怪獣対巨人!赤灼鋼帝レッドカイザー 始まりの炎と無限の宇宙

牧名もぐら

第十話 アバンシュ-8

 木々を走り抜き、川を超え、いくつもの山岩が脇を抜けていくのに目もくれず、延々と走り続け一刻半も経つ頃には、イャノバは奥の里の哨戒の戦士を見つけた。東の里のときと同じように無視していこうかと思ったが、逸る気持ちを押さえて友好的な態度をとるよう心がけた。
 イャノバは息も絶え絶えで、今にも絶命しそうなほど顔色が悪く、体から発する熱は陽炎を生み出していた。ろくに言葉を発せないながらも、自分は敵ではなく浜の里の人間なのだと説明して、浜の里のものを連れてきて欲しいと頼んだ。
 ひとりがイャノバを見張り、もうひとりが近くの“家”へ戻った。イャノバはへたり込みそうになったが、自分が里を出てから都合二刻が過ぎていると思うと、次の瞬間には再び走るために気を揉みながら立ったまま休息をとった。
 戦士はすぐにイャノバの顔馴染みを連れて戻ってきたが、イャノバにとっては百日がとうに過ぎた心地だった。
「おまえ、イャノバか? 何年ぶりだ、偉い大きくなったな!」
「エンタダ、急で申し訳ないんだが女がいる。ひとりでいい、おれにつけてくれ。用が済んだらすぐに返す」
「何だお前、ウタカじゃ物足りねえのか」
「違う! そのウタカが産気づいているようなのだ。実のところは分からんが、多分そうだ。なんにせよ産婆がいる、女がいなくては困るんだ!」
 エンダタはイャノバの倍は生きている年の功と丸い体の印象通り穏やかな性格だったが、これにはさすがに考えるような仕草をとった。やがて得心がいったように声を漏らすと、イャノバに返した。
「家父に聞かなきゃならねえが、多分大丈夫だ。他の連中にも話を通して、みんなでお願いしてみるよ。今日は泊まっていくか? ああ、さすがに家には入れてもらえねえかな……」
「泊ま……? いや、今すぐ必要なんだ。ウタカは今苦しんでいるんだ、今すぐに帰る必要がある!」
「今? 待てよ、浜の里からここまで三日はかかるぞ。イャノバ、まさかお前、産気づいたウタカを置いてここまで来たのか!」
 エンダタは信じられないものを見る目をイャノバに向けた。
 またか!
 先刻東の里でもあったやりとりだ。そんなことではウタカはおうとっくに死んでいるぞなどと言われる前に、イャノバは釈明した。自分は英霊の加護を受け、一刻ほどかけてここへ走ってきたのだと。
 それはいくらなんでも無理な話だった。どんなに足が早くとも二日はかかる。ここに立っているイャノバは多少疲労が見えるが、二日を強行してきたというのも信じがたかった。エンダタはしかし、イャノバの尋常でない必死さを受け止め、是非はともかく今が一刻を争うらしいということは飲み込んでくれた。
「だがイャノバ、今は非常に間が悪い。この里でも出産があるんだ。今は女たちは総出で里長の“家”に詰めている」
「そ、総出で?」
「一度に二人だ。寒季明けにはもっと多くの赤ん坊が生まれる予定だから、女たちは熱心なんだ」
 イャノバは愕然とした。ということは、里から出られない女ばかりなのでは。盲点だった、普通は赤ん坊は寒季明けに生まれる。この時期には多くの女が腹を温めて過ごすのだ。いかにイャノバが素早く走れても、その背に何刻も揺られるわけには行かないのだ。
 だが、全員が全員子を孕んでいるはずはない。
「ひとりでいいんだ、エンダタ、いないのか!」
「もちろんいるが、ダメだ。里長の“家”には今里長と家父以外の男は近づけん」エンダタは会話を聞いている奥の里の戦士二人をちらと見た。「当然だが、お前にその場所を教えることもできん」
 イャノバの取れる選択は限られてきた。待つか去るかだ。自分の持てるもの、できることを再確認しながら、イャノバは最大限譲歩して、ここで待つことを考えた。
「待てばどれくらいかかる」
「分からん。実は朝早くから女たちはいない。家父の言うところにはどうやら難産らしい、よくわからないが。二人のうち、少なくともひとりが延々苦しみ続けている。もしくは亡くなって、あ、いや」
 戦士の眼光に、エンダタは頭をかいて誤魔化した。
「イャノバ、悪いがおれにできることはなにもない、すまない。せっかくここまで来たのに……おれに言えることは、はやくウタカのもとへ戻って側にいてやれという、それだけだ」
 イャノバは呆然とエンダタの言葉を聞いていた。心に冷たい風が吹き込んできて、イャノバは凍えた。何が自分の足を動かしているのかも分からないまま、イャノバは歩き出した。
 雲の向こうで日が暮れたようで、あたりは暗くなりつつあった。気温はどんどん下がり、やがて雪が降りはじめた。イャノバはとぼとぼと帰りながら、どうしてか日暮れからそう立たない時間には浜の里へ帰り着くことができていた。肩で息をすると、世界に自分の居場所などないように、澄んだ空気に自分の体が溶けていく。
 屋敷から明かりは漏れていなかった。中に入ると、しんと寒く、一つの気配もなかった。囲炉裏には残り火もない。
