レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-
黄昏の誓約(Geasa)
【東京 世田谷 太子堂 昭和20年1月11日 夕】
儀堂は横須賀で必要最低限の残務処理を終え、残りの措置を興津に命じると東京へ戻った。<宵月>に残っていたい気持ちがあったが、儀堂に出来ることはなかった。彼女が復帰するのは数ヶ月先になるだろう。今の彼女に必要なのは、指揮官ではなく熟練の工員だった。それに儀堂はどうしても今日という日に、東京へ戻らねばならない用事があった。
黄昏の空の下で、石畳の歩道を規則的な足取りで踏みしめる。右手に花束を、左手には桶と柄杓が握られている。道の両脇には大小さまざまな立方体のオブジェが並べられていた。石造りのそれらオブジェには家名が刻まれていた。やがて儀堂は自分の家名が刻まれたオブジェの前で足を止めた。
「ただいま……」
黒御影石で造られた墓石へ向けて、帰郷を告げる。もちろん返事は無かった。儀堂は桶を置くと、花を取り替えるため献花台から花瓶を引き抜いた。意外なことに腐ったものは少なかった。恐らく誰かが-小春だろうか-定期的に取り替えてくれていたらしい。儀堂は花瓶から花を引き抜き、水を取り替えた。そして自身が持ってきた花を新たに飾った。その花びらの形状に、少しばかりおかしみを感じてしまう。その花と同じ紋章をあしらった艦に、つい先ほどまで彼は乗っていたのだ。
それから小一時間ほどかけて、墓石を清め、献花台に花瓶を戻すと儀堂は懐から線香を取り出した。マッチで火を点けると、燃焼作用により炭化した香料の芳香が周囲に漂い始める。
最後に手を合わせ、視界を閉ざし、弔いの経を心中で唱えた。その頃には夜の帳が辺りを包み始めていた。
ゆっくりと目を開けると、鏡のごとく磨き上げられた墓石に人影が映り込んでいるのがわかった。顔の判別はつかなかったが、形状から相手が誰かすぐにわかった。儀堂は背後に佇むものへ声をかけた。
「起きたのか……?」
「うむ……」
ネシスだった。
横須賀の戦いの後、<宵月>の魔導機の中で眠りに落ちた彼女を儀堂は抱きかかえて、艦外へ連れ出した。ネシスの角を隠すのは一苦労だったが、頭部を負傷したことにして包帯を巻き付けることで対処した。それを見た軍医がしきりに軍病院へ連れて行こうとしたが、御調少尉の協力で押し通した。さすがにこの状態で病院に預ければ一騒動どころではないだろう。港には用意の良いことに月読機関の車が控えており、そのまま東京へ直帰することになったのである。
帰宅後、すぐに儀堂はネシスを布団へ収めた。一連の動作が、かつての情景を思い起こさせた。彼の妹が祭りに疲れて眠りこけたときも、同様に対処した。もっとも彼の妹に角は生えていなかったが……。哀愁に浸りかけた意識を呼び戻し、儀堂は墓参りへ出た。今日はその妹を含め、家族3人が彼岸へ発った日だ。
「よくオレの居場所がわかったな」
「匂いを辿ってきた」
子どもの頃、飼っていた犬を思い出した。雑種の老犬だが、とにかく儀堂の後を着いてきた。まるでお守りをするかのように。
「ここは……亡者の園か?」
ネシスは周囲を見回し、バツの悪い表情になった。どうやら土足で儀堂の領域に踏み込んだことを察したらしい。
「そうだよ」
「すまぬ……」
ネシスは立ち去ろうとした。
「ネシス――」
儀堂は静かに呼び止め、振り返った。
「……なんじゃ?」
「ここにはオレの家族が眠っている。4年前の今日、オレは君たちに全てを奪われた」
「……」
「今日の戦闘で色々と考えた。やはり、オレはBMと魔獣を全て殺戮しようと思う」
「お主は……何が言いたいのじゃ?」
「君はオレの役に立つといったな?」
「そうじゃ、妾は確かに言った」
「オレの殺戮対象には当然のことながら君の血族、同胞全てが含まれている。一切の例外も、容赦も、慈悲もなく全てを殺し尽くす。それでも……役に立つのかい?」
ネシスは目を丸くすると、次の瞬間狂ったように嗤いはじめた。やがて息が切れると一呼吸おいて、ネシスは儀堂に向き合った。
「何を言い出すかと思えば、そんなことか。ギドー、妾があの黒い檻に囚われていたとき、何を思っていたかわかるか?」
「……わからんな」
