2と4の境界線

折葉こずえ

第07話 邂逅7

高田馬場で東西線に乗り換えた。勿論座れる訳もなく、再び立って車窓を鏡代わりにしてお互いを見つめた。

車内が混んでいる事も理由だけれど、さっきの山手線の時より彼女との距離が近い気がする。電車が揺れる度に彼女の肩が僕の腕に当たり、その度に彼女の香りが僕の鼻孔を刺激した。

「本当、東京って人が多いですよねぇ」
若干軽蔑を込めて彼女が言う。僕の所為でもないのに何故か罪悪感を感じた。僕は物心ついた時からずっと東京から出た事が無いから他の地方がどの位人が少ないのか分からない。

「池上さんの地元では、こんなに人、多くないの?」
「全然いないよ。そもそも電車がこんなに無いし、一時間に一本だったり」
「そっか」
1時間に1本。噂では聞くけど本当にそんな田舎が存在するんだ。

「なんか東京って夜遅くなっても人がいっぱいいるじゃん。だからなんか錯覚しちゃう。まだ夕方なんじゃないかって」
「へえ」
「地元だと、夜の9時にもなれば人も全然いなくなって、ああ、もう夜遅いんだ、そろそろ寝ないとって思っちゃうけど、東京にいるとまだ9時なんだって思うとなんかワクワクしてくるんだよね」
彼女の言った意味が解らなかった。

「どういう事?」
「わたしの地元では9時にもなると24時間営業のファミレスとかコンビニくらいしか開いてないんだよ。その日はもう終わったんだよ。でも東京って9時でもいっぱいお店が開いてるじゃん。まだまだ今日が終わらないって思うとなんかワクワクしちゃうんだよ」
「へえ」
そういう物なんだろうか。

「例えばさ、同じ夕方6時でも冬の6時と夏の6時って違うと思わない? 明るいとか暗いだけじゃなくてさ、気分的にも夏の6時はまだまだこれからだって思えない?」
それは解る気がする。

「確かに」
「東京ってずっと夏って感じがするの」
「そうなんだ」
まただ、もっと気の利いた事が言えないのか。頭の中で自分の頭をポカポカと殴った。

「憧れだったんだあ、東京」
「地元離れて、寂しくないの?」
「家出る時は流石に泣いたよぉ、えへへ。でも、いざ出てきちゃったら毎日が新鮮だし、大学も楽しいし本当に東京に出てきて良かった。ずっとあそこにいたらわたし、自分磨きが絶対出来なかったと思う」
池上さんはキラキラしていた。僕にはない輝きを放つ彼女を心の底から羨ましく思った。

中野の駅に到着し、目的のバーガーコングへ向かう。行き交う人々をお互いが阿吽の呼吸でかわしすれ違う。東京にいると自然と身に着くのだけれど、池上さんはまだ習得していないのか僕の袖を掴みチマチマと付いてきた。細長いビルの一階に目的の店があった。

店内はそれほど混雑していなくて席も確保できそうだ。僕はマッパーとポテトとドリングのセットを注文すると池上さんも同じ物を頼んだ。

2人でテーブルに座りコーラを一口飲む。僕はすぐにマッパーには手を出さずポテトを摘まんで口に入れた。やっぱりポテトはマックの方が美味しい。

「すごーい、おっきい」
マッパーの包みを開けた彼女が目を輝かせて言う。
確かに大きい。男の僕には余裕だけれど、彼女はその小さな体で食べきれるのだろうか。

「食べきれる?」
「残ったら食べてくれる?」と口元を上げて首を傾げる。
また心臓が跳ねた。ゴクリと息を飲み、

「……うん」と答えた。

「じゃあ、いただきまーす」と言うと、両手で持ったマッパーに小さな口を目一杯開けてはむっとかぶりついた。ソースがはみ出し彼女の口の周りを汚した。それを見て何故かドキっとした。

