2と4の境界線

折葉こずえ

第35話 傍生の行い

結局、結論も出ないまま家に着く。お互いシャワーを浴びてエアコンの風に辺りながら寛いだ。アオイは新幹線の中で既に僕の異変に気付いていたのか口数が少ない。

「山形、退屈だった?」
「そんな事ないよ」
「ごめんね……」
何故、彼女が謝る必要があるんだ。彼女は何も悪くないじゃないか。胸がギュっと痛んだ。
この痛みの原因は何なのか考えた。よそよそしい態度を取ってアオイを戸惑わせている事か、僕の生い立ちを知ってその真実に戸惑っている事か、これが原因で僕たちは終わってしまう事なのか。それによってお互いが傷付いてしまう事なのか。

きっと、全てなんだろう。

体も冷えてきて2人一緒にベッドに入った。アオイは僕を試すように僕の目を見つめてくる。

「ごめん、今日、ちょっと疲れちゃった」
そう言って背中を向けた。

「そう……」
背後で小さく彼女が呟いたのが聞こえた。

翌日、午後7時に仕事が終わったけれど、すぐに帰る気にならなかった。遅くなるとメールして一人で適当な居酒屋へ入った。

生ビールを注文しお通しだけで一杯飲み干した。適当に料理を注文し生ビールもお代わりをした。僕は何をしているんだろう。そう思った。彼女を避けた所で何も解決しない事は解っているんだけど、どうして良いのか分からなかった。ただ、酒を頼りに現実から逃げた。

しこたま飲んで帰宅すると、部屋は暗くアオイはすでに寝ている様だ。起こさない様に静かにキッチンの電気だけ点けて部屋を照らす。ローテーブルには僕の分の夕飯が用意されていた。とても食べられないと思った僕は、それらをこっそりトイレに流した。明日は僕の分の夕飯を作らなくて良いとメールしようと思った。

「昨日、遅かったんだね。残業?」
翌朝僕が起きるとアオイはすでに起きていて朝食を作っていた。

「まあ、そんな感じ」
「そう……」
冴えない顔でそう言った。

その日は仕事中にアオイにメールを送った。『職場の人と夕食を食べるから用意しなくていい』。了解を表すスタンプだけが送られてきた。

昨日と同じ居酒屋へ行き、また一人で酒を飲んだ。

帰宅するとアオイは電気を点けたままベッドでスマホを握りしめたまま眠っていた。その姿に胸が痛んだ。シャワーを浴びて床で眠った。

「職場の人って女の人?」
朝、朝食を準備しながらアオイが訊いてくる。

「女の人もいた」
咄嗟に嘘を吐いた。
「そっか……」

キスをせがむことも無く学校へ向かうため家を出て行った。台所の窓から駅へ歩いて行く彼女の背中を見た。小さな背中を落としトボトボと歩いて行く後ろ姿に胸がはち切れそうになった。僕は何をしているんだ。彼女は何も悪くないんだ。何故、彼女が傷付いているんだ。問題を解決しないと。だけどどうやって? 何をすれば良い? 今、追いかけて彼女を抱きしめても何も変わらない。問題を先送りしているだけだ。逃げているだけだ。

その日、お昼にメールを見るとアオイからメッセージが届いていた。

『今日は、暑いから冷シャブにするね ('ω')b』

努めて明るい内容だけれど、これを打った時の彼女はどんな顔をしていたのだろう。

『今日も遅くなる。いらない』
既読だけ付いた。

きっぱり言うべきだ。僕たちはもう終わりにしようと。誤魔化せば誤魔化すだけ彼女を傷付けるだけだ。今すぐにだろうが、先延ばししようが、どんな別れ方をしたってアオイは傷付くだろう。真実なんて話せない。いっそ嫌われるような事をして彼女から離れて行く様に仕向けた方がいいのだろうか。

帰りの電車の中で見知った人を見つけた。相手も僕に気付いたようで近寄ってきた。

「大崎君じゃない」
「ども、ご無沙汰してます、野田さん」
「なあに? 飲んできたの?」
そう言う野田さんも赤い顔をしていた。

「まあ。野田さんも?」
「うん、友達と。大崎君も新しい職場の人と?」
すぐに答える事が出来なかった。曖昧に、
「まあ……」と返事した。

途中電車が揺れ野田さんが僕の腕を掴んだ。

「ごめん……」
「大丈夫ですか? 駅どこです? 送って行きましょうか?」
訊いてから「しまった」と思った。僕と野田さんは過去に間違いをおかしている。僕は何を訊いているんだ。ここで野田さんがOKしたらどうなるかくらい判っているだろう。

