青春クロスロード

Ryosuke

夏休み その3 真夏の神宮決戦②

 そんな回想をしていると返信のメールが2分ほどで返ってきた。四葉曰く7番ゲートから入り左側に歩いて来てくれれば声を掛けてくれるとのことだった。

 二郎は言われたとおり目の前の【7入口】と標識のあるゲートから球場へ入り階段を登ると、そこには一面に綺麗に整備された緑とオレンジの人工芝が広がるグラウンドとこれから始まる試合への期待と興奮を秘めた高校野球ファン達が詰めかけていた。

(壮観だな、昨日の陸上大会には申し訳ないけど会場の雰囲気はこっちの方が何倍も迫力があるな。さすがに夏の代名詞の甲子園だけはあるけど、それにしたって予選でこれだけ人が来るなんてたいしたもんだわ)

 一通り周囲を眺め空気を味わった後で二郎は通路を左手に、つまりは三塁側に歩いて行くと声がかかった。

「二郎君、こっちだよ」

 声を掛けたのはもちろん四葉だった。四葉は2日前と同じくラフな格好で膝丈のハーフパンツにポロシャツを着て、キャップを被っていた。どうやらこの野球帽は菅生野球部の帽子で弟君にでも借りているようだった。

 四葉は取っておいてくれた席の上の荷物をどけて手招きをした。二郎が階段を降りて31と書かれた列で足を止めると66番とある通路側のシートを譲ってくれた。

「ありがとう、四葉さん。よくこんな良い席を取れたね。もしかして朝から来ていたの」

「10時過ぎくらいからかな。午前中に両校1時間ずつ練習するから、それを見るために早めに来たから良い席が取れたんだよ。球場の雰囲気はどう、すごいでしょ」

「本当にスゴイね、初めて野球の試合を生で見るけど、予選でこんなに人が来ているなんて思わなかったから驚いてるよ」

「私も小さい頃初めてお父さんと一緒に野球の試合を見に来た時は驚いたもん。良いよね、私好きなんだ、この雰囲気が」

 子供のような満面の笑みで語る四葉の姿を見た二郎はここにいる四葉が本当の四葉の姿なのだろうと思うのであった。
 
 二人が席に座りしばらくすると審判からのかけ声が掛かった。

「整列!」

「おぉ!!」

 その声とともに両校の選手と4人の審判がホームベース前に駆け寄り整列した。

 二郎達が応援するグレーの布地に黒の細いストライプの入ったユニフォームを纏った菅生高校は三塁側に、対戦相手の高校は一塁側に並んだ。球場の中央から少しだけ3塁側に座る二郎は白いユニフォームを着た選手達の胸に【三高】の文字があるのを見た。そう決勝戦の相手は2年前に甲子園に出場し厳しい戦いを制し日本一になった西東京の王者、日大三高だった。全国常連の高校だけあって選手達の立ち並ぶ姿は堂々としていて同じ高校生とは思えないような雰囲気をしていた。

 一方の菅生高校も決して負けてない。甲子園優勝には及ばないが、3年前に西東京予選を制し甲子園に出場している強豪校の一つで、西東京でも数少ない甲子園出場校である菅生の選手達の背中は非常に大きく見えた。

「礼!」

  主審の掛け声で両校選手がお辞儀をすると、先攻の菅生の選手はベンチに戻り、後攻の三高ナインはそれぞれのポジションへ駆け足で散らばっていた。いよいよ夏の甲子園の出場を決める大一番が始まるのであった。

 ピッチャーが投球練習をする間に、球場アナウンスで守備につく三高の選手紹介が行われ、菅生の一番バッターがバッターボックスに立つと会場の空気が一気に高まり、三塁スタンドからの大きな応援が開始され、ピッチャーから第一球が投じられた。

