じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
5-2
5-2
「桜下さん、どうかしたんですか?なんだか昨日から元気ないですけど……」
「いや……なんでもない……ナンでもないんだ……」
俺は肩に掴まっているウィルに、うつろな声で繰り返した。
今日も今日とて、俺たちは荒野を突っ走っている。だがそんな日々も、今日が最終日になるはずだ。アニのナビゲートが正しければ、もう間もなく目的地・ストーンビレッジが見えてくるからだ。
馬上の旅は確かに速いが、楽なことばかりじゃない。荒野の空気は乾燥していて、それを一日中浴び続けることになるからな。のどはいっつもカラカラだし、唇はひび割れてしまった。けど、そんなこと今は気にならない。なぜなら昨日、もっとショックな出来事があったからだ……
(どうしたって俺は、あんなことを……)
ああ、あのことを思い出すと、勝手に背筋が丸まっていくようだ。昨日俺は、アルルカの術策にまんまと引っかかってしまった。それはまだいいんだ、騙されただけだから。けど問題なのは、それを俺自身が楽しんでいた気がすることだ……
(俺は、ノーマルのはずだよな?けっして、加虐嗜好だなんてことは……?)
まさか、そんなまさか!俺はまだ健全な青少年だぞ?ましてや、アルルカのような変態のわけが……
「桜下さん!どうしちゃったんですか?さっきから変ですよ!」
「ヘン!?」
俺があまりにも過剰に反応したせいで、ウィルは危うく俺から手を放しそうになった。
「うわぁーん、桜下さんのバカ!びっくりしたじゃないですか!」
「ご、ごめんってば」
辛うじて襟首を掴んだので、ウィルは後方に置き去りにされずに済んだ。いけないいけない……
「もう……それで、何かあったんですよね?昨日からってことは、アルルカさんに何かされたんですか?」
うぐ。また話が戻ってきてしまった。しかも鋭いし。
「いやぁ~、そんな大したことじゃ……」
「まさか、無理やり何かしてきたんですか?アルルカさん、血のことになると普段の三割増しで変態になりますもんね。てことはやっぱり、変態行為をされたんです?」
変態行為なのは間違いない。間違いないけど、あんまり変態ヘンタイ言わないでほしい。俺も辛くなる……
「まさか……」
ぎゅっと、肩に掴まる手に力がこもる。なんだ?ウィルは俺の耳元に口を寄せて、小声でささやく。
「ひょっとして、えっちなことです……?」
「なぁ!?ちっげーよ!」
そそそ、そんなわけあるか!……ないよな?
「その反応……やっぱり、そっち系のことなんですか?」
「違うってば!まじで大したことないって。もういいだろ、気にしないでくれよ」
「いいえ、気になります!」
「えぇ……シスターだから、淫らな行為は許せないって?」
「シスターなんか関係ありませんよ。お……桜下さんが好きだから、気にしてるんじゃないですか」
うひゃ、またか!こいつ、馬に乗っている時に限って攻撃を仕掛けてくるぞ。
「そ、それとこれと、なんか関係あるのか?」
「大ありです!アルルカさんとえっちなことしたんだったら、それはもう浮気ですよ!」
えぇ、そうなのか?いや、そらそうか。いや待ってくれ、俺とウィルって付き合ってたっけ?
