異能力で異世界充実

田所舎人

第一章 第一節 転移

 蝉の鳴き声が響く夏。クーラーが効いた部屋。中世ファンタジーを舞台にしたアニメが流れるモニター。
 ヘッドフォンを掛けてアニメに没頭する俺。
 国立工業大学に合格し、一人暮らしを始めて大学生活を謳歌しようと思ったのは五年前。
 そして現在、前期を終えて留年が確定。現実から目を背け、アニメで夏休みを浪費していた。
 現実に立ち返れば、単位は足りている。ただ、必修を一つ落としただけ。そう何度も自分に言い訳をする毎日。辛い現実を直視すれば憂鬱になる。
 しかし、現実に目を背ける俺でも現実に立ち返らなければいけない時がある。空腹と便意だけは無視できない。
 再生していたアニメを一時停止する。白い雲と緑の森、赤い髪と黒い剣のワンカットがモニターに表示される。主人公が全ての戦いを終え、一人となったシーン。晴れ晴れとした場面の筈が、俺には物悲しく見える。
 トイレを済ませ戻ってくると、モニターに蚊が止まっていた。俺はそいつを叩き潰そうと日焼けしていない手を伸ばす。しかし、蚊を叩き潰す感触も、クーラーで冷えたモニターの感触もない。当たり前のように画面に埋没する俺の指先。
 アニメの見過ぎか?
 全ての時間をアニメに費やし、現実と虚構の境界があやふやとなっていた俺がそう思うのも無理はない。もしかしたら、本当に夢を見ているのかもしれない。それほどまでに現実味が無い。
 モニターに飲み込まれた指先を引き戻すが傷一つ無く、無意味に手をじっと見つめて握っては開く。きちんと動くし、異常も無い。
 俺は特に何も考えず、今度は腕を突っ込む。異常は無い。
 この向こうには何があるんだろう?
 湧き出した好奇心に従ってモニターの枠に手を掛けて頭から突っ込んだ。すると、足を滑らせ頭から転落した。
 血の気が引き、真っ白な視界が広がったかと思えば火花が散るような痛みが頭に走る。
「……なんなんだ」
 頭から転落した逆様の姿勢のまま周囲を見渡すと木造の壁が見える。
 もしかして、アニメの世界に入り込んだのか?
 そんな冗談みたいなことを考えたが、あのアニメにこんなワンシーンがあっただろうか。
 立ち上がり頭を擦りながら改めて室内を見渡す。どうも木造家屋の一室のようだ。近代的な調度品は無く、中世を舞台にした高精細ゲーム世界に迷い込んだような感覚だ。
 アニメの世界観とは少し違う。
 そんな印象を抱きつつ俺は自分の体が妙に軽い事に気づいた。それに体が張っていて、耳鳴りがする。耳抜きをしてみるとすぐに耳鳴りは治った。まるで電車でトンネルを通過する時の気圧の差によって生じるそれのように感じた。
 俺の部屋に比べて気圧が低いって事になるのか? それにクーラーがかかってもいないのに涼しいってことは夏じゃないから……たぶん、日本じゃないんだろうな。
 そんな推論を並べながら振り向くと背後の壁に掛けられていた絵に目を奪われた。白い雲と緑の森、赤い髪と黒い剣。あのアニメのワンシーンが飾られていた。
 マジマジとその絵を眺めてみる。あのアニメのワンシーンに非常に似ているが立体感がある。
 多分これは油絵みたいなものなのだろう。病院でこんな絵が飾られているの見た事があった。
 まじまじと絵を鑑賞していると突如、男の怒号と女の叫び声、それに獣の唸り声のようなものが外から聞こえてきた。
 嫌な予感から、何か近くの暖炉から火掻き棒を手に取る。見た目は鉄なのにアルミのように軽かった。
 ドアから出ようとした時、一瞬立ち止まり反射的に足元を見る。当たり前だがそこに俺の靴はない。
 裸足で外に出るなんて小学生以来か。
 意を決してドアを開き、周囲を見渡す。どうやらここは村らしい。
 俺がいる地点から約二十メートル程離れた広場で十数匹の狼に似た四足の獣が村人達を囲っている。村人は農具を手に応戦しているようだが、獣の方は冷静に距離を保っている。まるで獲物の体力が尽きるのを待つかのように。
 俺は物音を立てないようにそっと静かに外に出る。
 なんかやばい感じだな……。
 村人達を助けるか躊躇していると、村人を囲っている獣とは別の獣が俺に気づき、威嚇をしながら近づいてくる。まるで、村人を助けようとするならお前を咬み殺すぞと言わんばかりに唸る。
 マジで怖い。逃げるか戦うか。逃げるならどこへ? 戦うならどうやって?