 試合が始まると二郎の隣に座る四葉は完全に試合に集中し始めていたが、それは黙って試合を見るのではなく、野球に没頭するという事だった。

 四葉はあまり野球に詳しくない二郎のために、菅生ナインに声援を送りながらもワンプレー毎に細やかにコメントを入れてくれた。例えば、一番バッターの選手は足が速いので塁に出ればチャンスだが、盗塁はあまり得意ではないので2番がしっかりバントで送るか出来ればエンドランで一、三塁を作るのが一番の得点パターンだとか。また三高の投手陣は枚数が多く層が厚いので総力戦になると厳しいので出来れば1イニングで大量得点をして、継投で逃げられないようにした方が良いとか。他にも菅生のエースが2002年のワールドカップの影響でサッカーゲームのウイニングイレブンにはまっているとかなど、テレビ放送並の情報力を発揮して初めて見る二郎を全く退屈させない見事な解説を繰り広げていた。

 二郎は菅生が得点すれば喜んだり、チャンスがゲッツーで潰れたときはがっかりしたり、ファインプレーが飛び出せばはしゃいだり、審判の微妙な判定に怒ったりする四葉の表情を見ながら、初めての高校野球観戦を楽しんだ。

 一方で試合展開も四葉の表情と同じく非常に面白い内容で進んでいた。まず試合が動いたのは2回の表、菅生が1点先制すると、その裏すぐに三高が追いついた。続く3回表にも菅生が1点を取り主導権を取るかと思いきや、王者三高が2点を取り逆転、リードする展開となった。しかし、5回の表に菅生が再び1点を取り、裏の攻撃を抑え、試合は3対3の同点となり、続く6回、7回は両軍の投手陣が粘りを見せて共に無得点、均衡状態が続き会場は緊迫したムードで8回の表を迎えていた。

 8回の表、菅生は1アウトから四球で一塁を埋めると迷わず送りバントで2塁に送り、2アウト二塁の状況を作り出した。すでに代打の切り札である3年生を一人6回に使ってたため、監督は準決勝で決勝打を放った期待の一年をこの勝負所でバッターボックスへ送った。これはこの大舞台での経験がこの先のチームを背負っていくであろうこの一年生に対しての監督の期待とそしてチーム全体が認める勝負強さを買われた抜擢だった。

 球場アナウンスが鳴り響いた。

「7番サード山本君に代わりまして、バッター結城君」

 3塁側スタンドから拍手と歓声がドッと湧き上がった。

「よーし、頼むぞ、結城!」

「この前みたいなバッティングを頼むぞ」 

 四葉と同じキャップをかぶった野球部OBらしい中年男性二人が四葉の弟である結城大樹に声援を送っていた。

 二郎も興奮して四葉に話し掛けた。

「四葉さん、結城ってあの子が弟君なのか、こんな勝負所で出るなんてスゴイじゃないか」

「そうだよ、アレが弟の大樹だよ。でも、嬉しい反面こんな大事な場面で打てなかったら、チームに迷惑掛けてしまうと思うと姉としては気が気じゃないよ」

 四葉は期待と興奮そして不安と心配が入り交じった様子で大樹を祈るように見つめていた。確かに甲子園を賭けたこの試合でおそらく最後のチャンスになり得る絶好の場面で親族である弟に代打の声が掛かる状況の四葉の心情など二郎には到底理解できず、一体どれ程の重圧が掛かっているだろうと心中を察し、会場の盛り上がりが最高潮に達している中で、二人の間には沈黙が生まれていた。 

 背番号17番を背負った大樹はゆっくりと打席に入るとバットを左手で3回ほど振ると両手に持ち構えた。高一とは思えない恵体でおそらく180cm程の身長で体つきもしっかりしている。たださすがに半年前まで中学生だったせいか、体の厚みや尻のデカさはまだまだこれから成長を見込めそうな、まさに逸材といった姿だった。

 キャッチャーとのサイン交換を終え炎天下の中であふれ出る汗を一拭いするとマウンドのピッチャーは投球フォームに入った。思い切り投じられた球は外角高めのストレート。迷わずフルスイングした大樹のバットは空を切り、電光掲示板には今日一番の球速146キロの表示がされた。

