそいつが迎えにくる方が早いかも』
「……え、あ……ど、どうしよう、私……っ」
『落ち着いて、大丈夫だから。とりあえず今すぐ家ん中入って、扉に鍵とチェーン掛け──』
 ──ブツッ。
 直後。突として途切れた会話。「え!?」と慌てて画面を確認すれば、スマホの画面は真っ暗になっていた。どうやら充電が切れたらしい。
「う、嘘でしょ、充電切れとか……! こんなタイミングで……!」
 ──ヴォンッ。
 焦りを口にした刹那──静かだった住宅街には、音漏れする重低音のサウンドと傾斜を乗り上げるタイヤの音が響いた。振り向けば、見慣れない自動車がアパートの敷地内に入ってくる。その車体を視界に捉えた瞬間、私は背筋を凍り付かせた。
 ああ、まずい。どうしよう。
 不安を隠しきれず、両手をぎゅっとスマホと共に握り合わせる。やがて車のライトは消え、エンジンと重低音も止まり、運転席からは一人の男が出て来た。その顔には見覚えがある。
「お待たせ〜。あの合コン以来だね、会うの」
「……っ」
「じゃ、今夜は楽しもっか──六藤ちゃん」
 にこり。いびつに笑ったその人。
 見覚えのある彼は、真奈美さんに連れていかれた先日の合コンで、私にしつこく迫っていた男だった──。

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