アフォガード

小海音かなた

Chapter.7

 結局、椎木さんは閉店時間までいて、店長に退店を促されてしぶしぶ席を立った。注文は逐次してくれてありがたかったけど、正直かなり疲れた。
 椎木さんにも無駄な時間とお金を使わせてしまったと申し訳なくなる。自分の判断力のなさがうらめしい。
 はぁ。無意識に大きな息を吐いてしまった。なんなら肩もうなだれる。
「送ってくわ、帰り。さっきの人、おったら嫌やろ」
 驚きと嬉しさと意外性とで言葉を失くした私に
「あっ、嫌やったらええねんで? おれまでしつこぉしてもなぁ」
 店長が慌てて付け加える。
「い、いえっ! 店長さえよければ! ぜひ!」
 椎木さんがいようがいまいが、送ってもらえるのは嬉しい。
「そぉ? じゃあ一緒に帰ろ」
「ありがとうございます。でも、行って戻ってになっちゃいますよ?」
 店長の住居は店の二階で、私の家までの往復時間が無駄になってしまう。
「ええよそんなん。心配してソワソワ待ってるより全然ええわ」
 うぅ。どうしてそういう、ときめくようなこと言うかなぁ……。
 お店の常連さんが以前言ってた“店長は人たらしだから~”という言葉を思い出す。きっとモテるんだろうな~と思うけど、そういう話をあまり聞いたことがない。
 バックヤードで帰り支度をしていると、店長も同じように支度を始める。準備
を終えてロッカーを施錠すると、店長がキーケースの鍵をチャラと鳴らした。
「準備できた?」
「はい」
「じゃぁ行こか」
「はい」
「家の住所はおぼろげにわかるけど、場所までわからんかも」
「あ、それは、案内します」
「うん、お願いします」
 普段のように雑談しながら裏口を出ると、そこに人が立っていた。
「あ」
 壁にもたれかかってた身体を起こして、椎木さんが笑顔を見せる。が、身構える私の前に出た店長を見て表情を曇らせた。
「こんばんは。さっきまでお店にいらしてた方ですよね?」
「う、は、はい」
「彼女に、なにか?」
「いや、夜遅いし、家まで送ろうかと」
「あぁ、そうなんですか。お気遣いありがとうございます。ボクが送るんで大丈夫ですよ」
「あなた、なに?」
「あぁ、ごめんなさい。自己紹介もせずに」店長は営業スマイルを浮かべたまま、言葉をつむいでいく。「わたし、この店の店長で、佐奈田っていいます」
「へぇ。店長さんって、こういうお仕事もするんですか」
「あぁ、いえ。送っていくんは仕事やなくて……実はボクら、お付き合いしてるんですよ」
 店長のセリフに椎木さんと私が同時にぎょっとする。でも顔を見られたら嘘だってバレちゃうから、とっさに店長の背中に隠れた。
「いや、そんな、彼女、そんなこと」
「えぇ、ボクが“周りに言わんとって~”って無理ゆうたんで」
「だったらあんな、食事会に参加しないでくれよ」
「あぁ、それもすみません」店長が頭を下げる。「いや、なんやいい雰囲気になった人おったって聞いてぼくも焦ってもうてね? ダメ元で言ったら、オッケーもらえて」
 なっ、と振り返った店長に、私は小さく何度かうんうんうなずく。
「ラッキーでしたわ~」
「そ、それならそうと、早く言ってくれれば」
「お店の中ではそういう関係なの、内緒にしてまして、言うに言えなくて」ほんま、すみません。と店長が再度頭を下げる。その後ろで私も同じように頭を下げた。騙して、ごめんなさい。
 椎木さんはたじろいだまま、無言で私たちの姿を見ていた。
「食事会に参加したときはボクらまだそういうんじゃなかったんで、責めんとってやってください」
 店長の言葉が終わって、私は再度、頭をさげた。どこかで思わせぶりな態度をとっていたんだったら、それは本当にごめんなさい。けれど、本人に確認せずに誰かから連絡先を聞いたのも、それを誰かが教えたのも、ルール違反だと思う。
「お友達にもまだ言えてないのと、店の中でそういうの言うとお客さんに気ぃ遣わせるんで、どうかご内密に」
 それじゃ、失礼します~。店長がお辞儀をして、私の手を取って繋ぎ、歩き始めた。
 椎木さんは苦虫をかみつぶしたような顔で、その場に立ち尽くしていた。