「なあウィル、ちょいと一度、冷静になってだな……」
「……ふーんだ。フランさんに言いつけてやろ」
「それだけは勘弁してください」
結局俺は、昨夜の出来事を洗いざらい白状させられた。身の潔白のためとはいえ、辛い時間だった……話を聞き終えたウィルは、ケロっと笑って「ああ、それは確かに大したことありませんね」と抜かしやがった。てめぇ、町についたら覚えてろよ……
町の接近は、巨大な石柱の出現によって容易に予測ができた。町の名前が“石村”だもんな、やっぱり岩が多いんだ。何もなかった荒野に、まるで木のようににょきにょきと立ち並ぶ岩の柱は、古代の木がそのまま化石になったかのように見えた。やがて大地の色が、灰色っぽい茶色から赤褐色に変わると、いよいよ町の姿が見えてきた。
「あれが、ストーンビレッジか……!」
その町は、巨大な赤い岩山に囲まれていた。大きな岩山だ……木は一本も生えていない。たぶん、山全体が丸まる一つの、バカでかい岩なんだろう。山にはところどころ、黒い点のような穴がポコポコと開いていた。坑道だろう、採掘も行っているようだ。
町が近づいてきたので、エラゼムはストームスティードの速度を落とした。周りの岩山もそうだが、町全体も赤い色をしている。まるで夕日に照らされているようで、もう夕方になったのかと錯覚しそうだな。ずっと夕焼けの町か……あの町に住んでいる人たちは、きっと一日中気だるい切なさと戦って生きているのだろう。
町の入り口に着いたので、悪目立ちするストームスティードは送り返した。久しぶりに硬い地面に足が触れる。さて、馬から降りて、まず一番にすることとは……
「ウィルー!待ちやがれー!」
「きゃー!すみません、許してー!」
俺はウィルを追いかけ回したが、やつは空を飛べる幽霊だ。スカートの裾すら掴むことはできなかった。
「いちゃついてないで、行くよ!」
フランに一喝されて、俺は復讐を諦めた。その時になって気づいたが、ウィルはわざと手加減して、俺をもてあそんでいたようだ。くうぅ……
「すごーい、どこもかしこも真っ赤っかだよ」
ライラは自分の赤毛をひと房つまみながら言った。にしても、本当に赤一色だな。町に生えている木は、土の赤さを吸い上げて育ったのか、幹が朱色をしているし、咲かせる花はみな濃いピンク色だ。家もそういった建材を使用しているから、やっぱり赤色だ。だけど、町の広場にある噴水から湧き出る水すら薄紅色だった時は、さすがに驚いた。
「この水……飲めるのか?」
『主様、私を浸けてください。飲める水かどうか判別します』
おお、そういやそんな機能もあったな。俺はアニを赤い水にちょんと付けた。
『……どうやらこの赤みは、植物由来の色素のようです。人体に害はありません』
「植物?」
『はい。この水の水源に、そういった草木が生えているのではないでしょうか』
へー、そういうことなのか。けど確かに、紅茶だって葉っぱの赤さだもんな。うん、それなら安心だ。
「っと、いけね。物珍しくってつい観光しちまった。それよりも、三つ編みちゃんの居場所だよな」
赤い水を興味津々でのぞき込んでいたライラも、はっと顔を上げた。
「そーだった!急がないと!」
「確か、この町にいる高名な魔術師のとこに行ったんだよな。そんなに有名なんだったら、町の人に聞けば分かるだろ」
ちょうどいい、この噴水広場には多くの人が行きかっている。おお、しかもすごいぞ。町行く人の多くも赤髪だ。何から何まで赤尽くしだな。さて、ではてきとうに道行く人を捕まえて……お。たくましい体の男の人が、噴水の向こうから歩いてきたぞ。
「あ、じゃああの人に……」
「あ、お、桜下さん。ちょっと待ってください」
おっと?ウィルに腕を掴まれた。
「なんだ?どうかしたか」
「あの人の、耳……」
耳……?俺ははっとして、その男の耳を見た。そこには、見覚えのある、金色の耳飾りが揺れていた。あれ……ノーマの証だ。ノーマは、三の国では奴隷階級に近い人たちだ。
「ノーマか……」
「ええ……ノーマの人が、何も知らないってことはないでしょうが。けど、別の人に聞いたほうがいいんじゃないでしょうか……」
ウィルに同感だ。ノーマは、タグに刻印されているご主人の為に働く人たちだ。あの男もまた、何かの仕事の最中なのだろう。それを邪魔しちゃ悪い。
「それなら、ノーマ以外の人たちに……って」
俺は広場を行きかう人たちを見て、はっと目を見開いた。ウィルも気付いたようだ。
「え、嘘……あの人も、あの人も!ここにいる人、ほとんどがノーマじゃないですか!」
男も女も、老いも若いも、あらゆる人の耳に金色のタグがぶら下がっている。な、なんだこれ。三の国の首都とは比べ物にならないくらい、たくさんのノーマが歩いている。俺はぞくりとした。歩いている人たち全員、目に光がない。
「ど、どうなってんだ……ここがたまたま、ノーマの人たちの通り道なのか?ほ、他の道にも行ってみよう!」
俺たちはバタバタと、広場を出て、別の通りに入った。だがそこでもみんな、耳にタグをつけている。あの通りでも、この通りでも!しかも、そのほとんどが赤毛だ……
「この町は……ノーマの町、なのか?」
俺は茫然とした。どうしてこんなにも奴隷が?ノーマには、必ず主人がいる。ってことはここには、これだけの数の奴隷を所有できるほどの富豪がいるってことか?