「美味しい! ソースも美味しいけど、お肉が炭火の味がする!」
本当に美味しそうな表情。僕もかぶりつく。美味しい。

「トマトも水々しいね!」
可愛い顔で嬉しそうに食べるなあ。見ているだけで僕の顔もにやけてくる。

「あ! 大崎さん、また笑ってる」
「え!」
確かに顔に出ていたと思う。僕は恥ずかしくなって思わず顔を伏せてしまった。

「池上さんを見てたらつい……ごめん……」
はみ出したソースが包み紙を越えて彼女の手にも付く。彼女はそれを舌で舐め取った。

「わたしの顔、そんなにおかしいですか?」と言って指を咥えながらぷっと膨れた。
そうじゃなくて。でも、いきなり可愛いからなんて言ったら引かれるかな。

「嬉しそうに食べるなって思って」
「だって本当に美味しいもん」

彼女の言葉にだんだんと敬語が少なくなっている事に気付いた。少し距離が縮まった気がして嬉しかった。

「あの、バイトのシフト、結構入れてるけど、すごく働くね」
「ああ、うん。家、母子家庭なんだ。お母さんからの仕送りも多くないし、沢山働かないとね」
余計な事を聞いてしまった。そんな事情がある事くらい予想出来ないなんて僕は愚かだ。

「ごめん……」
「なんで謝るの?」
「いや、変な事訊いちゃって」
「ああ、そんなの全然気にしなくていいよ。そんなに暗い話じゃないし」
僕は何も言えずコーラを一口啜った。

「ご兄弟は?」
「いない、一人っ子」
そう言って口を尖らせる。

「そう言えば、地元はどこ?」
「わたし? 山形だよ。知ってる?」と言って小首を傾げる。いちいち仕草が可愛い。

「山形……」
「そうそう山形。知ってる?」
東北だ。秋田の下だっけ?

「知ってる。日本海側だよね」
「ピンポーン! はい、じゃあ問題。県庁所在地はどこでしょう?」

山形……市? そういう市があるのだろうか。でもこんな事を訊いてくるって事は県と市の名前が違うんだろうな。だけどやっぱり判らなくて、

「山形市?」
「ピンポーン! 正解」
「なんだ」
「あはははは、引っ掛からなかったね」
引っ掛かるも何も、他に知らないし。

「鶴岡とか米沢の方が有名かと思って、そっち言うかと思ったのに」
鶴岡と米沢は聞いたことあるけど、山形県にある事は初めて知った。そもそも僕は山形県について殆ど何も知らない。だけど、彼女の地元と聞いて非常に興味が沸いてきた。帰ったら山形について色々調べてみよう。

「わたしが住んでいたのは寒河江市ってとこなんだけど、本当に田舎でなにもないの」
寒河江市。寒河江市。寒河江市。僕は反芻しひたすら記憶した。初めて聞いた市だから忘れそう。

「もう、絶対に東京へ行くんだあって決めていたんだよ」
「そうなんだ」
「あ! 全然興味無さそう」
「そ、そんな事無いよ。今日帰ったら寒河江市の事調べてみるよ」
「いやだあ。田舎ってバレるから調べないでよ」
じゃあ興味を持たない方が良かったのだろうか。僕は最後に一口分だけ残っていたマッパーを口に放り込んだ。

「大崎さんはずっと東京?」
「多分」
「多分?」
「うん、物心ついた時には東京にいた」

池上さんは良く解らないという表情をしてまた首を傾げた。何か訊いてはいけないと言う空気を感じたのか、

「ふうん」とだけ言った。

「あ、その話はまた今度話すよ」
「ううん、言いにくい事ならいいんだよ?」
「大丈夫なんだけれど、長くなりそうだから。ほら、僕、口下手だから」
彼女は少し表情を緩め、

「じゃあ今度聞かせてね」と言った。

僕は残りのポテトを袋を持って口に流し込み、コーラを啜った。

「ふう……」
池上さんはマッパーを3分の2位食べた所で固まった。やっぱり無理だったか。

「お腹いっぱい?」
「もうダメかも……」
「残り食べようか?」
僕が尋ねると彼女はマッパーの残りを見つめ、
「こんなんだけどいい?」と申し訳なさそうに歯型の残ったマッパーの食べ残しを見せてきた。全然良いし、むしろご褒美だし。

「全然平気」と言って僕は微笑んだ。
「ありがとう。ごめんね」と言っておずおずとマッパーの残りを手渡してきた。僕は二口でそれを平らげた。

「大崎さんてそんな細いのに良く食べるね」
「これくらい普通じゃないかな?」
彼女は微笑んだまま僕を見つめていたけれど、

「結構喋るようになったね」と言った。
意識していなかったけれど、そうかも知れない。彼女が気さくに話し掛けてくれるから僕も自然と言葉が出る。

「なんか、話しやすくて……」
「ほんと?」
「うん、良い看護婦さんになれそう」
彼女は何も言わなかったけれど、口元を上げて歯を見せた。ただ、口の周りにいっぱい付いたソースが滑稽だった。



          

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