* * *

 二人で手を繋いで夜道を歩く。右手に感じるぬくもりが嬉しいはずなのに心は重い罪悪感を抱えて沈んだまま。
 店長はなにも言わずに私を引いて歩を進めてる。
 頭の中に浮かぶのは、椎木さんの苦い顔。
「……ごめんなさいって、言えなかったです……」
「ええねんええねん」うつむく私に店長が明るく続ける。「あの人んなかで悪者わるもんなんはおれになったはずやし、森町さんはなーんも気にせんでええよ」
「でも、色々無駄に使わせてしまったし……」
「この先きっとネタになるし、森町さんにそうして失敗したから次からはせんとこ~って修正できるかもしれんやろ? お互いこの先の人生で今回のことが役立つかも~って思っとき」
 繋いだ手をわざと振って、店長は歩き続ける。それは夜泣きする赤ちゃんをあやす動きのようで、なんとなく子ども扱いされている気がする。それでもなんだか嬉しくて、その手を離すことができない。
 少し遠回りをしながら、大通りや路地をぐるりと回る。途中でコンビニへ寄って
「ついてきてはなさそうかな」
 ちらりと外を見て、店長がつぶやいた。
 右手のぬくもりはもうなじんでいて、いつもそうしているような錯覚を抱いてしまう。
「気疲れしたやろ。なんか甘いもんでも買うてく? おごるよ?」
「あ、いえ……」


 それより――そばにいてほしい。


 なんて、言えない。

 本当に付き合ってるわけじゃないんだから、これ以上は甘えられない。
「だいじょぶです……」
「そう? じゃあちょっとおれ、飲み物買ってくるわ。饒舌になりすぎて喉乾いてもた」
 店長が笑って、そっと手を離した。右手に残る体温を、私はもっと欲しがっている。
 いまの気持ちを伝えたら、店長はどうするだろう。
 今回のことをきっかけにするのなんて最低だから、言葉をぐっと飲みこんだ。


 会計を終えた店長は「お待たせ。行こ」私に声をかけて、コンビニの外に出る。「ちょっと待っててね」
 言って、小さなペットボトルのふたを開けて、ミネラルウォーターを何回かに分けて飲み干した。タオルを絞るようにペットボトルを小さくして、コンビニの前にあるリサイクルボックスに放り入れる。ラベルとキャップは分別して別の箱へ。
 店長っぽいなぁ、と思って眺めていたら
「ん」
 小さく言って、左手を差し出した。
(いいの?)
 ダメって言われたらいやだから、なにも聞かずに右手を出して、細くてゴツゴツした指に重ね、今度はいつ触れられるかわからない指先に、そっと指を絡めた。

* * *

 翌日、名取さんからメッセが来た。

『椎木にメッセのID教えたのオレです、ごめんなさい。』
『どうしてもって聞かなくて。迷惑かけて申し訳ない!』

 やっぱりかぁ。予想が当たって残念だけど、個人情報の漏えいが最少で済んで良かったと思う。
 少し悩んでスマホの画面をタッチして、返信を打ち込む。

『大丈夫です。お気になさらないでください。』
『椎木さんに、嫌な思いをさせてすみませんとお伝えください。』

 結局、直接謝ることもできず、人任せにした私は最低な人間だ。

 それ以来、椎木さんからも、名取さんからもメッセが来ることはなくなった。
 紹介してくれたほのかちゃんからもたくさん謝られて。でも友達はやめたくないって言われて、それがとても嬉しくて。店長が言ったようにあれはあれで色々な良いきっかけになったと思えるようになった。

「またなんかあったらいつでも頼って? 送っていくのはもう、毎回にしよ」
 店長からそんな提案をしてもらえたから、いまでは感謝しているくらいだ。
 って報告したら、ほのかちゃんと悠子がものすごく食いついてきた。
 それっててんちょーも好きなんだって、とか、絶対脈あるから押しちゃいなよ、とか色々応援してくれたけど、実行に移すことはできなかった。
 もしかしたら私が、勘違いをしているだけかもしれないから。

 余談だけど、椎木さんとほのかちゃんのお兄さんはいまも仲良しで、椎木さんは相変わらずほのかちゃんに“可愛い子紹介してよ”と言っているらしい。
 元気そうでなによりだと思うけど、ほのかちゃんはちょっとは懲りろっつーの、ってぷんすか怒っていた。
 名取さんはどうやら三股していたことが本命の彼女にばれて、ものすごく高価なバッグを買う羽目になって大変だと嘆いているそうだ。
「そんなやつを紹介したかと思うと情けない」とは、ほのかちゃん談。
 一方で悠子と山中さんはデートを重ねているそうで……「山中さんもかえでと同じで、ドタキャンした人の代打で来たんだって」だから、椎木さんとか名取さんとは普段そんなに親しいわけじゃなくて、まじめな性格の人っぽい、と悠子ちゃんがノロケ交じりに教えてくれた。
「なーんだ、じゃあ好きな人いないの私だけじゃん」
 ぷくっと頬をふくらませたほのかちゃんを、悠子と私はほほえましく見守るのだった。

* * *

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