「速いな、150キロ以上出てるって言われても信じる球威だわ」

 二郎が静かにつぶやくと、四葉が一言。

「大樹、ボールをちゃんと見なさい」

 真剣に諭すように打席に立つ大樹の背中を四葉は見つめていた。

 2球目は外角低めのスライダー。一瞬バットが動くも四葉の声が聞こえたかのようにぐっとこらえた大樹はしっかりボールを見極めカウント1ストライク1ボール。続けて外角低め一杯のストレートをスイングするもとらえきれずファールで2ストライク1ボール。3球で追い込まれる苦しい展開となった。するとこれまで静かに見ていた四葉が堪えきれず叫んだ。

「大樹、意地を見せなさい!あんた男でしょ!」

 緊迫した状況に突如放たれた叱咤激励に会場の観客が一斉に四葉に視線を移すと、二郎は慌てて四葉を座られてすいませんと頭を下げて、場を落ち着かせた。

「四葉さん、気持ちは分かるが落ち着いてくれ」

「ごめん、もう我慢できなくて、黙って見ていると心臓が飛び出しそうで、本当にごめんなさい」

 二人がやり取りをしている間に再びボールにバットがかすり当たる音が聞こえて、二人は顔を大樹に向けた。なんとかファールで粘る大樹はちらっと二郎達のいる方へ視線を向けた。

(姉貴、あそこか。恥ずかしいからあまり目立つようなことは止めてくれよ。はぁ、そんなことより俺だって打ちたいけど、マジで球速よりも早く感じて捉えられないんだよな。ストレートよりも変化球を狙った方がヒットを打てるかもしれないな)

 大樹は姉の四葉の声を受けて、冷静に相手との力差を分析してストレートはなんとかカットして狙いを緩い変化球に定めた。

 それから2球ほど粘ってカウント2ストライク2ボールの7球目、大樹が狙っていた変化球が来た。これまで140キロ越えのストレートを続けていたため、普通ならタイミングをズラされて手が出ない事が多いところだが、3球前から変化球を狙い球と考えていた大樹は巧く溜めを作り、上から縦に落ちてくるカーブを掬うように真芯でとらえてフルスイングした。

「カキーン!」

 会場に鳴り響く打球音に会場全ての人の視線が描く放物線の行方を見守っていた。

 祈るように打球を見つめる四葉の隣で二郎がつぶやく。

「行ったか」

 打球がレフトを守る選手の頭を優に超えていき落下し始めたとき、すでにフェンスを越える事は確実の飛距離に達しており後はポールの右か左のどちらに吸い込まれるのかが重要だった。

 ポールギリギリのところまでボールが来ると、

「巻いてくれ、頼む!」

「入れ、入れ」

 と先程大樹に声援を送っていたOBらしき二人の中年男性が叫んだ。

 四葉と二郎を含め全て周りの人が立ち上がり、前のめりになってレフトポール際に飛び込むボールを見つめていた。

「ファール!!」

 三塁塁審が両手を上げ左右に何度も素早く振りながら、渾身の力を込めて叫んだ。

「あぁ」 

「ほぉ」

 三塁スタンドからはやりきれないため息が、一塁スタンドからは安心するため息が同時に生まれていた。

「あぁ、おしかった。本当に行ったかと思ったよ」

「もうカーブじゃなくてスライダーだったらタイミングがぴったりでボールが切れないで巻いていたかもしれないのに。あぁ本当に惜しいわ」

 二郎が興奮を抑えきれずに、四葉が本当に悔しがるように大樹のバッティングの結果を受け止めていた。

 会場がざわめきを残す間もグランドに立つ選手は気持ちを切らさず淡々と勝負を続けていた。今の大樹のスイングから変化球を待っていた事を察したバッテリーはその後徹底的にストレートを投げ込みカットで粘る大樹に今日一番の球速と同じ146キロの渾身の内角高めの直球を投げ込み、それに振り遅れた大樹のバットが空を切り空振り三振、10球を擁した白熱の勝負は三高バッテリーに軍配が上がった。

