スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

翌朝、朝練のなかった難波と一緒に
夜六は学校へ向かった。
近藤も朝練はなかったが、
今日は朝の教室掃除当番とかで
早くに寮を出ていったのだ。

「こうやって夜六と2人で歩くの
初めてで新鮮な感覚だな」

学園のカバンと部活用のリュックを
軽々と持って夜六の隣りを歩く難波は、
大きなあくびをしながら言った。

「そうだな」

自分から口を開かない
夜六との心の距離を詰めようと
難波なりに捻り出した言葉を、
夜六は素っ気なく返す。
しかし、難波は気にすることなく
次々と会話を始める。

「──で、陸の奴が──」

「そうか」

「──そしたらさ──」

「そうか」

「──上からよ──」

「そうか」

夜六が素っ気なく返しても、
難波は一人で勝手に喋る。
主に部活中での出来事らしいが、
夜六にとっては
どうでもいい事でしかないので、
右から左へ聞き流していた。

「──最後になんと……って、
おい夜六、お前の靴に何か乗ってるぞ?」

1歩先に靴箱に着いた難波は、
視界に入った異物に気づく。
夜六も言われてから
自分の靴箱を見たが、
上履きの上に紙のような物が乗っていた。
夜六はそれを手に取り、首を傾げる。
それは、白い横長の封筒で、
表には可愛いクマのシールが貼られ、
裏の右下に『霧峰君へ』と書いてある。

「ま、まさか…ラブのレターか!?」

そういえば、日本には
そんな文化があったなと夜六は思う。
思った事は相手に直接伝えるのが
世界人の普通だが、
日本人だけはこうして
紙に書いて自分の想いを伝える。
古くを遡ればこの文化は
平安時代かそれ以上前に始まり、
想う相手に短歌を贈れば、
返事を返歌として返す。
想いを馳せていても
会うことすら困難だったという
時代が生んだこの文化は、
今でもその血を受け継ぎ、
こうして巡って夜六に辿り着いた。

「開けてみろよっ」

そして、こうした文は
貰った本人よりも
周りにいる人の方が興奮したりする。
夜六の隣りでニヤニヤしながら、
難波は早く開けろと急かす。
しかし、夜六はそれを開けずに
カバンの横のポケットに入れる。

「ここで開けたら、
公開処刑と変わらないだろう?
それは手紙の主に悪いから、
授業中にこっそりと見るさ」

靴を履き替え、夜六は靴箱を去る。

「けっ、カッコいい奴!」

悪態をつきながらも、
難波もさっさと靴を履き替えて
夜六についていく。
難波は能天気に
手紙の主についての予想をしているが、
夜六にはもう分かっていた。
難波と夜六が靴箱に来てから、
ずっとこちらを覗いていた人物。
難波が夜六を急かすと焦り、
夜六が手紙をしまうと
ほっと安心したような顔をした人物。
その人物は、頭に真っ白な
リボンをつけていた。
隠れているつもりなら、
まずはその目立つリボンを
外してからにしてくれ。



教室に着くと、クラスメイト達と
普段通りに挨拶を交わす。
難波には誰にも言うなと釘を刺し、
軽く脅しておいて正解だった。
何も言わなければ、
難波は真っ先にクラスメイトに
ラブレターのことを言っただろうから。
自分の席に座り、カバンを横にかける。
窓際にあるこの席には
暖かな日差しが入り、
気を抜けば眠ってしまいそうだ。
そんなことを考えながら
夜六は机から読みかけの本を出し、
朝のチャイムが鳴るのを待つ。
夏八はまだ来ていないし、
近藤や難波は他の仲間達との
雑談に花を咲かせている。
教室の喧騒の中で、
朝の温もりに包まれながらの読書は、
心を落ち着かせる至福の時だ。
しかし、夜六の幸せは
そう長くは続かなかった。

「お、おはよう…霧峰君。
何だか難しそうな本読んでるね」

濃い紫色の長い髪、
真面目そうな黒縁のメガネ。
チラッと前髪から覗く紫紺は
話しかけても良かったかなと
不安の色が混じり、
見ているこちらが悪に思える。

「あぁ、おはよう。
これはドイツの哲学者が書いた本で、
世界的にも評価が高い。
東雲に是非とも読んでほしいが、
全部ドイツ語で書かれてるから
今度図書館に行った時に
翻訳された物を探しておこう」

思わぬ展開、幸福の妨げ。
だが、スパイの任務には日常だ。
せっかく計画を練っても、
野良猫によって居場所がバレたり、
食い逃げをしてきた男と鉢合わせたり、
獲物ターゲットが極度の方向音痴だったり。
偶然が起こる度に作戦を修正して、
時には大胆な行動に出る。
今日は作戦も何もなかったが、
思わぬ所でチャンスが来た。
これを逃すようなことがあれば、
【POISON】の名折れだ。
何でもいいから会話を繋げて、
さらに奥の人物像を捉える。

「いやいや、いいよ!
私なんかの為に気を遣わないで、
ちょっと挨拶したかっただけだから!」

東雲はそう言うと、
急ぎ足で自分の席に戻る。
東雲の席は夜六と最も遠く、
教室の前方、右前。
ドアのすぐ近くにある。
東雲はカバンから本を取り出し、
姿勢よく読み始めた。
急に来て、急に逃げられたが、
接触してきただけでも良しとしよう。
少なくとも、この本という
話しかける口実が出来たのだから。
図書館で日本語に翻訳された物を探し、
図書室に行った時にでも渡せば、
自然な流れで接触が可能で、
その内容について語る間に
東雲の人間性をさらに暴く。
今は容疑者リストから外れているが、
こうして機会を得たからには
とことん追い詰めてやろう。

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