レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-

弐進座

月下の邂逅(Moonlight rendezvou) 2

【東京 世田谷】

 三軒茶屋を少し外れた、三宿。夕暮れに包まれ始めた頃、住宅街を一人の若い海軍将校が歩いて行く。服装は黒い詰襟の第一種軍装、同じく黒い外套コートに身を包んでいる。

 やがて将校はある家の前で足を止めた。表札には『儀堂』と書かれている。

 家門をくぐり、儀堂衛士ぎどうえいしはあることに気がついた。

――どういうことだ?

 玄関のランプが灯っている。ありえないことだった。灯火管制下というわけではない。そもそもこの家の灯が点くはずが無いのだ。

 訝しながらも玄関の引き戸を開ける。鍵はかかっていない。

「誰――」

 誰かと尋ねる前に、犯人が出てきた。

「あ、衛士さんお帰り!」
「なんだ、小春ちゃんかい」

 戸張小春とばりこはるだった。彼の友人、戸張寛とばりひろしの妹で、今年で15になる。セーラー服にモンペ姿、髪は肩付近で短く切りそろえられていた。

「なんで、ここに?」
「うちの兄貴殿の命令。『あいつの様子を見て来い』ってさ。そうそう家の中、風通しておいたよ。もうかび臭くって」

 あっけらかんと小春は言った。彼女が生まれた頃から、儀堂と戸張は付き合いがあった。近所で、お互い軍に勤めている家系だったためだ。小春にとって、衛士は年の離れた兄ような存在だった。

「それはありがとう。あいつ、寛もこっち内地に戻ってきていたんだね」
「休暇だってさ。なんの音沙汰も無く、いきなり『ただいま』よ。こっちの身にもなれっての」

 ぶすりとした顔で小春は言った。

「まあ、それは仕方ないよ。許してやってくれ」
「衛士さんもひとのこと言えないからね?」
「うん?」
「入院してたのに、なんで知らせてくれなかったの? うちに連絡してくれれば、あたし見舞いに行ったのに……」
「それは――」

 参ったなと儀堂は思った。先月まで彼は呉の病院に入っていた。戦闘により、重傷を負ったためだ。実のところ、彼はこの家に戻るつもりは無かった。退院したら、すぐにでも原隊へ復帰するつもりだった。肝心の復帰先の艦が沈んでしまったため、次の配置が決まるまで帰郷せざるをえなくてしまったのだ。

「ごめんよ。なに、たいした怪我じゃ無かったんだ。それに入院先は、ここ東京から遠かったからね。汽車でも丸一日はかかるんじゃないかな」
「遠いと言っても、内地でしょ? あたし一人でも行ったのに」
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」

 儀堂は心からそう思った。この子なら本当にやりかねない。

「ま、いいけど。さあ、早く上がって。お茶いれるわ。あと晩ご飯の支度しているから、待っててね」
「ああ、うん」
 
 儀堂が居間でくつろいでいると、しばらくして玄関の開く音がした。おおよそ誰か察しがついた。ろくな挨拶もなく来訪者はずかずかと入ってくる。

「よお、戻ってきたか」

 戸張だった。飛行服にジャケットを羽織っている。片方の手に日本酒の瓶、もう片方には包み紙を持っていた。

「やあ、久しぶり」

「全くだ。豪州オーストラリア以来か」

 1年ほど前だ。豪州のブリスベンに現れた黒い球体、通称BMブラックムーン魔獣ビーストを迎撃するため、日本は艦隊を派遣した。もちろん豪州政府の要請に基づいたものだった。

「よく、オレがここに戻るとわかったね」
「そりゃあ、まあ、付き合いは長いからな。ああ、そうだ。おい、小春! いるんだろ!」

 台所にいる小春が、居間にやってくる。妙なことに不機嫌そうだった。

「なに、もう来たの?」
「お前、兄貴に向かってその態度はないだろ。少しは優しくなれよ」
「はいはい。用件は何でしょうか、兄貴殿」

 戸張は辟易した様子で、包みを差し出した。

「築地で買ってきた。獲れたての鯖だ。オレとこいつの分あるから、焼いてくれよ。ちょうど飯の支度してたんだろ?」
「いいけど、あたしの分は?」
「お前のはもう家に届けたから、帰って食えよ。母上殿が用意してるさ」
「はあ? どういうこと?」
「鯖焼いたら帰れってことだよ。もう遅い時間だからな」
「兄貴が送ってくれればいいでしょ」
「オレはこいつと今日は飲み明かすつもりだからよ」
「いやだ! あたし帰らないからね!」

 その後、10分ほど戸張兄妹間で押し問答が続いた。最終的には儀堂の「別にいいじゃないか」の一言で、妹側の勝利と判定された。

 鼻歌交じりに、台所に戻る妹の後ろ姿を見送りながら、戸張兄は頭をかいた。

「あいつの負けん気の強さには参るな」
「君もひとのことは言えないと思うよ。だいたい同じ血が流れているわけだから」
「そりゃそうだ。やれやれ」
「それに君には悪いが、明日の朝は早いんだ。人事局に行かなくてはならなくてね。だから飲み明かすなんてできないよ」
「そうなのか?」
「ああ、そろそろ次の任官先が決まるらしい」
「早いな。さすがは20後半で大尉になるヤツは違うな。引く手数多あまたってか」
「そうなのかな。まあ、なんにしろオレには有り難い話さ。だいたい、ここに居たところで……」

 何かを言いかけ、儀堂は止めた。

「うん?」
「いや、なんでもない」
「そうか……おーい、小春!」

 台所から「なに?」と大声で返される。

「湯飲みと、あとなんか適当に肴を頼む!」

 再び「はーい」と大声で返される。

「おいおい、今から始めるのかい?」
「別にいいだろ。せっかくの娑婆だぜ。楽しめや。次いつ飲めるかわからねえぞ」

 そう言うと、まだ茶が残っている儀堂の湯飲みに戸張は酒を注いだ。

「道理だね」
 と苦笑しつつ、儀堂は茶割りの酒カクテルをぐいと喉へ押し込んだ。

 戸張兄妹が帰ったのは、それから3時間後のことだった。戸張にしては健闘した方だった。
 儀堂と同じく酒好きの戸張だったが、残念ながら下戸だった。

「ちょっと、しっかりしてよね!」
 妹の叱咤を受けながら、ふらふらな足取りの戸張兄は家路についていく。

 その後ろ姿を軒先から儀堂は見送った。久しぶりに儀堂の内面に安らぎに近いものが生み出されていた。

 短い時間だったが、家庭的な空気を味わうことが出来た。ふと儀堂は気づいた。要するに戸張なりの気遣いだったのだ。

「ありがとう」

 小さくなっていく、二人の後ろ姿に礼を言い、彼は家へ戻った。
 玄関を開け、ただいまの一言。今度は誰も返事をしなかった。

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 戸張家の灯りが見えてきた頃だった。ためらいがちに小春は兄に尋ねた。

「ねえ、衛士さんが戻ってきたのって……」

 戸張は足下こそおぼつかなかったが、意識ははっきりしていた。妹の言わんとするところを彼は肯定した。

「ああ、もうすぐ命日だからな」

 三年前の1942年1月11日、それは彼の友人、その一家が魔獣の餌食になった日だった。


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