「なんだか、気味が悪い……奴隷だけの町だなんて」
ウィルは寒気を感じているように、腕を抱いている。エラゼムがあたりを見渡す。
「……ここは一度、どこかの店に入られてはいかがでしょうか。奴隷が店主を務めることはまれでしょう」
エラゼムは冷静沈着だ。なるほど、店か。
「そこなら、ノーマ以外の人がいるかも……よし、行ってみよう!」
ほどなくして、俺たちは一軒のボロ宿を見つけた。背中の曲がった白髪のじいさん店主が、店先の掃除をしている。俺はその人の耳を見てほっとした。やっとタグのない人に出会えたぞ。
「なあ!あんた、ちょっといいかな」
「うん……?珍しいの、旅人かい」
じいさんは俺たちを見ると、変わったものを見た様子で、箒を動かす手を止めた。
「ええ?旅人が珍しいって、ここは宿屋じゃないのか?」
「まあの。今はほとんど常連しか泊まらんのじゃよ」
「へぇ……」
誰かが常宿にしているのか?まあ、それはどうでもいい。
「それより、ちょっと聞きたいんだ。この町についてなんだけど」
「はあ。あぁ、そうさのう。旅人からしたら、この町は変わって見えるか」
「なあ、なんでここって、その」
「ノーマばかりなのかって?そりゃあ、ハザールがいるからじゃ」
「ハザール?」
「魔術師じゃ。ま、言ってしまえばあやつが、この町そのものみたいなもんじゃのう」
「ううん?意味が……」
俺が質問を重ねようとした、その時だ。遠くの方から、カラカラと車輪が回る音が聞こえてきた。その音を聞いたとたん、じいさんの態度が豹変した。
「……!隠れるんじゃ!」
「えっ」
「ぼやぼやするでない!そこの、納屋の中に行け!」
な、なんだなんだ?わけが分からないまま、俺たちは掃除用具やらなにやらが置かれた納屋に押し込まれてしまった。
「いいか、そこでじっとしとるんじゃ。何があっても、吐息一つ漏らすでないぞ!」
じいさんは怖い顔でそう言い含めると、店の前へと戻っていった。どういうつもりだ?俺たちは顔を見合わせ、とりあえず言われた通りに息を殺して、何が起こるのかを見ることにした。
少しすると、店の前に大きな馬車が停まった。む、あの馬車、見覚えがあるぞ。ここに来るまでにさんざんすれ違った、奴隷商の馬車だ。なんであんなもんがここに……?
