スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

『本物』の領域

拾ったボールを夜六は難波にパス。
そのボールをすぐに近藤にパスするが、
横から荒井が現れて、ボールを掻っ攫う。
そのまま物凄い速さでドリブルし、
誰のディフェンス受け付けずに
豪快なダンクを決めてしまった。
『鬼神』と『虎』とはまた違う威圧感。
荒井の周囲だけ漂う空気が重い。

「速過ぎだろ…」

荒井の覚醒に体育館は湧くが、
対照的に夜六のチームは沈む。
今の荒井は、もはや人間と呼ぶことさえ
はばかられるような怪物だ。
しかし、荒井を止めない限り、
夜六達に勝利はない。
夜六の『加速するパス』や
夏八のコピーを駆使しても
ぐんぐんと差を広げられ、
これ以上広げられると
もう勝つことは不可能になる。
誰かから誰かにパスをすると
実に7割の確率でパスをカットされ、
ドリブルで突破しようにも
ことごとくボールを奪われ、
3Pシュートを打とうにも
跳躍して叩き落とされる。
敵も味方も全て置き去りにして、
荒井一人の独擅場と化す。
試合終了まであと5分、
74対39という絶望的な点差となり、
普通なら諦めるこの場面。

「スゥ………フッ。俺が何とかする。
ボール回してくれ」

夜六は、腹を括った。
あの荒井を倒す為に、
『本物』を超える為に。
岡崎から始まったボールは、
近藤を経由して夜六の元へ。
無事に夜六の所までボールが届いたが、
夜六の前に荒井が現れる。
とっておきその2を、
もう一度見せてやる。
受け取ったボールを
胸元に手繰り寄せて、
右手でボールを持ってドリブルするだけ。
たったそれだけの動作で、
荒井の視界から夜六は消えた。

「──行かせん!」

やはり、同じ手は通用しないか。
荒井も夜六を逃がさない。
夜六を追いかけ、
夜六がシュートするタイミングを狙う。
たとえドリブルで抜かれても、
ボールがゴールに入らなければいいのだ。
夜六がボールを手で持ち、構えた。
その背後から荒井は
覆いかぶさるように迫る。
だが、夜六がボールを放ったのは
ゴールではなく、夏八だ。

「これで外したら、人間辞めるわ」

夜六から夏八へとパスが通ると、
綺麗なフォームでボールを放ち、
ゴールへと吸い込まれていく。
しかし、点差はまだある。
ここからが見せ場だ。
野生の『本物』が勝つか。
鍛え上げられたスパイが勝つか。
その行方を誰もが見据える。
相手を暗殺対象として捉え、
夜六は全力の片鱗を見せる。
荒井に疲れを蓄積させて、
夜六が引っ掻き回し、夏八が決める。
その3人のプレーに追いつけず、
他のメンバー達は唖然としてしまう。
そして、残り時間が1分を切り、
82対80までやってきた。

「俺達は、負ける訳にはいかないんだ!」

荒井が構えたゴール下。
狙いは遠くの小寺だ。
くる。荒井の超距離パスが。

「来るぞ!」

風を切るように、
ボールは一直線に進む。
小寺だけに狙いを定めたボールは、
誰の邪魔もされずにコートを突っ切る。
──はずだった。

「同じ手は、通用させない」

大砲のようなボールを、夜六は叩き落とした。
タイミング良く上から殴り、
根性でボールを止めた。
スパイだって、
時には強引なことをするのだ。
作戦も何もない、無茶だ。
しかし、作戦が、知能が、冷静が、
根性に負ける時があることを、
夜六は身を持って知っている。
あの人がいなければ、
こんな無謀なことなど
夜六はしなかっただろう。
それでも、今の夜六がいるのは
あの人のおかげである他ない。
だからこれは、
ホンの些細な恩返しでもある。

「あのパスを、止めただと!?」

体育館内はどよめき、
夜六のスーパープレーに
熱狂は更なる高みに昇る。
だが、止めるだけが全てでは無い。
叩き落としたボールは転がり、
近藤が拾い上げる。
それを、ゴールへ。

「逆転だーー!」

82対83。あと50秒で、
ついに、夜六のチームが逆転する。

「俺は…負けない……!」

より一層、空気が重くなる。
荒井を取り囲む重圧が、
離れていても肌を刺激してくる。
木村がボールを拾い、林にパス。
神速なドリブルで切り込むが、
近藤がそれを阻止。
荒井へとボールを逃がし、
難波と岡崎が止めようとするが、
荒井の暴れるような凶暴さに
手も足も出せず、決まる。
84対83。
難波からボールを始め、夜六へ。
今日3回目の『加速するパス』。
しかし、夏八へと進むボールは、
鬼の形相をした荒井に止められた。
荒井のドリブルに気圧され、
身構えてしまった難波を通過し、
決められそうになるも、
夜六が横からボールを弾いた。
近藤がいいカバーに入り、
一気にボールを持っていく。
しかし、小寺がその行く道を阻み、
仕方なくボールを夏八へ。
夏八は3Pシュートを打とうとするが、
守りに来た藤本を前に
易々と打てるはずもなく、
そうこうしている間に
荒井がボールを奪う。
残り時間は20秒をとっくに切った。
これで荒井に決められてしまえば、
今度こそ勝つのは不可能になる。
ここで、負けられない。
荒井の動きに喰らい付き、
夜六がその先を防ぐ。
だが、カメラで撮れば
残像が残りそうな速さで、
荒井は夜六の横を通り過ぎる。
ボールは既に、夜六の手元にあるのに。
一瞬の捌きでボールを奪う。
獲物ターゲットの胸ポケットから
金庫用の小さな鍵を盗むより、
簡単なことだ。
荒井が追いつく前に、
夜六は自分で切り込んで打つ。
84対85。残り時間は12秒。

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