 血のにおいがイャノバの鼻をかすった。夜目が利いて、そこにある何かをイャノバは抱き上げた。知っている形、大きさ。冷たく、重く感じる。乾いた細枝のように堅い。下の方にも塊があった。二つの小さな、冷たい塊もイャノバは拾い上げて、抱きしめた。
 東の里に行った時に女に言われた言葉が反芻された。エンダタの人非人を見る目を思い出した。
 なんとかなる、なんとかできると思ったのだ。イャノバは自分の力があれば、この身を引き換えにしてウタカひとりを守ることもできると考えていた。そうして逃げるように走り出してしまった。ウタカはひとり、孤独とともに死んだ。その子らは、一度として名前を呼ばれないまま凍えた。
 イャノバは自らの弱さを呪い、泣くことしかできなかった。闇の中でひとりすすり泣いて、ウタカと二人の赤子を強く抱きしめた。また一つ失ってしまった。大切なもの、これから大切なものになるはずだったもの。ウタカが弱り、苦しんでいることから目を背け続けた全ての報いに思えた。ウタカのことを想い、浜の里から奥の里へ行くべきだった。イャノバは奥の里に顔なじみがいるとは、ついに言わなかった。言ったら、行きたがるだろうと、この里から離れたがるだろうと。
 ウタカは痛みと寒さと絶望の中で死んだ。イャノバは悔いる気持ちが止まらなかった。嗚咽は大きく、体はどんどん熱くなっていった。
「すまん……ウタカ、すまん……おまえたちも……本当に、すまなかった……」
 途切れ途切れに、震える声で懺悔した。熱い涙がウタカの肌へ落ちた。冷たいその体を、自分の体で温めるように、寝る子をあやすように――イャノバは体をゆっくりと揺らした。
 せめて安らかに天に上ってくれと祈りながら、イャノバはウタカに口づけをした。長い接吻だった。これで終わりだと思いながら、唇と唇を重ねるだけの愛撫にイャノバは永遠を感じた。
 じっと唇と押し当てていると、ウタカの唇も熱を持ちはじめたようだった。再び生を得たような錯覚で、抱きしめる体も熱にほぐれたように柔らかく戻っていく感覚があった。
「……?」
 違和感にイャノバは一度唇を離し、ウタカと子供の亡骸を抱き直した。
 かすかに熱がある。体が生気を得つつある。
 イャノバはこの希望に、無心でウタカの唇と自分の唇を重ね続けた。夜が更けてどんどん冷えていくが、イャノバは火を起こすこともせずにじっとしていた。
 時折口を離してはウタカの名を呼んだ。そしてまた口をつけた。それを何度も繰り返した。腹が減ったが知ったことではなかった。走り通しで喉も乾いていたが、些末なことだった。自分の命と引換えにウタカを救えるのならそれでいいと思った。
 どれほどの時間が経ったのか、イャノバには分からなかった。
「ウタカ」
 イャノバが涙を流しながら問いた。
「……はい」
 静かに、弱々しい声が返ってきた。ふたりの赤ん坊も、呻くような声を上げた。
 イャノバは火を起こして、毛皮を被り三人の愛しいものを抱きながら夜を越した。干し肉を自分でよく噛んでウタカに飲み込ませた。ウタカはへその尾を切り、母乳を与えた。
「寒くないか。何かしてほしいことはあるか」
「大丈夫。とても暖かい」
 イャノバもまた、三人の温もりに疲れを忘れた。三人が自分の腕の中で寝息を立てることに幸福を覚え、再び目を覚ますまで少しも動かずに見守っていた。
 外が明るくなり始めて、イャノバは目覚めたウタカに自分のしたことを話した。
 腹の大きくなるウタカに不安を覚えたこと、奥の里の存在を秘密にしたこと、海の向こうからやってくる“里の終わり”についての恐怖。
「あたしがあなたの大事なものを蔑ろにしたことがあった?」
「いや……ない」
 ウタカはイャノバと共に、この浜の里で暮らす決意をしてくれた。他の里を探しに行こうとは言わず、それが答えだった。
「あの御方に感謝をしないとね。あなたにその力を与えて、あたしたちを救ってくださったんだから」
 アキノバのことだった。ウタカにはこの奇跡が、イャノバに宿った力のわざだと分かっていた。イャノバはそれに頷いて、少し考えてから言った。
「ウタカ。奥の里へ行こう。お前にはつらい思いをたくさんさせた。おれはもうお前を悲しませたくない」
「イャノバ……」
 二人の子供は男児と女児で、それぞれイャロカ、セヌカと名付けた。
 イャノバは手早くウタカと二人の子が乗れる木組みの背負い籠をつくると、三人を毛皮にくるんで乗せ、アキノバの人形と持てるだけの食料を持って里を出る支度をした。
 イャノバは最後の海を目に焼き付けるように見て、雪の浅く積もった荒野を歩き出した。
「あまり揺れないように、ゆっくり歩く。寒くなったらすぐに言え」
「うん、分かった」
 空は相変わらず灰色で、雪は絶えず降り続いていたが、イャノバは芯まで温かい気持ちでいた。

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