「やれやれ、今回は骨が折れたなぁっと」
御車席から二人の男が降りてくる。一人は真っ黒に日焼けして、もう一人は日除けのバンダナを頭に巻いていた。
「いらっしゃい。何やらおつかれのようじゃの」
じいさん店主は、にこやかに二人組の男に挨拶した。親しげな様子を見るに、顔見知りのようだが……
「そうなんだよ。マスワニットの連中からの帰り、いつもの道を通ってきたら、賊が張っていやがってさ。まあいつもなら通行料を払えば済むんだけど、今回に限っていやに機嫌が悪くって」
うおっと。日焼けした男の言ったその賊ってのは、もしや俺たちがコテンパンにした追いはぎか?もう片方のバンダナ男も首を振っている。
「まったくだ。おかげで二人も差し出すことになっちまったよ。これじゃハザールの旦那にどやされるだろうなぁ」
「おやおや、それは災難じゃ。さ、とりあえず中に。なんにもない町じゃが、秘蔵の酒くらいなら出せますぞ」
「おお。はは、そいつはありがたい」
「ああ。じいさんの果実酒はヤマタノオロチの酒に匹敵するって?仲間に聞いたぜ」
「ほほほ、そいつは光栄じゃの。ささ、早く中へ」
二人組とじいさんは、宿へと入ろうとした。その時だ。カチャンと小さな音がして、馬車の陰から小さな影が飛び出した。二人組が物音に振り返ると、血相を変えて走り出す。
「んなぁ!おい、待ちやがれ!」
「商品が逃げた!捕まえろ!」
男たちは叫びながら人影を追う。だが人影の足はずいぶん遅かった。子どもだ。あっという間に追いつかれて、男の手に捕まる。
「この野郎!どっから逃げやがった!」
「リアアアアーー!」
この、叫び声……!俺は身を乗り出して、もっとよく見ようとした。だが、ぐいと後ろに引き戻される。見ればフランが、出過ぎるなと首を振っていた。無言で、唇だけを動かしている。
(あのこじゃない)
俺はぐっと歯を噛むと、視線を戻した。
「くそ!手錠がきちんと閉まってなかったんだ。おいお前!きちんと確認しなかったな!」
「す、すまん。だけど、捕まえたからよかったじゃないか。な?」
「ったく……」
男二人は、子どもを引きずってきて、乱暴に馬車の中に放り込むと、ぶつくさ言いながら宿へと入っていった。それと入れ違いに、じいさんが表に出てくる。
「……よし。もう出てきていいぞ」
俺は強張った顔で、納屋から出た。
「……じいさん。あいつらが、ここの常連か?」
「そうじゃ。この町に来るのは、ほとんどがあやつら奴隷商じゃ。おぬしらも見つかったら、やつらの商品にされてしまうぞ」
「なら、あいつらがどんなことをしているのかも、全部知ってるんだな?」
「もちろんじゃ。じゃが、しがない宿屋が食っていくためには、こうするほかない。わしとて、あまり贅沢は言えん立場じゃからな」
じいさんはそう言って、自分の耳を触った。その時初めて気が付いたが、じいさんの耳にはタグこそないが、小さなピアスの穴が開いていた。
「じいさん、元ノーマだったのか……」
「そうじゃよ。ハザールに長く仕えておったんでな、ここを任されたんじゃ」
「……なあ。そのハザールって魔術師、いったい何者だ?さっきの男たちも、ハザールの旦那がどうこう言ってたよな。あいつが奴隷商の元締めなのか?」
「……気になるかの?ならば、行ってみるがよい。ただし、何があっても自己責任じゃがの」
そう言ってじいさんは、とある方角を指さした。そちらに目を向けると、町を見下ろすような小高い丘の上に、大きな邸宅が建っているのが見えた。
「あすこが、魔術師の工房じゃ。そこに行けば、全てが分かるじゃろう」
そう言って老人は、痩せた体をぶるりと震わせた。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「桜下さん、どうかしたんですか?なんだか昨日から元気ないですけど……」
「いや……なんでもない……ナンでもないんだ……」
俺は肩に掴まっているウィルに、うつろな声で繰り返した。
今日も今日とて、俺たちは荒野を突っ走っている。だがそんな日々も、今日が最終日になるはずだ。アニのナビゲートが正しければ、もう間もなく目的地・ストーンビレッジが見えてくるからだ。
馬上の旅は確かに速いが、楽なことばかりじゃない。荒野の空気は乾燥していて、それを一日中浴び続けることになるからな。のどはいっつもカラカラだし、唇はひび割れてしまった。けど、そんなこと今は気にならない。なぜなら昨日、もっとショックな出来事があったからだ……
(どうしたって俺は、あんなことを……)
ああ、あのことを思い出すと、勝手に背筋が丸まっていくようだ。昨日俺は、アルルカの術策にまんまと引っかかってしまった。それはまだいいんだ、騙されただけだから。けど問題なのは、それを俺自身が楽しんでいた気がすることだ……
(俺は、ノーマルのはずだよな?けっして、加虐嗜好だなんてことは……?)
