レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-
遣米支援軍(Imperial Army) 1
【アメリカ合衆国 ノースダコダ州 デヴィルズ湖付近 1945年2月12日 朝】
20世紀中盤におけるノースダコダ州は、まことに牧歌的で良くも悪くも前時代的な合衆国の風景を残した地域だった。東海岸の大都市に見られる天を突くような摩天楼は存在しない。ある者は、いささか精彩を欠くと評するかもしれない。州の中央部はなだらかな平野で構成されおり、かつては合衆国の胃袋を支える一大穀倉地帯だった。その平野の縁を取り囲むように湖と森林、そして山岳部が配置されている。
1940年において、ノースダコダは合衆国の中でも人口の多さでは下から数えた方が早い規模の州だった。今でもそれは変わらない。しかしながら、ただ一つ決定的に異なることがある。男女と年齢の構成比だった。現在、ノースダコダの人口、その8割近くが20代以上の男子によって締められている。
本郷史明少佐も8割の中の一人だった。彼が臨時の営舎として接収した民家の二階の一室で起床したのは、5時だった。体内時計に叩き込まれた起床時刻だ。彼は衛兵が起床ラッパを鳴らす前に、身支度を済ませた。洗面台で顔を洗い、ひげを剃り、陸軍では少数派である長髪を整える。南国生まれ特有の浅黒い顔の右頬には大きな裂傷の跡が残っていた。かつてインドシナで彼の乗る九七式中戦車がトロールの奇襲を受けたときに負った傷だった。最後に鏡の前で服装の乱れを直すと、部屋を一回りし忘れ物がないか指さし確認を行った。
「よし」
扉から出る前に室内をもう一度見回す。かつての家主の寝室と予想された。寝台の広さと調度品から、恐らく妻に先立たれた老人のものであろうと本郷はあたりをつけていた。読書家で、ナイトテーブルの抽斗には多数の書物が収められていた。彼はここで休養を取る間、数冊拝借して楽しませてもらった。ずいぶんと好奇な趣向の方だったらしい。よもや北米の民家で阿Q正伝を読破するとは思いも寄らなかった。
「またご縁があれば、お借りします。お世話になりました」
無人の空間へ彼は一礼すると静かにドアを閉めた。
そろそろ彼の中隊の兵達も準備を整え始めている頃だ。
階下へ降りると、給仕係が食事の用意を済ませていた。かぐわしい芳香が鼻孔に行き渡り、本郷はおやと思った。
「珈琲か?」
「あ、おはようございます! ええ、昨夜アメさんからの差し入れです」
応じたのは、中村少尉だった。本郷が直率する第一小隊の先任士官だ。丸顔でやや太り気味だが、この少尉の場合、それが外見上の愛嬌として解釈される方が多かった。
「アメさん? どこの部隊だ?」
「え~っと、ああ、ほら、E中隊ですよ。以前、デヴィルズ湖から撤退したきた部隊に薬を分けてやったでしょう? その借りを返したいとかで、バーボンと煙草、それからチョコレイトももらったんですが他の隊に配っちまってもいいですか?」
「かまわないよ。僕はあまり飲まないし、煙草も吸わんからね。あ、チョコだけは一つもらえるかな。他は不公平にならぬようにしてくれ」
「承知しました。お任せを!」
少尉は近くの兵を呼ぶと、差し入れの配分を紙に書き付け、数名に分担させて持って行かせた。
今朝の献立は麦飯とコンソメスープ、そしてかりかりに焼いたベーコンに納豆だった。なんともちぐはぐな和洋折衷の献立であるが、本郷も含め、中隊全員が慣れてしまった。だいたい屋根の下で食事をとれるだけでも有り難く思わねばならない。
「それにしても、モルヒネでこんなお返しをもらえるとは驚きですね」
「それだけあの中隊長が慕われていたと言うことだろう」
本郷の部隊が救援した合衆国軍のE中隊は魔獣の群れに長期間包囲される中で、最後まで士気を維持し、戦線を支え続けていた。本郷たちが魔獣の包囲網を食い破り、E中隊と合流したとき、アメリカ兵達は弾薬でも食料でも無く、薬を要求した。それは死の間際に発つ彼等の指揮官を少しでも楽に見送りたいという彼等兵士の総意からだった。
「あの将校は有能だったんだよ。そうでなければあんな包囲下で中隊を生き残らせるなど不可能だ。本当に惜しいことをした」
「ええ……ああいうのは勘弁ですね」
「我が軍も彼等の粘り強さを見習うべきだな。私見だが、我が軍の戦車乗りはやたらと魔獣へ万歳したがる傾向があるからね」
「まあ、否定はできませんな」
中村は苦笑いで応じた。
二時間後、本郷率いる第八混成戦車中隊は、デヴィルズ湖へ向けて発った。そこは彼らが救ったE中隊が死守した街がある。今では魔獣の巣と化しており、彼らの任務は威力偵察もかねて、周辺地帯の魔獣の分布状況を観測、大隊本部へ報告することだった。もちろん会敵した場合は例外なく排除する。