「恥辱、憎悪、そして恐怖じゃ。ただそれだけじゃ。自分が何者かわからず、何をさせられているかわからず、異形の魔を吐き出すのを強いられる。もう嫌だと言っても誰も助けてくれず、鉄の雨を降らされる。ギドーよ、お前には聞こえなかったかも知れぬが、あのとき妾は叫んでいたのじゃ。『疾く妾を滅せよ』とな」
ネシスは苦悶の表情を浮かべ、双眸から塩分を含む液体を流した。
「ギドー、妾の同胞があの忌まわしい月に囚われているのならば、あのときのように妾は懇願しよう」
ネシスは涙を払うと、決然とした意思を瞳に示した。
「後生じゃ、疾く滅してくれ。そして、あのような地獄を敷いたものへ必ず報いをくれてくれ。もし誓ってくれるならば――」
「誓おう」
儀堂は一切の躊躇いなく断言した。ネシスは「気の早い男じゃ」と苦笑した。
「よかろう。ならばお主の役に立とう。儀堂よ、最後に一つ聞かせてくれぬか?」
ネシスは躊躇いがちに問うた。儀堂は小首をかしげた。
「なんだ?」
「その、お主の殺戮対象とやらに妾は含まれておるのか……?」
儀堂は数秒の間をおいて、肯いた。
「ああ、君も含まれる」
目前の鬼は心の底から安堵した面持ちで肯き返した。
「左様か。ならば……良い!」
ネシスは手をかざすと、小さな六芒星の方陣を描いた。突然の事態に思わず儀堂は構えた。ネシスはあやすように言った。
「怖がらずとも良い。これは契約の法紋じゃ。お主と妾の誓いの証じゃ。お互いに破らぬ限り、この誓いは妾とお主を縛るものとなる。誓うが良い。妾を含む全ての異形を滅ぼすと。その日まで妾はお主に力を貸そう」
儀堂は眉間に皺を寄せた。怪しげな術に対する不安もあるが、何よりも自分の意思を疑われているように思えてならなかった。
「君はオレが約束を違えると思っているのかい?」
「何を言う。違うぞ。聞くが、仮に妾が記憶を取り戻したとき、心変わりをせぬとお主は言い切れるのか?」
「それは……」
確かにその通りだった。
「どうすれば良い?」
「簡単じゃ。紋へ手をかざし、己が名と共に誓いを唱えるが良い。全ての魔を滅するとな」
「わかった」
儀堂は言われるがまま手をかざし唱えた。
「誓おう。儀堂衛士は君も含む、全ての魔をこの世から殺戮し尽くす」
「誓おう。ネシス・メ・アヴィシンティアはお主の願いが成就するその日までこの身を捧げよう」
六芒星の陣は光り輝くと、一回転し、カチリと鍵のかかるような音ともに消え去った。
「これで妾がお主のものとなった」
鬼は満足げに嗤った。
儀堂は横須賀で必要最低限の残務処理を終え、残りの措置を興津に命じると東京へ戻った。<宵月>に残っていたい気持ちがあったが、儀堂に出来ることはなかった。彼女が復帰するのは数ヶ月先になるだろう。今の彼女に必要なのは、指揮官ではなく熟練の工員だった。それに儀堂はどうしても今日という日に、東京へ戻らねばならない用事があった。
黄昏の空の下で、石畳の歩道を規則的な足取りで踏みしめる。右手に花束を、左手には桶と柄杓が握られている。道の両脇には大小さまざまな立方体のオブジェが並べられていた。石造りのそれらオブジェには家名が刻まれていた。やがて儀堂は自分の家名が刻まれたオブジェの前で足を止めた。
「ただいま……」
黒御影石で造られた墓石へ向けて、帰郷を告げる。もちろん返事は無かった。儀堂は桶を置くと、花を取り替えるため献花台から花瓶を引き抜いた。意外なことに腐ったものは少なかった。恐らく誰かが-小春だろうか-定期的に取り替えてくれていたらしい。儀堂は花瓶から花を引き抜き、水を取り替えた。そして自身が持ってきた花を新たに飾った。その花びらの形状に、少しばかりおかしみを感じてしまう。その花と同じ紋章をあしらった艦に、つい先ほどまで彼は乗っていたのだ。
それから小一時間ほどかけて、墓石を清め、献花台に花瓶を戻すと儀堂は懐から線香を取り出した。マッチで火を点けると、燃焼作用により炭化した香料の芳香が周囲に漂い始める。
最後に手を合わせ、視界を閉ざし、弔いの経を心中で唱えた。その頃には夜の帳が辺りを包み始めていた。
ゆっくりと目を開けると、鏡のごとく磨き上げられた墓石に人影が映り込んでいるのがわかった。顔の判別はつかなかったが、形状から相手が誰かすぐにわかった。儀堂は背後に佇むものへ声をかけた。
「起きたのか……?」
「うむ……」
ネシスだった。
