スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

ドア

ボールが最高到達点に達した瞬間、
夜六は飛んだ。
ボールの高さは地上から約5m。
教室の天井よりも高い所に
いくら【POISON】のスパイといえど
届く訳がないのだが、
夜六は左手を伸ばして
地面から両足を浮かしていた。

「っ!?くっ!」

自分よりも先に飛んだ夜六を見て
冷静さを欠いたバレー部の男子は、
ボールに届く訳もないのに飛んだ。
自分よりも背の低い夜六が相手なら
後から飛んでも間に合うと思ったはずだ。
そして、彼が飛んだ時にはすでに
夜六は地に足をつけていた。

「はっ!?」

背が高い分、滞空時間は長くなる。
彼が落ちている間にボールも落下し、
タイミングを見計らって
夜六はジャンプしてボールを掴む。
バレー部の男子と夜六が着地したのは
ほぼ同時で、目の前にお互いがいる。
出鼻をやられた彼としては
どうにかボールを奪いたい。
が、夜六がドリブルを始めた瞬間、
彼の世界から夜六が消えた。

「何ぃ!?」

気づけば夜六はドリブルで
ゴールへと近づいていて、
他の紫チームの抵抗も虚しく
夜六が2点を持っていった。
試合が開始されてから
10秒も経過していないが、
夜六は簡単に点を取ってしまった。
それもそのはずだ。
難波にジャンプボールをやらせろと
頼んだ時には、夜六は最初を
全力でやると決めていたのだから。
優れた観察眼で相手を欺き、
テクニックを駆使して翻弄する。
プロのスパイにも通用する
夜六のこのやり方は
素人相手に使うものではないが、
夜六の計画を遂行する為の
一つの過程に過ぎない。
そう、全ては任務の為だ。

「へぇ…」

その夜六の計画を理解している夏八は、
自然なように周囲を見渡す。
そして、結果として
夏八は怪しい人物を3人、見つけた。
しっかりと観察して、
少しでも多くの情報を入手する。
些細な挙動を見逃さない。
歩く速さ、視線の方向、
まばたきの回数、呼吸の仕方。
ありとあらゆる動きを観察し、
それらを分析、結果を出す。
時間と手間は必要だが、
これが一番正確で安全なのだ。

「…上出来ね」

もちろん、このクラスの中に
劉院学園の秘密を知っていて、
且つ外から来たスパイを
警戒するような役割を担っている
人間がいるという確証はない。
しかし、夜六と夏八にとっては
この学園にいる二人以外の
全ての人間が容疑者であるため、
少しでも人数を絞りたいのだ。
早く任務を終わらせて、
イタリアのパスタを食べに行きたい。

「…成果はあったか?」

いつの日にか食べたイタリアの
シーフードパスタに
夏八が思いを馳せていると、
試合を終えた夜六がやってくる。
最初から最後まで
試合の中心にいた夜六は、
夏八と同様に疲れを微塵も見せない。

「えぇ。あなたが囮になってくれたお陰で
大分絞り込めたわ」

頭を切り替えて夏八は答える。
言い方は物騒だったが、
そんなことはどうだってよかった。

「そうか」

夜六は無愛想に言って、
同じ緑チームである
難波の元へ歩いていった。
主に夜六のアシストをしていた難波は、
夜六が隣りに来ると
笑顔を浮かべていた。
夏八のところまでは
難波が何を言っていたのか
一つの聞き取れなかったが、
おそらく夜六の活躍を
褒めていたのだろう。
夜六の肩を叩きながら笑い、
次も頑張って行くぞー、と
チームを鼓舞している。
夜六は試合に集中していて
気づいていないだろうが、
観察に徹していた夏八は
心の中で夜六に言っていた。

「その人、怪しいわよ」

その後の試合で、
夜六と夏八は同じチームで
バスケ部である難波と近藤よりも
大いに活躍して、
明日の球技大会の
エリート組に選ばれることになる。



体育館での授業を終えて、
次の授業の為に教室に戻る。
が、教室の前には
まだ体操着を着たままの
女子生徒が集まっていた。

「おいおい、どうしたんだ?」

難波が女子に話しかけにいくと、
困った様子で彼女達は答える。

「なんか、鍵が壊れちゃったみたいで…」

と、ドアの方を見ると、
鍵をガチャガチャとやって
苦戦している生徒がいた。
普通の鍵と普通の鍵穴。
老朽化で開かなくなったのか、
普段の使い方が荒いのか、
どちらかは不明だが
これは非常に困る事態だ。
この学園では体育の際、
男子は体育館の更衣室で、
女子は自分達の教室で着替えるのだが、
教室が開かないとなると
彼女達は着替えができないし、
次の授業も受けられない。

「今先生を呼びに行ってるけど……あっ」

彼女が渡り廊下の方を見ると、
ちょうど2人の女子生徒が
先生を連れてきたところだった。
スキンヘッドに黒縁メガネ、
アゴに生えたちょび髭と
かなり濃い顔をしているその先生は、
2年生の学年主任をしている
山谷という38歳の先生だ。

「開かんのか?」

山谷はドア鍵と戦っている
女子生徒に声をかける。
簡単に話を聞くと、
山谷は皆にドアから離れるように言う。
待つんだ山谷。
その右手の拳をどうするつもりだ。
おい、それメリケンサックだろ。
ポケットからなんて物を出してるんだ。
まさかとは思うが、ドアを──

「ふんっ!」

バキっっ!キィィン……。
綺麗に掃除が行き届いている
タイルの廊下に、
鍵穴となっていた金属部品が転がる。
木製のドアの破片も散らばり、
後には残骸しか見当たらない。
こ、こいつ、やりやがった…。

「…よし」

いやいや、よし、じゃないから。
平然とドア開けてんじゃないよ。
ドア壊したんだよ?
あんた、ドア壊したんだよ?
学年主任だろ?怒らるぞ。

「皆、今日の授業、何がある?」

「今から日本史で、午後は芸術です」

「そうか、よし分かった」

山谷の質問に誰かが答えると、
山谷は満足そうに笑い、
大きく頷いてみせる。
心配だ……。
そして、平気そうな顔で山谷を
見送るクラスメイト達に、
少なからず夜六は恐怖した。

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