スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

神時雨 恵奈 2

その日の放課後、
先に夏八を寮に帰してから
夜六は人の少なくなった
下駄箱にやってきた。
すると、案の定夜六の後ろから
自信ありげな足音が聞こえた。

「待ちなさい、夜六」

誰かと確認するまでもなく、
声の主が神時雨だと分かる。
相手を誘き出すテクニックに
見事に嵌ってくれたようだ。
朝のやり取りがあった故に、
神時雨は夏八を警戒しているはずだ。
その警戒対象を先に帰らせ、
わざと人のいなくなった
放課後の下駄箱にやってくる。
学校終わりの誰かを待つなら
教室の前よりも下駄箱の方が
見落とす可能性が低いので、
下駄箱に行けば神時雨の方から
夜六に接触してくる。
この簡単な心理トリックも、
頭の悪そうな学生は引っかかる。

「恵奈を置いて帰ろうなんて、
随分と偉くなったものね。
これはお仕置きが必要かしら?」

腕を組み、夜六を見下ろすように
神時雨はそこにいた。
そして、夜六は神時雨を無視した。
さっさと靴を履き替えて、
昇降口へと歩いていく。

「ちょっと!待ちなさいよ!」

叫ぶ神時雨に目も向けず、
スタスタと夜六は歩く。
心理トリックの第2段階、無視。
用があるのに無視をされれば、
大抵の人は追いかけるだろう。
当然、神時雨も例外ではなかった。
履き替えていなかった靴を
急いで履き替え、
走って夜六を追う。
神時雨が追ってくるのを
確かめてから、夜六も走り出す。

「待ちなさいって言ってるでしょ!」

夜六を追おうと、神時雨も走る。
今度も上手く誘導出来た。
あとはこのまま走り、
さらに人のいない所を目指すだけ。
さぁ、追いかけっこの始まりだ。
スパイを敵に回すとどうなるか、
その身に教えてやろう。

「どこいくのよ!」

神時雨は全力で走るが、
夜六に追いつく訳はない。
いくら夜六が抜いて走っていても、
所詮はただの女の子だ。
鍛え抜いたスパイに追いつくなど、
そう簡単に出来るはず――。

「お待ち下さい」

夜六の行く先を、2人の男が塞ぐ。
黒のスーツに黒のサングラスと
見るからに護衛っぽい。
それに、夜六には分かる。
細身で華奢な体をしているが、
この2人、相当鍛えている。
何よりも2人の実力は、
こうして夜六の行く手を阻む程だ。
強引に突破することも可能だが、
荷物を持ったままでは難しい。
これは、観念する他ないか…。

「はぁ…はぁ…ひぃ……。
やっ…と追いついた……」

膝に手をつき、
神時雨は肩で息をする。
お嬢様のくせに髪を乱し、
服装だって着崩れているが、
どこか神時雨は満足しているように見える。
夜六を追いつめて、
そのことに満足しているのだろうか。

「恵奈から逃げるなんて、
ただのお仕置きじゃ済まさないわよ」

背筋に嫌な予感が走る。
神時雨の口角がニヤリと笑い、
2人の男に命令する。

「連れていきなさい」

「「御意」」

夜六の両サイドに回り、
両腕をガッチリとホールドされる。
痛くはないが、腕が動かない。
完璧なまでに腕をキメている。
さて、これからどこへ向かうのか、
覚えてやろうと思ったのも束の間。
目に布を当てられて、視覚が無くなる。
次に耳にも当てをされ、
聴覚までも奪われてしまった。
そして、追い討ちをかけるように
猿ぐつわをはめられた。
これはマズイな。
視覚と聴覚が無ければ、
得られる情報は無に等しい。
スパイとして、
少しでも情報を持って帰りたいが、
まともに得られる気がしない。
まぁ、いいか。

「はい。お仕置きの時間ですよー」

視覚と聴覚を奪われていたので、
夜六が周囲のことを
最初に感覚として感じたのは
神時雨の声だった。
いや、違う。
ヒンヤリとした空気を肌で感じ、
手足を重たい鎖のような物で
繋がれていた。
どうやら、どこかに連れ去られたようだ。
猿ぐつわを外され、
最後に目隠しを取られた。
薄暗く、寒い空間だ。
広さは8畳くらいだろうか。
手足を思うように動かせず、
夜六が動く度にガチャガチャと音がする。
たった一つの照明が部屋を照らし、
ノコギリやハンマー、
ナイフなどの凶器を不気味にさせる。
アメリカの任務の際に見た、
恐怖の拷問部屋そのものだ。

「どうですかぁ?
今からお仕置きされる気分はぁ?」

妙に語尾を伸ばし、
神時雨は夜六の顔を覗き込む。
神時雨の瞳からは光を感じられず、
狂った異常者の匂いがする。
俗に言うサイコパスだ。
夜六は今までに何度も
サイコパスと対峙しているが、
17歳の少女は初めてだ。
しかも、これは恐らく…。

「驚いたな。
まさか消火栓の扉の奥に
こんな部屋があるなんて」

「っ!?」

医務室と事務室の間、
そこの壁には火事の時に
消火用のホースを繋ぐ
消化栓が付けられている。
開ければ当然栓があるが中は空っぽで、
さらにそれを開ければ階段がある。
その階段の先がこの部屋だ。

「ど、どうして…!」

神時雨は慌てふためき、
夜六からジリジリと距離を取る。
先程の護衛がいれば
安心出来たのだろうが、
2人の護衛はここに誰も
近づかないように
外で見張っているのだろう。

「俺を甘く見るな。
俺は常に歩幅が同じなだけだ」

視覚と聴覚を封印され、
夜六が得られる情報は
肌で感じる温度や湿度、
外の匂いと室内の匂い、
そして、自分がどれだけ歩いたのかを
カウントして距離を測る。
一流のスパイでも
多少の誤差は出てしまうが、
夜六は自分がどこにいるのかを
正確に把握していた。

コメント

コメントを書く

「学園」の人気作品

書籍化作品