レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-

弐進座

老人と戦車(Old man and Panzer) 4:終

 老人と別れてから洞穴へ戻るまで、本郷は手渡された封筒の書類に一通り目を通した。大半は専門用語でわからなかったが、その一部、マウスに装備されたBMについて重大な事実を知ることができた。

 彼が洞穴の奥へ来たのは、その事実を確かめるためだった。

「ユナモ。ひとつお願いがあるんだ」
 操縦席に鎮座する黒い球体へ話しかける。
「ナニ?」
 球体はぼんやりと紫色の光を発した。
「そこから出てきてくれないか?」
「ナンデ?」
「君に悪いことをしようとする人たちが来るからだよ。一緒に来て欲しいんだ」
「悪イコトッテ、ナニ?」
「そうだね。君を傷つけたり、怖い思いをさせたりすることだよ」
「……理解シタ。オジイサンハ一緒ナノ?」
「いいや……君のおじいさんは安全だよ。つまり、怖い思いはしていない」

 嘘は言っていない。恐らく合衆国軍にとって、あの老人はこれからも必要な存在だろう。合衆国は必要と認める限り、丁重に扱うはずだった。

「君のおじいさんに頼まれたんだよ。おじさんと一緒にここを出よう」
 妙な気分になった。まるで人さらいのようではないか。
「ソレナラ、私ハコノマウスト一緒ニ行ク」
「うーん、ちょっと、それは困るんだ。その箱はとても目立つからね。悪い人たち合衆国軍に見つかっちゃうと思うんだ。だから君だけまず安全なところへ連れて行きたいんだよ」
「ソレナラ、私ハ動カナイ。私ハ強イシ、怖クナイ」
「まあ、そうだよね」

 確かに、今のユナモに傷つけられるものなどいないだろう。マウスに乗っているのならばなおさらだ。困ったことになった。
 その後、本郷は手を尽くしてみたがユナモは頑としてマウスから出てこなかった。

――弱ったな。こりゃ、まるで駄々っ子だ

 ふと本郷は遠い記憶を呼び起こした。彼の娘がまだ幼かったときのことだ。何かの拍子で臍を曲げて、押し入れから出てこなくなったときがあった。妻から相談を受けた本郷は一計を案じた。それは神代より有効性を証明された策だった。そのとき本郷が使ったのは、氷菓アイスクリンだった。
 本郷はおもむろにポケットから板状の包みを取り出した。チョコレイトだ。

「ユナモ、オナカは減っていないか?」
「オナカ?」
「つまり、何かを食べたかったりしないか」
「ワカラナイ。食ベルッテ何?」
「口からもの入れることだよ」

 本郷は板を包んだ銀紙を剥がした。ミルク風味の甘い匂いがほのかに漂う。球体が紫色の光を増す。ひとかけら割ると、口の中に放り込む。さも美味そうに食べてみせた。実際、彼は空腹だったため迫真のある演技となった。

「ゴクリ……」
 なにやら生唾を飲み込んだような音が聞こえた気がした。
「試しにどうだい?」
「………」
「ああ、でも、その球体に入ったままだと食べられないな。うーん、残念だ。美味いのになあ」
 本郷は再びチョコレイトを割ると、口に放り込んだ。
「……」
「あのおじいさんも、美味いと言っていたんだけど、君は食べられないのか。実に残念だ……」
「…」
 さらにチョコレイトを半分に割ると、本郷は球体に差し出した。
「試してみるかい?」

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【アメリカ合衆国 ノースダコダ州北部 ダンシーズ】
 1945年3月15日 昼

 数時間後、本郷はダンシーズにある第二十増強戦車大隊本部を訪れていた。大隊長の東島に戦果を報告するためだった。
 大隊本部は現地の高校を接収して、設営されている。東島は校長室にいた。

「それで、出てきたのがその子だというわけかね?」

 東島大佐は本郷の背後に隠れた小さな影へ目を向けた。手にはチョコレイトが握られ、口元に茶色の化粧がほどこされている。

 年端もいかない少女だった。年の頃はせいぜい10というところだろう。独逸国防軍ヴェアマハトの戦車兵の服に身を包み、頭には大きなベレー帽をかぶっている。顔つきは一昔前の独逸風で言うのならば、実にアーリア的な風貌だった。目鼻立ちがくっきりとした美形である。

 東島は身をかがめると、にっこりと「こんにちは」と言った。子ども向けの笑顔だ。
 本郷は内心でぎょっとしていた。それは普段の東島から想像も付かないような親密さを醸し出していた。兵が見たら、あまりの変貌ギャップに腰を抜かすかも知れない。
 しかし、ユナモにはあまり受けなかったようだ。顔をしかめた。

「オマエ、クサイ」

 危うく吹き出しそうな所をようやく堪える。東島は無類の重篤喫煙者ヘビースモーカーだった。
 東島は苦笑しつつ、「すまないね」と言い、本郷へ向き直った。いつもの無機質な相貌へ戻している。本郷も努めて無表情を装った。

「本郷少佐、そのお嬢さんを別室へ案内してくれ。チョコレイトが不足なら、私の従兵を使ってかまわん。ありったけ持ってこさせろ。それが済んだら、ここに戻ってきたまえ」
「了解です」

 本郷はユナモの手を引くと別室まで連れて行った。そこで待つように言うと、案の定、駄々をこねたので大量のチョコレイトを従兵に持ってこさせた。再び大隊長室に戻ったのは30分後だった。
 彼は中隊の状況と、戦闘の経過およびマウスとユナモについて簡潔に報告を行った。東島は一通り聞き終えた後で、老人について尋ねた。

「結局、その老人は最後まで名乗らなかったのか?」
「はい」
 本郷は何の迷いもなく答えた。その態度から東島は得心した。
「なるほど……君は相手が誰か知っていたのだな」
「はい、聞くまでもありませんでした」

 本郷は、かつて独逸へ留学した経験があった。ヒトラーお気に入りの要人で、時折、顔写真付で新聞に取り上げられていたのを見たことがある。国民車の概念を創出した技術者だった。

「フェルディナンド。フェルディナンド・ポルシェです」

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