レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-

弐進座

それぞれの旅立ち(He should die) 1

【浦賀水道上空 昭和201945年 2月28日 昼】

 浦賀水道上空、高度5000メートルを3機の戦闘機隊が南進していた。昨年正式採用され、今年に入ってから徐々に配備が進んでいる烈風一一型だった。海軍の最新鋭機で、ハ43発動機によって最高速度337ノット(624.1km/h)に達する。

 編隊長の戸張寛とばりひろし中尉はスロットルを全開にした。集結予定海域ランデヴーポイントまで、もうすぐだった。

 本日は晴天につき、視界は良好。

 絶好の空戦日和だが、全く面白くないことに敵の姿は認められなかった。

 面白くないと言えば、もう一つある。

 戸張中尉は僚機へ無線で呼びかけた。

「キヨセ1より、各機へ。全く冗談じゃねえよ」
『キヨセ2より、隊長。私語は厳禁ですよ』
「だって、そうだろ? 誰だよ、こんな阿呆みてえな、配置転換をしやがったのは」
『キヨセ3より、隊長。さすがに、それは言い過ぎです』

 続いて『頼むから、困らせんでください』と懇願してきた。戸張は大きく息を吐くと「わかっているよ」と返した。

 不満だらけだった。機体に対してではない。烈風は控えめに評しても素晴らしい機体だった。彼が愛してやまなかった零戦五四型よりも、速度は優越し、立ち上がり上昇性能も悪くない。不満は全く認められない。海軍の航空隊、少なくとも彼が率いる隊ならば存分に使いこなし、戦果を上げることができるだろう。ただ一つの問題がなければ……。

――短か過ぎんだよ!!

 慣熟飛行の時間が全く足りていなかった。戸張の不満はそこだけだった。
 
 彼の隊がこの機体を受領したのは先月の初めだった。年始の訓示を飛行基地の司令より賜り、屠蘇で乾杯、続いて機体のお披露目となった。事前に聞かされていたとはいえ、戸張たち戦闘機乗りの誰もが童心に帰った気分で機体を受領した。そう言えば歳魂としだまをもらったとき、こんな気持ちだった。全く今になって思い返せば、あのときは莫迦みたいに呑気でいられものだ。

 それから3週間も経たずして、彼は基地司令室へ呼び出された。新たな配属先が決まったというのだった。こいつはいったい何を言っているのだろうかと思った。オレ達はまだ訓練期間中のはずじゃないか。

「ちょっと待ってください。飛行時間が10時間も達してないんですよ。全然足らんじゃないですか」

 基地司令は苦虫を潰したように肯いた。そんなことは言われずともわかっていた。

「わかっている。だが、GFからの命令なんだ。貴様の隊には、可能な限り燃料を融通してやるから何とか扱えるようにしてくれ」
「……了解です」

 戸張は眉間に皺を寄せたまま、司令室を出て行った。

 それから4週間の間、戸張の所属する隊は猛訓練を行い、なんとか平均して30時間の飛行時間に達成することができた。28日間で30時間というのは短く感じるかも知れないが、それは操縦時の体力消耗を考慮に入れない換算だった。

 まず軍用機という代物は操縦者に体力的にも精神的にも過剰な負荷をかける代物だということを理解しなければならない。これは機体の種類に限らず、一様に当てはまる原則だった。戦場において、お手本のような軌道で、機体を運用できる状況はまずない。いつ何時なんどき、敵の奇襲を受けるかわからない。対空砲火の雨に突っ込むともわからない。最悪の場合は炎上する機体から脱出を迫られることになる。とにかく想定外の連続だ。そして不測の事態には、常に過剰な加速がつきまとう。慣熟飛行の訓練には、その種の状況を想定して、模擬戦闘も当然のことながら含まれている。いくら模擬とはいえ、物理法則が手加減を加えてくれるわけではない。飛行中にかかり続けるGは、否応なく操縦者の体力を奪い取っていく。

 加えて彼等が習得すべきは飛行機の扱いだけではない。機体性能を理解するための座学の時間もある。新たな機体の計器の見方を覚える必要もある。

 ともかく時間があるからと言って、飛べるというわけではないのだ。無理をすれば、事故を引き起こす原因ともなる。実際のところ、死傷者こそでなかったものの、2月に入ってから訓練中の事故が続出した。明らかに操縦者へ負荷が掛かりすぎていた証拠である。

 戦場で死ぬならまだしも、訓練で部下を喪うのは全く御免被る話だった。

『隊長、母艦でも飛行訓練はできますよ』
『そうですよ。聞けば母艦も新鋭艦らしいですよ』

 僚機の操縦士が気遣うように、声をかけてくる。階級はともに飛行曹長で戸張よりも下だが、操縦経験と年齢では彼等の方が上だった。彼等は海軍の少年飛行士として志願し、十代の半ばから飛行機に乗っている。それに対して戸張が初めて操縦桿を握ったのは、海軍兵学校に入学してからだった。二人とも大ベテランにも関わらず、戸張が指揮をとっているのは彼等の階級が低いからだ。海軍が抱える制度上の欠陥だった。編隊長職は尉官以上が任ぜられることになっていた。結果的に実力に見合わぬ者が、ベテランを指揮することになってしまう。

 戸張は自分の腕を信じているが、他人の技量を見誤るような愚か者では無かった。彼は自分よりも僚機の実力が上であることを認め、彼なりの敬意を払って接していた。彼等のことだから間をおかずして烈風に習熟してくれるだろう。その点に対して疑いはない。疑いはないが、気に入らなかった。誰だから知らないが、こんな命令を下したヤツはいっぺん地獄へ落ちれば良いと思った。

「ああ、そうだな……!」

 確かに母艦でも訓練はできるだろう。だが母艦で事故が起きた場合、飛行場とは比にならないほどの惨事になる。

 戸張は操縦桿を倒すと、機首を大きく下げさせ、そのまま機体をねじるように降下させた。

 僚機の操縦士はお互いに顔を合わせると、やれやれという具合に後を追った。


 急降下のGに耐えながら、戸張はもう一つ面白くないことを思いだした。最近、小春の機嫌がやたらと悪かった。どうやら原因は彼の友人儀堂にあるらしかったが、そいつを問い詰める間もなく今日を迎えてしまったことだ。


コメント

コメントを書く

「SF」の人気作品

書籍化作品