横須賀の戦いの後、<宵月>の魔導機の中で眠りに落ちた彼女を儀堂は抱きかかえて、艦外へ連れ出した。ネシスの角を隠すのは一苦労だったが、頭部を負傷したことにして包帯を巻き付けることで対処した。それを見た軍医がしきりに軍病院へ連れて行こうとしたが、御調少尉の協力で押し通した。さすがにこの状態で病院に預ければ一騒動どころではないだろう。港には用意の良いことに月読機関の車が控えており、そのまま東京へ直帰することになったのである。
帰宅後、すぐに儀堂はネシスを布団へ収めた。一連の動作が、かつての情景を思い起こさせた。彼の妹が祭りに疲れて眠りこけたときも、同様に対処した。もっとも彼の妹に角は生えていなかったが……。哀愁に浸りかけた意識を呼び戻し、儀堂は墓参りへ出た。今日はその妹を含め、家族3人が彼岸へ発った日だ。
「よくオレの居場所がわかったな」
「匂いを辿ってきた」
子どもの頃、飼っていた犬を思い出した。雑種の老犬だが、とにかく儀堂の後を着いてきた。まるでお守りをするかのように。
「ここは……亡者の園か?」
ネシスは周囲を見回し、バツの悪い表情になった。どうやら土足で儀堂の領域に踏み込んだことを察したらしい。
「そうだよ」
「すまぬ……」
ネシスは立ち去ろうとした。
「ネシス――」
儀堂は静かに呼び止め、振り返った。
「……なんじゃ?」
「ここにはオレの家族が眠っている。4年前の今日、オレは君たちに全てを奪われた」
「……」
「今日の戦闘で色々と考えた。やはり、オレはBMと魔獣を全て殺戮しようと思う」
「お主は……何が言いたいのじゃ?」
「君はオレの役に立つといったな?」
「そうじゃ、妾は確かに言った」
「オレの殺戮対象には当然のことながら君の血族、同胞全てが含まれている。一切の例外も、容赦も、慈悲もなく全てを殺し尽くす。それでも……役に立つのかい?」
ネシスは目を丸くすると、次の瞬間狂ったように嗤いはじめた。やがて息が切れると一呼吸おいて、ネシスは儀堂に向き合った。
「何を言い出すかと思えば、そんなことか。ギドー、妾があの黒い檻に囚われていたとき、何を思っていたかわかるか?」
「……わからんな」
「恥辱、憎悪、そして恐怖じゃ。ただそれだけじゃ。自分が何者かわからず、何をさせられているかわからず、異形の魔を吐き出すのを強いられる。もう嫌だと言っても誰も助けてくれず、鉄の雨を降らされる。ギドーよ、お前には聞こえなかったかも知れぬが、あのとき妾は叫んでいたのじゃ。『疾く妾を滅せよ』とな」
ネシスは苦悶の表情を浮かべ、双眸から塩分を含む液体を流した。
「ギドー、妾の同胞があの忌まわしい月に囚われているのならば、あのときのように妾は懇願しよう」
ネシスは涙を払うと、決然とした意思を瞳に示した。
「後生じゃ、疾く滅してくれ。そして、あのような地獄を敷いたものへ必ず報いをくれてくれ。もし誓ってくれるならば――」
「誓おう」
儀堂は一切の躊躇いなく断言した。ネシスは「気の早い男じゃ」と苦笑した。
「よかろう。ならばお主の役に立とう。儀堂よ、最後に一つ聞かせてくれぬか?」
ネシスは躊躇いがちに問うた。儀堂は小首をかしげた。
「なんだ?」
「その、お主の殺戮対象とやらに妾は含まれておるのか……?」
儀堂は数秒の間をおいて、肯いた。
「ああ、君も含まれる」
目前の鬼は心の底から安堵した面持ちで肯き返した。
「左様か。ならば……良い!」
ネシスは手をかざすと、小さな六芒星の方陣を描いた。突然の事態に思わず儀堂は構えた。ネシスはあやすように言った。
「怖がらずとも良い。これは契約の法紋じゃ。お主と妾の誓いの証じゃ。お互いに破らぬ限り、この誓いは妾とお主を縛るものとなる。誓うが良い。妾を含む全ての異形を滅ぼすと。その日まで妾はお主に力を貸そう」
儀堂は眉間に皺を寄せた。怪しげな術に対する不安もあるが、何よりも自分の意思を疑われているように思えてならなかった。
「君はオレが約束を違えると思っているのかい?」
「何を言う。違うぞ。聞くが、仮に妾が記憶を取り戻したとき、心変わりをせぬとお主は言い切れるのか?」
「それは……」
確かにその通りだった。
「どうすれば良い?」
「簡単じゃ。紋へ手をかざし、己が名と共に誓いを唱えるが良い。全ての魔を滅するとな」
「わかった」
儀堂は言われるがまま手をかざし唱えた。
「誓おう。儀堂衛士は君も含む、全ての魔をこの世から殺戮し尽くす」
「誓おう。ネシス・メ・アヴィシンティアはお主の願いが成就するその日までこの身を捧げよう」
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