2と4の境界線

折葉こずえ

第20話 僥倖12

「うーん……」
映画を観終わった彼女の第一声はそれだった。僕も以前、この映画を観終わった時に同じような声を出した事を思い出す。

「微妙でしょ?」
「うん……なんだろう、なんで?」
「いや、なんでって言われても、そういう筋書なんでしょ」
「絶対くっつくと思ったのに」と不貞腐れたようにぼやく。
僕が見た時の感想も同じようなものだった。所謂、不完全燃焼。

「こういう終わり方って誰得?」
「それは人それぞれの感性だからこういうエンディングが好きな人もいるんじゃない?」
「ふうん……いや、だったら――」
そう言って固まってしまった。きっとどう伝えて良いのか分らず頭の中で整理しているのだろう。

「ああいう思わせぶりな、恋愛チックな描写を入れなくても良かったんじゃない?」
まあ、それは同感だ。あんな描写があれば視聴者は絶対にこの2人はくっつくと言う前提で観てしまうだろう。

「まあ、それを言ったらこの映画30分で終わっちゃうし、これは恋愛映画じゃないんだよ、きっと」と、身も蓋も無い事を述べる。

あくまで主人公とヒロインがお互い接していく中で人生を取り戻していく物語であって恋愛映画では無いのかも知れない。消化不良感は否めないけど。

「ふうん……」と、まだ納得していない様だ。私の2時間を返せなどと物騒な事も口にしている。

彼女は背中を預けていたベッドから身を起こすともうすっかり冷めたコーヒーを飲み干した。陽はすっかり西に傾き、照明を点けていない部屋は薄暗かった。窓から差し込む西日が彼女の左半分だけを照らし陰になった方がやけに白く感じた。

「さて、そろそろ夕飯作るね」
「うん、ありがとう」
僕は照明を点けてキッチンで夕食の準備を始めた彼女の背中を見つめる。今抱きしめたら抵抗するだろうか。心のどこかできっと大丈夫だろうと思う根拠のない自信はあるけれど、今の曖昧な関係を終わらせたくなくて行動に出る事はしなかった。

僕は邪な考えを一旦心の淵へ追いやり再び問題集を解く事に専念する。

「油無いんだね」
「あるよ?」
「うん、あるけど、揚げ物するほどはないね」
「ああ、そんなには無いね。一人で揚げ物なんてしないから。そもそもフライヤーだってないし」
「今度買いに行こ?」
「うん、いいよ」
結局揚げ物は諦めたようだ。

揚げ物は諦めて代わりに作ってくれた鶏肉のソテーを頂き、食後は再び問題集と格闘する。

「ね、いつエクレア食べるの?」
「まだご飯食べたばかりじゃん」
「うー」
ひとまず無視して問題集を解く。問題はどんどん高度になって行くのだけれど、僕の記憶も新しい物へ移ろいて行きそれなりに解く事が出来た。それでもやっぱり解けない問題はある訳で、そんな時は待ってましたとばかりに目を輝かせた彼女が得意げに僕に解説をする。そんな時の彼女は本当に僕にぴったりと寄り付いて解説してくれるもんだからなかなか頭に入って来ない。味覚以外の感覚を性的な物で刺激され思わず手を伸ばしそうになるのを必死に堪える。以前観た『いけない家庭教師』とかいうアダルトビデオを思い出していた。グラマラスな美人家庭教師が教え子を誘惑するというベタベタな内容だった。グラマラスな美人という所以外は同じ状況だ。

「ねぇ、エクレアは?」
問題に没頭していた僕がその甘い声で現実へ引き戻される。時計を見ると午後9時になろうとしていた。僕も少し脳みそを休めた方が良いと思い、
「休憩しようか」と提案すると彼女の目が輝いた。生徒から休憩の提案をするのも可笑しいなと思い自然と笑みが零れる。

「コーヒーでい?」
「うん」

僕は一旦テーブルから問題集とノートをどかす。すぐにコーヒーと半分に切断されたエクレアを彼女が持ってきた。

「切ったんだ?」
「また真也君がエッチな気分になるといけないから」といやらしく笑う。そうさせたのはどっちだよと思ったけれど口には出さなかった。

エクレアで糖分を補給すると再び問題集と戯れる。脳を使うとエネルギーを消費すると聞いたことがあるけれど、本当なんだって思った。どんどん甘い物が欲しくなる。じゃあ無理してランニングなんてしなくても問題集を解いていたらダイエットになるんじゃないかと、しょうもない事も頭に浮かんだ。

「冷蔵庫にチョコがあるんだけど」
「食べる?」
「うん、糖分補給」
彼女は冷蔵庫へ向かいチョコを取って来てくれた。

「アオイも食べていいよ」
「うん、ありがと」
チョコを一粒口に放り込んで問題を解く。時折「あー」と言ってチョコを僕の口元へ持って来てくれるので、彼女の指を舐めない様に口に受け入れた。少しつまらなそうな顔をした。

11時になり、僕の集中力も切れてしまった為勉強は切り上げた。本当に燃え尽きた……

「お疲れ様」
「ありがとう」
「今日だけでけっこう進んだね」
「そうだね」
今日までで問題集の3分の1は終わっていて、このペースならいけるかも知れないという自信も沸いてくる。

「そろそろ送るよ」
「うん……」
そう返事した彼女の顔は随分と浮かない。僕も少し寂しかったけれど、明日もまた会えると思うと幾分心も穏やかになる。

彼女を送る為玄関に鍵をかけ2人並んで歩き出す。手を繋ごうか迷ったけれど手を差し伸べる事はしなかった。きっと拒まれないだろうし、ひょっとしたら彼女も望んでいるのかも知れないけれど、一緒に勉強をするという事を口実にお互いが急接近するのは嫌だった。今は目標があるのでそれに誠実に取り組みたいと思った。言葉に出さずとも、行動に移さずとも、きっと僕たちは同じ気持ちを持っていると確信していたし、それは僕が試験に受かるまでも変わらない物である筈だ。

「ね、明日も真也君の家で勉強しよ?」
「明日はバイトの日だよ? バイトがある日はアオイの家でするんじゃなかった?」
「ほら、土曜日はガッコないし、わたしバイト午後からだからもう少しゆっくり出来ると思う」
それはそうだけど、それならアオイの家でも同じ様な気がするんだけど。

「それならアオイの家でも同じでしょ?」
「だって真也君の家なら遅くなっても真也君はそのまま寝れるじゃん」
「アオイは?」
「わたしも泊まれるよ?」
なるほど。もしかしたら今日のような状況になれば彼女は拒まないのかも知れない。僕も抑え切れる自信はない。だけどやっぱり違う気がする。彼女を求める為に勉強をしているのではないと思いたい自分がいた。

「間違いが起こるといけないから」
彼女は少し目を見開いたけれど、すぐにイタズラっぽく笑い、

「試験が終わるまではダメだよ?」と言って小首を傾げた。
思わず、終わったらいいの? と口に出しかけたけれどギリギリで飲み込んだ。正直、アオイの言葉は有難かった。今はまだダメだと釘を刺してくれた方が良い。一度一線を越えてしまったら勉強どころでは無くなってしまうかも知れないから。今の状態を大切にしたかった。

「うん、わかってるよ」
「じゃあ、明日も真也君の家ね」

彼女を家に送り届けて自宅へ戻るとまだ彼女の残り香が部屋に漂っていた。満たされ無かった性欲を処理したかったけれど、アオイの顔を思い浮かべるとやっぱりそんな気になれずそのままシャワーを浴びてベッドへもぐりこんだ。

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