2と4の境界線

折葉こずえ

第02話 邂逅2

僕が務めているラブホテルは、全国に数十店舗もラブホテルを展開している民間企業の大手のラブホテルチェーンで、都内にも同じグループのラブホテルが名前を変えていくつも存在している。
ラブホテルで働き出すまではラブホテルなんてどこか怪しい方々やソッチ系の人達が経営していると思っていたので意外だった。アルバイトとは言え福利厚生はしっかりしていて有難い。

金曜日、いつも通り朝の9時に出勤し午前中の業務をこなす。平日と言えども宿泊利用の客はそれなりにいて10時にもなると退室ラッシュが始まり、午前中はほぼ宿泊利用された客室の清掃に忙殺される。

宿泊利用された客室は休憩利用に比べてはるかに清掃が大変だ。宿泊名簿のある普通のホテルと違って客のマナーも悪い。ゴミ箱があるのにそこらの床に使用したスキンやティッシュなどをポイポイと捨てて行く。アメニティグッズの個包装などもゴミ箱に捨てず洗面台の上に放置。飲みかけの缶ビールが倒れ床を濡らしている。一度、割れたグラスがそのまま放置されていて、気付かずに引き下げに入った男性スタッフが足を3針縫う怪我をした事もある。

勿論、皆が皆そうでは無いのだけれど、ラブホテルと言う環境が人を開放的にさせ、一時預かりのロッカーの様にモラルという物を店のフロントに預けて来てしまっているのかも知れない。

慌ただしい午前中の業務が一段落し昼食休憩を取る頃にはすでに午後1時になっていた。フロントの受付の方に休憩に入る旨の連絡をする。何故いちいち連絡をするかと言うと、受付の方が休憩に入っているスタッフの人数を把握し、混雑状況によっては空き室を閉じたりして調整し、スタッフの休憩の妨げにならない様に配慮してくれているからだ。こういう対応は大手チェーンならではなのだろうか。

休憩を終え、スタッフ用の食堂からバックヤードに戻ると丁度マネージャーの三宅さんが女性を一人連れてやって来た。昨日言っていた新人のバイトの人なんだろう。

「おい、大崎、休憩終わったか?」
僕は無言で頷いた。

「ちょっと来い」
いわれるがまま傍に行く。

「今日から働いてくれる池上いけがみさんだ」と言って隣に立つ少女を掌で示す。
池上葵いけがみあおいです」と言って僕にペコリと頭を下げた。

吸い込まれた。

その時の僕の状態を説明するならそう表現するしかない。一目惚れと言う言葉は知っている。この時僕は、これが一目惚れと言う物なのか? と思える程の衝撃を受けた。一目で彼女の虜になるのが解った。とびきり美人という訳でもない。どちらかと言えばまだ幼く見える目の前の少女は綺麗というよりは可愛いと形容した方がしっくりくる。頬にかかる位のショートヘアは染められてはいない様だけれどしっかり手入れがされていて艶やかだ。あどけない黒目がちな瞳はクリっとしていて小動物を思わせる。その瞳はとてつもなく僕を惹きつけ言い知れぬ感情を芽生えさせた。小柄で線も細く一見すると中学生にも見える。
僕の強い視線に気付いたのか彼女の表情からも笑顔が消え少し上目がちに僕を真っすぐに見つめてきた。僕はその視線から目が逸らせなかった。時間にしてどの位かわからない。だけれど、お互いが強く意識して見つめ合っている事はお互いが気付いていた筈だ。

「――さき」

「おい! おおさき!」
「あ、はい」
知らぬ間に見惚れてしまっている自分に気付く。

「ぼけっとするな。お前も自己紹介しろ」
「あ、はい。ええと、大崎真也おおさきしんやです」と言って90度腰を曲げて頭を下げた。
「クスっ」と微かな笑い声が聞こえた。

「池上さん、この大崎は無口で根暗な奴だけど、仕事は真面目で大人しい奴だから安心して仕事を教わってくれ」
「はい、よろしくお願いします。大崎さん」
真っすぐに見つめられて心臓が跳ね上がり、
「はい」と言って再びおじぎをした。

「まずは食堂の場所や、休憩の取り方とかそう言った事を説明してあげろ。ルームの業務はその後でいい」
「はい」
「じゃあ大崎、頼んだぞ」
「はい」
それだけ言うと三宅さんはマネージャー室へと消えた。

