スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

理事長室にて

「ではまず、自己紹介でもしようか。
僕は磯崎いそざき 流星りゅうせい、35歳。
知っての通り、この劉院学園の理事長だ。
…しかし、それは表向きの顔」

理事長──磯崎──は、
含みのある間を持たせる。
夜の学校の理事長室。
騒がしい音もなく、
時を刻む針の音だけが響く。

「僕の本当の顔は、
『大籠』の管理下にあるスパイチーム、
【海】のリーダー…スパイ名を『くじら』」

【海】……夜六は聞いたことがあった。
【獣】や【POISON】が活躍する以前まで、
『大籠』の元で活動していたチームだ。
若手のスパイの成長や、
他国のスパイ達に顔を知られ過ぎたことから、
実質的な引退をしていたはず。
【POISON】のメンバーをはじめ、
夜六自身と面識はなく、
夜六にとっては過去の存在だった。

「【海】は、引退したんじゃないのか」

「うむ。さすがに【海】という
名前は知っているようだね。
君の言う通り、【海】は引退した。
いや…解散した、という方が正しいか。
僕達【海】は、スパイとして10年以上
各国で暗躍していたんだけど、
それ故に【海】対策が敷かれてね。
【獣】や、君達【POISON】が
実力をつけてきたってこともあって、
僕達は解散した」

理事長の正体については理解した。
『大籠』の管理下にいた
スパイチームの元メンバーで、
つまりは夜六の先輩になる訳だ。
しかし、その話を聞くと、
また新たな疑問が生じる。

「では、スパイを引退してもなお、
なぜボスと連絡を取り続け、
なぜここにいて、
そしてなぜ、俺に教えた?」

通常、現役を引退したスパイというのは、
現役スパイとは縁を切り、
一般人と同じ生活を送る。
職種も、サラリーマンや銀行員など、
極力目立つことのない職業で、だ。
それが、最も安全に暮らせるからだ。
そして、スパイは引退した後に
自分がスパイだったことを明かさない。
他の誰にもだ。
スパイだった時の記憶や感情は、
引退した瞬間に全て捨てる。
一般人になるために。

「だから、引退ではなく、
解散だと言っただろう?」

『引退』ではなく、『解散』?
一瞬だけ困惑した夜六だが、
すぐにその言葉の意味を理解した。

「つまり、理事長はまだ───」

「まだ、現役のスパイってことね」

夜六の言葉を遮り、真紅の髪が揺れた。
開けっ放しだった扉から
夏八が堂々と入ってくる。
しかし、どこか夏八は
不機嫌そうな表情をしていた。

「急に呼び出されたから
何かと思ったら、
まさかこんな事態になってるなんて」

どうやら、急な呼び出しに
少々怒っているようだった。
『大籠』の連絡を切った夜六は、
理事長室に向かう途中で
夏八に緊急メールを飛ばしていた。
なにせ、『大籠』があんな意味深な
言い方をしてきたのだ。
理事長が重大な鍵を持っていると
推測するのが自然だ。
そして、理事長が何か抵抗した際には
夏八の助けも必要となる可能性がある。
そういった思考のもと、
夜六は夏八にメールを送った。

「けれど、大事になってないようで安心したわ。
…それで、理事長…いや、『鯨』。
話の続きを聞かせてちょうだい」

夜六の座っているイスの隣りに腰掛け、
夏八は優雅に足を組む。
相手がスパイだと知ると、
夏八はいつも態度が大きくなる。
本人が言うには、
スパイは舐められたら終わりらしい。

「世界各国が【海】対策をする中、
実力をつけてきた【獣】と【POISON】。
まだその姿を認知されてない若いスパイを
実力以上に活躍させるには、
【海】の解散は必要なことだった。
【海】のメンバーは世界に散り、
君達のサポートをするようになった。
いくら【海】対策をしたとしても、
それが他のスパイに通用する保証はない。
だから、僕達は前線を引退したことにして、
世界の命運を君達に託したのさ」

ここまでの理事長の話を整理すると、
世界から危険視された【海】は
その世界の目から逃れるために前線を引退し、
【獣】や【POISON】の活躍を
裏から支えてきた。
完全に引退した訳ではない【海】は、
今もなおボスと連絡を取り続け
スパイを続けている……。

「後任の為の表向きの引退…。
それが、今の僕という訳だ」

今の理事長の話が本当だとすると、
先までの夜六の疑問は
全て解決されることになる。
未だに現役のスパイであれば
ボスと連絡を取るのは必要だ。
そして理事長が、いや。
『鯨』がこの劉院学園の理事長として
ここにいるのは、夜六と夏八が受けた
任務の円滑な調査の為。
自らがスパイだと明かしたことも、
これで説明がつく。

「……話は分かったが、
なぜそれを隠していた?
最初に言ってくれていたら、
無用なことを考えずに済んでいたはずだが」

夜六と夏八が転入してきた日、
朝にわざわざ理事長は出張ってきた。
その時に全て話してくれていたなら、
無駄に警戒することもなかった上に、
学園全体への権力を
使うことさえ簡単だったはずだ。

「あー、そのことなんだけどね…。
実は…その……忘れていたんだよ。うん」

──夜六は理事長に殺意が湧いた。

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