スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

『鎌切』

「フヒヒヒヒヒヒ……。
さぁ、あの時の続きをいなしましょう…!」

屋上には、強い風が吹いている。
いつの間に取り出したのか、
『鎌切』は2本の鉈を持っていた。
どちらの鉈からも、
黒く汚れた血の匂いがする。

「荒井さん。今からここで起こること、
他の誰にも言わないと約束できますか」

鉄製の定規を懐に仕舞うと、
夜六は両手にナイフを構える。
刃渡り27cmの両刃ナイフだ。
そして、背中越しに荒井に聞いた。

「あ、あぁ…約束する…!」

震えながらも、荒井は答えた。
良かった。もし仮にできないと言われたら、
荒井まで殺すしかなかったから。
今の時点で十分、
職員室にいた先生達には
怪しまれているだろうが、
スパイとして、これ以上は目立ちたくない。
一刻も早く、できるなら、
近藤が目を覚ます前に───

「…ん……?あ、れ……?」

それはある意味、最悪のタイミングだった。

「近藤っ!大丈夫か!?」

荒井が近藤の上体を起こし、
近藤の意識を覚醒させる。
しかし、目の前で起こっていることの全てを
すぐに理解できる程、
近藤は戦争を知らなかった。

「荒井先輩?それに、夜六と海斗…?
おいおい2人とも、物騒なの持ってるな。
そんなもん振り回したらケガするぜ───」

そこまで言って、近藤は気づいてしまった。
自分の手足が縛られている上に、
体のあちこちが痛いことに。

「な、なんだこれっ!?」

近藤には悪いが、
一から丁寧に説明している時間はない。
目の前の忌々しい存在を片付けて、
この状況を誤魔化す必要がある。
万が一にも、夜六がスパイだと
バレてはいけないのだ。

「…荒井さん、これ使ってください。
それで、近藤が動けるようになったら、
2人で逃げてください。いいですね」

「えっ!?で、でも…!」

ホンの一瞬だけ悩んだ結果、
夜六は片方のナイフを荒井の足元に投げた。
そして、荒井の返答も聞かずに
『鎌切』に突っ込んでいく。

「良いいなすかぁ?
生きて言葉を交わす最期の時間でいなすよ?」

鉈とナイフが衝突して、金属音が響く。
室内での戦闘とは違い、
空高くまで甲高い音が届く。

「お前こそ、言い残すことはないのか?
……今日は、確実に殺しにいくぞ」

何もかも、あの時とは違う。
荒井と近藤は勝手に逃げるだろうし、
これは完全なる1VS1だ。
4人一度に相手にして夜六が勝ったのだから、
『鎌切』だけの今回に負ける道理はない。
それに、夜六は肉体も成長している。
『鎌切』の年齢は不明だが、
肉体的成長は感じられない。
…はずなのに、刃が届かない。

「フヒヒヒヒヒヒ……!どういなすた?
なぜ、攻撃してこないいなす?」

夜六は強く恥じていた。
直前に、『蠍』から忠告を受けていたのに、
『鎌切』を攻撃できない。
日本に来てまだ2週間も過ぎていないが、
夜六は慣れてしまっていたのだ。
平和という名の終わりに。
命のやり取りを常に行うスパイにとって、
平和に慣れることは何よりも恐ろしい。
平和に慣れた瞬間、
スパイとしての役目を果たせなくなるならだ。

「さぁ!さぁ!『蛇』!
私に攻撃していなせ!」

難波と近藤は、
夜六を温かく迎え入れてくれた。
あれだけ優しくされたのは、
世界を回っていて初めてだった。
蛇の刺青を目の当たりにしても、
2人は変わらずに接してくれた。
それが嬉しかったのか、
夜六にはよく分からない。
しかし、夜六は救われた気がしたのだ。
彼らの温もりに。

「早く私を殺しいなさないと、
死んでしまいいなすよ!」

今、夜六の眼前にいるのは『鎌切』だ。
決して、難波ではない。
しかし、体は間違いなく難波の物だ。
難波の体に、『鎌切』の意識。
『鎌切』を殺すことはすなわち、
難波を殺すことに直結する。
頭では分かっているのだ。
この手で殺す以外の道はないと。
やるんだ、『蛇』。その手で。

「───外道が…」

決めた。『鎌切』を殺した後、
自分の指を1本落とす。
本来ならヤクザが落とし前をつける時に
用いる作法ではあるが、致し方ない。
そうして、責任を負おう。
それで、許してくれ。

「俺の友人を、返せ…!」

『鎌切』のアゴを蹴り上げ、
渾身の回し蹴りを横腹に打ち込む。
この感触であれば、
あばら骨の数本は折れたはずだ。
そして、勢いを殺さずに、
逆手に持ち替えたナイフで
『鎌切』の胸を一突きした。

「…ヒッ……!」

よろよろと『鎌切』は後ずさり、
夜六も一度距離を取った。
右手の鉈を地面に落とし、
『鎌切』は胸のナイフを抜き捨てた。
ドクドクと血が流れる胸に手を当て、
口からも血を吐いている。
数分もすれば、出血多量で死ぬだろう。
仮に血を止められたとしても、
ナイフに塗ってある毒が
『鎌切』の体を簡単に貫く。

「フヒッ…フヒヒヒヒヒヒ……!」

『鎌切』は夜六を睨みつけ、
左手の鉈を振り上げる。
あの時と同じように、
鉈を投げてくるつもりだろうと、
夜六は身構えた。
その時である───

「海斗ぉぉぉぉぉ!」

「なに!?」

「フヒッ!?」

『鎌切』に突っ込んだのは、近藤だった。

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