あらためて彼女に向き直る。多少緊張している様だけれど微笑んで僕を見つめている。先程の様な強い視線は感じないけれど僕は彼女の視線から逃れるように思わず目を伏せてしまった。とびっきり可愛いと言う訳でも無いのに彼女のこの魅力はなんだろう。彼女より可愛い子なんてこのホテルにも何人かいる。だけれど目の前の少女には何か特別な魅力があるのだ。

「あ、じゃあとりあえず食堂から」
ようやく口を開いた僕に彼女は少し安堵の表情を浮かべる。
僕は彼女を引き連れて賄いの取り方や休憩に入る時のルールなどをたどたどしく説明した。

「――と言う感じ」
「わかりました」

その後ルーム清掃のマニュアルと清掃道具やアルコール、雑巾やスキン等のグッズが一切合切詰め込まれているバスケットを片手に持ち実際にルームに入って清掃の手順を説明するために、既に引き下げが終了している客室へ2人で向かった。

客室のドアの前でポケットからリモコンを出し、扉のすぐ脇にあるセンサーに向けて「清掃中」のボタンを押す。これを押すとバックヤードや受付に清掃スタッフが入ったと言う情報が伝達され、客室モニターの部屋番号が点滅し清掃中を知らせる表示に変わる。この手順も池上さんにちゃんと説明をした。

清掃中に客室のドアが閉まってしまうと室内の電気が全て消えてしまう為、清掃中はドアストッパーを使用し、ドアが完全に閉まらない様にする。

客室内に入るとまずはベッドシーツを敷く作業からだ。マニュアルを見せながら一通り手順を説明しいよいよ実践に入る。ベッドの両サイドに別れて立ちシワ無くシーツを敷く。スタッフ2人で共同でやらないとキレイに敷けないのだ。その後、本来なら各持ち場に別れて別々の作業をするのだけれど、今日は初日なので両方の作業を僕が一緒について説明していく。

池上さんは熱心に僕の説明を聞いていたのだけれど多少緊張も解けてきたのか時折世間話もするようになってきた。

「大崎さんはここの正社員ですか?」
「いや、バイト」
この店には正社員は一人しかいない。マネージャーの三宅さんだけだ。その他、20名以上いるスタッフは全てアルバイトである。

「もう長いんですか?」
「3年」
「ふふふ、大崎さんって本当に無口なんですね」と言ってクツクツと笑った。馬鹿にされたようだったけれど不思議と嫌悪感は無かった。

昔からそうだった。これは僕の生い立ちが影響しているのかも知れないけれど、他人ひとと会話をする事が子供の頃から苦手だ。常に他人の顔色を覗って言いたい事が言えないし訊きたい事が訊けない。嫌われたらどうしようとか怒らせたらどうしようとか不安になってしまうのだ。

「ごめん……」
「大丈夫ですよ。前もってマネージャーから大崎さんの事を説明受けてるから。全然喋んないけど悪い奴じゃないからって」
「そう……」

世間話を交えながら作業手順を説明する。楽しかった。胸がドキドキしてときめいていた。もっと話したかった。

「あ、あの、大学生だって……?」
個人的な情報を訊いても良いのか解らなかったけれど、僕からも何か話しかけたかった。

「はい、今年から晴れて女子大生、JDになりました。イエーイ!」と言ってピースサインをする。明るい子だ。だけれど僕にはそんな彼女のテンションに合わせる事が出来なかった。

「そう……」
「大崎さん、もっと会話繋いでくださいよ。わたし一人で盛り上がってバカみたいじゃん」はははと笑う。

「ごめん……」

「大崎さんって都内住みですか?」
「はい」
僕のアパートは練馬にあるワンルームでひたすら安い所を探していたらそこになった。

「じゃあ東京は詳しいですか?」
「まあ」
「本当!? わたしまだコッチに出てきて東京全然分かんないんです。色々案内してくださいよ」

どこから出て来たんだろうと言う疑問が浮かんだけれどそれより、すごく嬉しい申し出だ。でも本気だろうか。社交辞令ってヤツじゃないだろうか。勇んで「いいよ」と言って「本気にしちゃってキモ」とか思われないだろうか。

「いいの?」
「え? なにが?」
「その……僕でいいの?」
「当たり前じゃないですか。大崎さん、無口だけど優しそうだし、大崎さんさえ良ければお願いします」と言ってニコっと笑う。
夢みたいだ。

「よろしくお願いします」
「あはは、よろしくお願いされるのはわたしですよ。大崎さんって面白いですね」

本当に夢みたいだ。



          

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