「東長崎だけど……お願いしちゃおうかな」
完全に失言だった。やっぱやめておきますなんて今さら言えない。

「わかりました。送り届けてすぐ帰ります」と野田さんと自分自身に釘を刺した。

東長崎で途中下車しふらつく野田さんの肩を抱いて家まで送り届ける。以前と同じ所に住んでいる様だ。

「寄って行くでしょう?」
「いえ、帰ります」
「なんで?」と僕を見上げて訊いてきた。
「そういうつもりで送った訳じゃあ……」
「わたしだってそんなつもりじゃないよ。2回も情に流されないよ」
そう言ってふふふと笑った。

「コーヒーだけ飲んで行きなよ?」
そういってスタスタとエントランスへ入って行く。

「じゃあコーヒーだけ」と言って後を追った。

「なんか悩み事?」
それを聞くために部屋に入れたのだろうか。それ程僕の顔が冴えなかったのだろうか。コーヒーを淹れた野田さんが僕の前にそれを置き訊いてきた。
悩み事だ。めちゃくちゃ悩んでいる。だけどこんな事相談出来っこない。

「訊かせてよ」
「きっと野田さんでも解決できないですよ」
「話す前からそんな事言わないの」
そう言ってコーヒーを啜った。

「それより、葵ちゃん、最近ちょっと変なのよ。何か落ち込んでて、ミスも多いの。どうしたんだろう」
僕とアオイが付き合っている事は誰にも話していない。だけど三宅さんにはバレバレだったから野田さんも何か感づいているのかも知れない。

「そうなんですか」
そう答えるのが精一杯だった。


「野田さん」
「うん?」
「例えばの話なんですけど……」
「なあに?」
例えば何て言えばいいのだろう。例えが浮かんでこない。良い例えが無いのだ。

「いや、あの……」
「例えば?」
「ええと、例えば、好きになっちゃった人が、ええと……血のつながりのある人だったらどうしますか?」
野田さんは怪訝そうに眉を顰めて僕を覗き込んでくる。

「従妹とか?」
「それより濃かったら……」
「……」
「……」
「それって誰かの話?」
「いや、野田さんだったらどうするのかなと思っただけです」
「もう少し設定を詳しく教えてよ」

「そうですね、例えば野田さんが東京で素敵な男性と出会って恋に落ち肉体的な関係も持ちます。でもある時、その男性が生き別れた実の兄だったと判明したら、どうしますか?」

「……」
「……」

「もうしちゃってるの?」
「……はい」

野田さんは大きな溜め息を吐いて首を横に振った。

「そんなのわかんない。もう本人たち同士で決めるしかないんじゃない? しちゃった事はどうにもならないけど、その時はお互いが他人だと思っていたのなら傍生ぼうしょうの行いとは言えないと思う。だけどそのまま関係を続けるとしたら……どうなんだろう。やっぱりわからない」

「ですよね」

「だけど、法律上、結婚は無理だろうけど、一緒に居る事で、お互いがそれで幸せなら良いのかも……」



0時過ぎに家に着いた。電気は点いていてアオイは床で寝ていた。彼女を抱きかかえベッドへ乗せようとした時、アオイが目を覚ました。

「おかえり」
「ただいま」
そっと彼女をベッドへ寝かせる。

「真也君、女の人の匂いがする」
「そうかな」
ぶっきらぼうに答える。

「なんかあったの?」
「べつに」
「だって、ずっとおかしいじゃん。何もないなんて嘘だよう」
ゴクリと息を飲む音が聞こえた。その音に振り返るとアオイが目に涙を溜めていた。結局、どうやったって彼女を傷付けるんだ。真実を話して諦めさせるべきか? 今までの行いに悲観してしまうのでは無いだろうか。だったら黙っていた方がいいのか。

「嫌だよう……」
彼女が小さく呟く。あまりのか細さに心臓が引き裂かれる。

「アオイ――」
「もう嫌いになっちゃった?」
「……」
僕は何も答えなかった。

「理由だけ、教えて?」
「……」
「そう……」
彼女は涙が零れないように上を向いて立ち上がった。だけど結局涙を塞き止める事が出来ずぎゅっと目を瞑って俯いてしまった。両拳を握り締め小さな肩が震えている。僕はどうしてあげればいいんだろう。

彼女は手持ちの鞄に荷物を詰め込むと、
「しばらく家に帰るね。持ちきれない分はまた取りにくるから」
そう言って玄関に向かうと、くしゃくしゃの笑顔で振り返り、
「ちゃんとご飯食べなよ」と言って振り返らずに出て行った。

僕は床に崩れ落ちて泣いた。今、追いかければまだ間に合う。何も無かった事に出来る。でも、ダメだ。ここで逃げちゃダメだ。きっとこれでいいんだ。


翌日、僕は紙に書かれている電話番号を入力し発信をタップした。



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