 牙を光らせ、涎を垂らし、グルルと唸り距離を詰める獣。噛まれれば間違いなく腕を持ってかれるだろうと直感する鋭い牙に目を奪われる。
 直ぐさま逃げ帰りたい気持ちでいっぱいだ。足が竦み、呼吸が乱れ、火掻き棒を握る手に力が入らない。
 突如、肩に鋭い痛いが走る。
 耳元でグルルと唸り声が聞こえ、それが獣であることを頭で理解すると同時に恐怖に襲われ、反射的にその獣を振り払おうと獣の上顎に手を掛け--握り潰していた。
 自分でも何が起きたのか分からなかった。恐怖が先歩きして、馬鹿力が出たのかどうかも分からない。ただ全力で獣を振り払おうと力の限り掴んだだけだった。それで獣の上顎が潰れてしまった。
 襲われた俺自身は背後から噛まれたにもかかわらず、獣の牙の鋭さから想像したほどの痛みは無い。逆に俺に噛み付いてきた獣の方は上顎が潰れ倒れている。しかし、危機が去った訳でもなく、目の前には先程まで睨み合っていた獣が一匹。
 倒れている仲間には目もくれず、獣は一鳴きして数匹の獣を呼び寄せ、瞬時に俺を囲んだ。
 しかし、そこまでの窮地に居ながら、俺は不思議と恐怖心が薄らいでいた。なぜなら、俺は不意打ちを受け、背後から噛み付かれたにも関わらず、血の一滴も出ていない。ちょっと力強い肩揉みを受けた程度の痛みが走っただけだ。
 もしかして、俺って強い? 異世界転移でチート能力か?
 牙を剥き出しにした獣の一匹が俺を咬み殺そうと飛びかかってくる。
 試しにと火掻き棒を構えて獣に向かってフルスイングで迎撃した。するとその獣はギャグ漫画のように空中回転を見せ、顔面から着地した。完全に死んだなと俺が思った直後、獣の体は音も無く黒い煙となって死体は無くなり、代わりに綺麗な石を残した。
 その綺麗な石が何かを確認する間もなく他の獣が数体、同時に襲いかかってくる。唸り声が背後からも聞こえた。
 決死の覚悟で一歩を踏み出し、正面の獣をなぎ払って頭を叩き潰す。獣は悲鳴も上げず、また石のみを残して消え去る。
 その仲間を殺された報復とばかりに獣達は俺の腕や足を噛み付く。しかし、というかやはり、致命傷になるほどの傷は負わないが、それでも痛いものは痛い。
 俺はいつの間にかひん曲がった火掻き棒をその場に捨て、獣に噛み付かれたまま手近な家に近づき、乱暴に腕や脚を振り回して獣共を壁に叩きつける。直ぐさま消えないあたりは死んでいない証拠だと判断して、思いっきり蹴り上げたり踏み潰したりすると石を残して獣は消え去った。
 殺しても死体が残らないなら不思議と罪悪感が無い。
「内出血してるな」
 改めて自分の腕を見てみると唾液まみれの上腕は赤い斑点がポツポツと浮いていた。さすがに無傷というワケにはいかなかったらしい。直に噛みつかれて、この程度で済んでいるなら僥倖だろう。
 改めて周囲を見渡すと、村人らを囲んでいた獣達はすぐに村の外へ出ていった。
 残るは俺と、腰を抜かした村人達だけだった。いや、腰を抜かした村人だけではない。怪我人がいることに俺はここで初めて気付いた。
 村人達がすぐに逃げなかったのは囲まれていたからではなく、怪我人を守るためだったらしい。
「おい、大丈夫か!」
 村人達に駆け寄り、怪我人の様子を遠目に見る。爪で切り裂かれたような裂傷が背中に痛々しく走っていた。
 筋肉質な男が俺に近づいて手を取ってきた。
「■■■■、■■■」
 俺にはさっぱり分からない言語だが、たぶん感謝を言われているのだと思う。
 発音としては母音がはっきりしているから現実で言えば日本や中国、韓国のような東方な感じがする。感じがするだけで意味は分からない。
 その言葉に対して俺の反応が鈍かった事が相手に伝わったのか。俺が言葉を理解していない事を向こうは察したらしい。
 とりあえず、俺は怪我人を治療することを優先する事にした。
 ある程度の推測をしているが、ここは異世界か、アニメの世界か。なんにしろ、現代ではないと当たりをつけていた。
 こういう場所では民間療法による薬草みたいな方法があるんだろうけど……。
 俺は瞬時の閃きから踵を返し、さっきの民家に入って例の絵の前に立つ。
 絵に右手を伸ばすとズブリと右手が埋没する。
 やっぱり。
 俺は躊躇することなく絵に飛び込んだ。

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