 結局、試合はここでピンチを乗り切り流れを掴んだ日大三高が制した。

 続く8回の裏、代打で変わった大樹がサードの守備に着くとそれを狙ったかのように三塁強襲の打球が大樹のエラーを誘いノーアウト一塁。その後、同じくバントでチャンスを広げ、1アウト二塁。ここで今日2安打を放つ4番に回るも、敬遠で1アウト一、二塁。続く5番選手と勝負を決めた菅生高校バッテリーが丁寧に攻め立て2ストライク2ボールまで追い込んだ6球目、勝負を決めに行く渾身の外角低めのストレートをコンパクトに素直なバッティングでセンターに打ち返したその当たりで思い切りよくスタートを切っていた二塁ランナーがタッチの差でホームベースに滑り込み勝ち越しの1点をもぎ取った。その後の三高の攻撃をなんとか凌ぐも、9回の菅生の攻撃は三者凡退で終わり試合終了。

 【3対4】

 日大三高が東海大菅生高校を辛くも下し、2年ぶり8回目の2003年の夏の甲子園出場の権利を手にした。

 激戦の西東京夏の甲子園予選は終わり、球児達の熱い夏の戦いは本戦の甲子園球場に舞台を移すことになった。



「悔しいけど、本当に良い試合だったよ。弟君にもお疲れ様って伝えてくれないかな。良いもの見せてくれたお礼に今度ラーメン奢るって言っておいてくれよ」

「分かったわ、伝えておくね。でも、・・・本当に悔しいよ。実はあの子の使っているグローブはね、死んだお父さんの形見なんだ。小さい頃にキャッチボールをするために大樹と父さんがグローブを買って、そのときのお父さんの使っていたグローブをあの子は今でも大事に使っているのよ。中学生の頃なんて私が大樹の子供用のグローブを使ってキャッチボールの相手もよくしたわ」

「そうなんだ。良い事じゃないか、きっと亡くなったおやじさんも嬉しいんじゃないかな」

 二郎が月並みな言葉を返すと四葉は目頭を熱くしたままため息をつくように答えた。

「もちろんそうなんだけど、もう10年近く使っているから皮もペラペラで強い打球を捕ろうとするとグローブが勢いに負けてさっきみたいにこぼすことが多いのよ。私が新しいグローブを買った方が良いって何度も言っているのだけど、そんなお金はないし、使い慣れてるからこのままで良いって聞かなくて。こんな大事な試合でエラーするなんて本当にあのバカ大樹は」 

 二郎は徐々にヒートアップする四葉をなだめていると、何かを決意したように顔を上げた。

「二郎君、私決めたわ。新しいグローブを私が買うわ。前から考えていたんだけどスワローズの宮本選手って知ってる?」

「宮本って誰だっけ」

「私がファンのヤクルトスワローズの内野手で、守備の達人でゴールデングラブ賞を何度も取ってる選手なの。私前から宮本選手の使っているモデルのグローブがかっこいいなって思っていたんだけど、それを大樹にプレゼンする事にしたわ」

「プロ選手モデルのグローブって結構高いんじゃないの」

「確か5万円位するけど、大丈夫よ。伊達にバイトしてないわ。前から考えていたことだし、野球部の皆さんにこれ以上守備で迷惑掛けるのは申し訳ないから」

「そうか、わかった。俺も今まで以上にパンを買いに行くから頑張れ」

「うん、ありがとう。私頑張るわ」

 よくわからないやる気スィッチを押して気合いに燃える四葉を見ながら、改めて二郎は考えていた。

(全てを掛けて野球に打ち込む選手、それを支える家族、コーチに監督。そしてそれらに声援を送るベンチ外の野球部員に吹奏楽部や応援団の生徒達。それぞれが情熱を持って、今この時を過ごし人生を生きているんだよな。はぁ、じゃ俺は何に情熱を持って生きているんだろうな。そんなモノ俺に見つかるのかな)

 二郎は青々と晴れ渡る昼下がりの空の下、モヤモヤと心を覆う雲を抱えながら、歓喜で抱き合う選手達と、悔しさに膝を折り泣き崩れる選手達のあふれ出す情熱に目を背けて目を閉じるのであった。

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