20世紀中盤におけるノースダコダ州は、まことに牧歌的で良くも悪くも前時代的な合衆国の風景を残した地域だった。東海岸の大都市に見られる天を突くような摩天楼は存在しない。ある者は、いささか精彩を欠くと評するかもしれない。州の中央部はなだらかな平野で構成されおり、かつては合衆国の胃袋を支える一大穀倉地帯だった。その平野の縁を取り囲むように湖と森林、そして山岳部が配置されている。
1940年において、ノースダコダは合衆国の中でも人口の多さでは下から数えた方が早い規模の州だった。今でもそれは変わらない。しかしながら、ただ一つ決定的に異なることがある。男女と年齢の構成比だった。現在、ノースダコダの人口、その8割近くが20代以上の男子によって締められている。
本郷史明少佐も8割の中の一人だった。彼が臨時の営舎として接収した民家の二階の一室で起床したのは、5時だった。体内時計に叩き込まれた起床時刻だ。彼は衛兵が起床ラッパを鳴らす前に、身支度を済ませた。洗面台で顔を洗い、ひげを剃り、陸軍では少数派である長髪を整える。南国生まれ特有の浅黒い顔の右頬には大きな裂傷の跡が残っていた。かつてインドシナで彼の乗る九七式中戦車がトロールの奇襲を受けたときに負った傷だった。最後に鏡の前で服装の乱れを直すと、部屋を一回りし忘れ物がないか指さし確認を行った。
「よし」
扉から出る前に室内をもう一度見回す。かつての家主の寝室と予想された。寝台の広さと調度品から、恐らく妻に先立たれた老人のものであろうと本郷はあたりをつけていた。読書家で、ナイトテーブルの抽斗には多数の書物が収められていた。彼はここで休養を取る間、数冊拝借して楽しませてもらった。ずいぶんと好奇な趣向の方だったらしい。よもや北米の民家で阿Q正伝を読破するとは思いも寄らなかった。
「またご縁があれば、お借りします。お世話になりました」
無人の空間へ彼は一礼すると静かにドアを閉めた。
そろそろ彼の中隊の兵達も準備を整え始めている頃だ。
階下へ降りると、給仕係が食事の用意を済ませていた。かぐわしい芳香が鼻孔に行き渡り、本郷はおやと思った。
「珈琲か?」
「あ、おはようございます! ええ、昨夜アメさんからの差し入れです」
応じたのは、中村少尉だった。本郷が直率する第一小隊の先任士官だ。丸顔でやや太り気味だが、この少尉の場合、それが外見上の愛嬌として解釈される方が多かった。
「アメさん? どこの部隊だ?」
「え~っと、ああ、ほら、E中隊ですよ。以前、デヴィルズ湖から撤退したきた部隊に薬を分けてやったでしょう? その借りを返したいとかで、バーボンと煙草、それからチョコレイトももらったんですが他の隊に配っちまってもいいですか?」
「かまわないよ。僕はあまり飲まないし、煙草も吸わんからね。あ、チョコだけは一つもらえるかな。他は不公平にならぬようにしてくれ」
「承知しました。お任せを!」
少尉は近くの兵を呼ぶと、差し入れの配分を紙に書き付け、数名に分担させて持って行かせた。
今朝の献立は麦飯とコンソメスープ、そしてかりかりに焼いたベーコンに納豆だった。なんともちぐはぐな和洋折衷の献立であるが、本郷も含め、中隊全員が慣れてしまった。だいたい屋根の下で食事をとれるだけでも有り難く思わねばならない。
「それにしても、モルヒネでこんなお返しをもらえるとは驚きですね」
「それだけあの中隊長が慕われていたと言うことだろう」
本郷の部隊が救援した合衆国軍のE中隊は魔獣の群れに長期間包囲される中で、最後まで士気を維持し、戦線を支え続けていた。本郷たちが魔獣の包囲網を食い破り、E中隊と合流したとき、アメリカ兵達は弾薬でも食料でも無く、薬を要求した。それは死の間際に発つ彼等の指揮官を少しでも楽に見送りたいという彼等兵士の総意からだった。
「あの将校は有能だったんだよ。そうでなければあんな包囲下で中隊を生き残らせるなど不可能だ。本当に惜しいことをした」
「ええ……ああいうのは勘弁ですね」
「我が軍も彼等の粘り強さを見習うべきだな。私見だが、我が軍の戦車乗りはやたらと魔獣へ万歳したがる傾向があるからね」
「まあ、否定はできませんな」
中村は苦笑いで応じた。
二時間後、本郷率いる第八混成戦車中隊は、デヴィルズ湖へ向けて発った。そこは彼らが救ったE中隊が死守した街がある。今では魔獣の巣と化しており、彼らの任務は威力偵察もかねて、周辺地帯の魔獣の分布状況を観測、大隊本部へ報告することだった。もちろん会敵した場合は例外なく排除する。
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