シュガーレス・レモネード

umekob.

第9話 溺れるみたいな夜の月

 バルを出てバスを乗り継ぎ、歩き慣れた帰路を進む。酔いつぶれた佐伯くんはタクシーに詰め込み、家まで送り届けてもらった。
 普段一人で歩くこの道を、誰かと並んで歩いているなんて……なんだか変な感覚だ。やがて辿り着いたアパートの階段を上がり、私は自宅の鍵を解錠した。
「……どうぞ。あんまり何もない部屋だけど」
 玄関の扉を開け、武藤くんを部屋に招き入れる。電気を付ければ、やはりいつもと変わらない私の部屋が出迎えてくれた。パンプスを脱いだ私に続いて、武藤くんも「お邪魔します」とスニーカーを脱ぐ。
「リビングのソファに座ってて。私、ちょっとシャワー浴びて着替えたくて……その、焼肉行ったから……」
「ああ、焼肉だったんだ。なんか煙っぽい匂いするなと思ってた」
「う……っ! て、テレビとか、好きに見てていいから! ちょっと待っててね!」
 分かってはいたことだが、改めて「煙くさかった」と告げられると羞恥心が増し、私はそそくさと脱衣所へ逃げ込んだ。これまでにも何度か異性と二人きりになる機会はあったが、武藤くんが部屋にいると考えると今までになく緊張してしまう。
(……今から、武藤くんと、しちゃうんだよね)
 そう考えて視線が泳ぐ。あれよあれよと言いくるめられて、結局家まで連れてきてしまった。きゅう、と無意識に握り込んだ両手。心臓はどくどくと早鐘を打つ。
 ああ、私、今からまた武藤くんとそういう事をするんだ。彼と淫らな関係になる事をあれほど拒んでいたはずなのに、分かっていながら家に入れてしまった。
 流されやすい自分に嫌気が差しつつ、浴室に入ってシャワーを浴びる。まとった泡のシトラスの香り。どこか私を咎めているような気さえするそれは、やがてお湯と共に排水口へと流れていった。

 *

 着替えを終えた私は軽く深呼吸を繰り返し、出来うる限り平常心を装って脱衣所を出る。リビングの扉を恐る恐ると開ければ、ソファに腰掛けた武藤くんがスマホで動画を見ながら私を待っていた。
「おかえり。長かったね」
「あ……ご、ごめん! 待ちくたびれた……?」
「いや、別に」
 表情もなく告げた彼はスマホを伏せ、私の顔をじっと見つめる。「六藤さん、すっぴんだ」と続けた彼に、私は恥ずかしくなって顔を逸らした。
「……あ、あんまり見ないで」
「何で? 別に違和感なくない? 元々そんなに化粧濃くなかったし」
「で、でも、やっぱり気になるというか……」
「あー、でも、確かにすっぴんの方が少し幼く見えるね。しかも中学ん時のジャージでしょ、それ。下に履いてるやつ。……なんか、あの頃の六藤さん見てるみたい」
 そう続けられ、きゅっと胸の奥が狭くなる。正直、少し狙ってこれを履いたとは口が裂けても言えない。
「わ、私、あの頃とあんまり体型変わらないから、今でも履いてるの」
「あー、そうなんだ。俺、高校でだいぶ身長伸びたからもう履けなくなった」
「あ……中学の時、武藤くん小さかったもんね」
「は? 小さくないし」
 顔を顰めて拗ねたようにこぼし、武藤くんは背もたれに体重を預けて不服げに首元を掻く。その反応がなんだか新鮮で、彼の横に腰を下ろした私は微笑みながら言葉を続けた。
「私と身長同じぐらいだったよ、武藤くん」
「……そーだっけ? もっとデカくなかった?」
「ふふ、大きくはなかったと思うなあ。手の大きさも私と同じぐらいで、顔も童顔で……どちらかと言うと可愛かったよね」
「……可愛いって言われても、なんか複雑なんだけど」
 不服気な一言と同時に腰を抱かれ、ぐっと強く引き寄せられる。一瞬で息を呑めば、「こんな本能剥き出しの男、どこが可愛いわけ」と彼は不満げに囁き、私の肩口に唇を押し付けた。
 続けて腰元に回されていた手が肌の上を滑り、胸元へと上がってくる。服の上から膨らみを捉え、やんわりと包み込まれて肩が震えた。
「……っ」
「……六藤さんこそ、体型変わってないとか言ってるけどそんな事ないよ。明らかに成長したでしょ、ここ」
「む、武藤くん……手……!」
「脚とかは、昔からすごい綺麗だったよね。陸上部だったのにそんなに筋肉質じゃなくて、スラッと長くてさ。短い髪の後ろから見えるうなじとか、水飲んでる時に水滴が唇からこぼれて喉元に流れていくのとか……ずっとエロいなと思いながら見てた。──ほら、全然可愛くないじゃん? そんなもんだよ、男子中学生って」
 囁き、片手でやんわりと膨らみを揉む武藤くん。続いて空いた手が上着のファスナーを下ろしていく。やがてそれを全て開け放った彼は、私をソファに押し倒すと着ていたシャツを捲り始めた。
「ま、待って……!」
「やだ。もう何年も待った」
「あ……」
「俺が今まで、どんな思いで六藤さんのこと引きずってたと思ってんの。……もう待てねえよ」
 やや粗暴に吐き捨て、背中に回された彼の手が下着の留め具を容易く外す。私は困惑し、揺らぐ視界の中に彼を映した。
「……っ、武藤、くん……」
「何」
「これ、ただの……練習、なんだよね……?」
 首元に口付けられ、素肌の上を伝う指先。甘い痺れが背筋を波立たせて吐息に熱が籠る中、問いかけた私に顔をもたげた武藤くんが目を細める。
「そうだよ、練習」
「あ……」
「──今は、ね」
 色香を帯びた声が紡がれ、つうと背中に指が這った。思わず上擦った声がこぼれた私の耳元では何らかの包装を噛み破る音が響き、潤んだ瞳を薄く開けば黄色い飴玉を口に咥えた武藤くんと視線が交わる。
 ころり、口内に消えた飴玉。すぐに噛み砕かれ、同時に唇が重なる。舌に広がる檸檬味を嚥下して、無骨な指先が胸や背中に触れて。ぞくりと肌が粟立つ感覚に、細めた瞳を覆うまつ毛が震えた。
 息を吸っても、吐いても。君の檸檬の香りが、ずっと鼻腔にまとわりついて離れない。
 消える証明、軋むソファ。揺らめくカーテンの隙間からは、中途半端に丸みを帯びた半月はんげつの明かりが漏れている。
 ああ──まるで深い酸味の中に溺れるみたいだ。
「……顔、真っ赤。手もすごい握り込んでるし……緊張してる?」
「す、こし、だけ……」
「大丈夫、優しくするから。力抜いてて」
 ──結衣。
 下の名前を耳元で囁かれ、節くれだつ手が次々と衣服を剥ぎ取る。素肌に直接触れられて、檸檬の残り香が鼻先を掠めた頃──しなう背中に回された手は、溺死しそうな私の身体を優しく掬い上げた。

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