まさか、そんなまさか!俺はまだ健全な青少年だぞ?ましてや、アルルカのような変態のわけが……
「桜下さん!どうしちゃったんですか?さっきから変ですよ!」
「ヘン!?」
俺があまりにも過剰に反応したせいで、ウィルは危うく俺から手を放しそうになった。
「うわぁーん、桜下さんのバカ!びっくりしたじゃないですか!」
「ご、ごめんってば」
辛うじて襟首を掴んだので、ウィルは後方に置き去りにされずに済んだ。いけないいけない……
「もう……それで、何かあったんですよね?昨日からってことは、アルルカさんに何かされたんですか?」
うぐ。また話が戻ってきてしまった。しかも鋭いし。
「いやぁ~、そんな大したことじゃ……」
「まさか、無理やり何かしてきたんですか?アルルカさん、血のことになると普段の三割増しで変態になりますもんね。てことはやっぱり、変態行為をされたんです?」
変態行為なのは間違いない。間違いないけど、あんまり変態ヘンタイ言わないでほしい。俺も辛くなる……
「まさか……」
ぎゅっと、肩に掴まる手に力がこもる。なんだ?ウィルは俺の耳元に口を寄せて、小声でささやく。
「ひょっとして、えっちなことです……?」
「なぁ!?ちっげーよ!」
そそそ、そんなわけあるか!……ないよな?
「その反応……やっぱり、そっち系のことなんですか?」
「違うってば!まじで大したことないって。もういいだろ、気にしないでくれよ」
「いいえ、気になります!」
「えぇ……シスターだから、淫らな行為は許せないって?」
「シスターなんか関係ありませんよ。お……桜下さんが好きだから、気にしてるんじゃないですか」
うひゃ、またか!こいつ、馬に乗っている時に限って攻撃を仕掛けてくるぞ。
「そ、それとこれと、なんか関係あるのか?」
「大ありです!アルルカさんとえっちなことしたんだったら、それはもう浮気ですよ!」
えぇ、そうなのか?いや、そらそうか。いや待ってくれ、俺とウィルって付き合ってたっけ?
「なあウィル、ちょいと一度、冷静になってだな……」
「……ふーんだ。フランさんに言いつけてやろ」
「それだけは勘弁してください」
結局俺は、昨夜の出来事を洗いざらい白状させられた。身の潔白のためとはいえ、辛い時間だった……話を聞き終えたウィルは、ケロっと笑って「ああ、それは確かに大したことありませんね」と抜かしやがった。てめぇ、町についたら覚えてろよ……
町の接近は、巨大な石柱の出現によって容易に予測ができた。町の名前が“石村”だもんな、やっぱり岩が多いんだ。何もなかった荒野に、まるで木のようににょきにょきと立ち並ぶ岩の柱は、古代の木がそのまま化石になったかのように見えた。やがて大地の色が、灰色っぽい茶色から赤褐色に変わると、いよいよ町の姿が見えてきた。
「あれが、ストーンビレッジか……!」
その町は、巨大な赤い岩山に囲まれていた。大きな岩山だ……木は一本も生えていない。たぶん、山全体が丸まる一つの、バカでかい岩なんだろう。山にはところどころ、黒い点のような穴がポコポコと開いていた。坑道だろう、採掘も行っているようだ。
町が近づいてきたので、エラゼムはストームスティードの速度を落とした。周りの岩山もそうだが、町全体も赤い色をしている。まるで夕日に照らされているようで、もう夕方になったのかと錯覚しそうだな。ずっと夕焼けの町か……あの町に住んでいる人たちは、きっと一日中気だるい切なさと戦って生きているのだろう。
町の入り口に着いたので、悪目立ちするストームスティードは送り返した。久しぶりに硬い地面に足が触れる。さて、馬から降りて、まず一番にすることとは……
「ウィルー!待ちやがれー!」
「きゃー!すみません、許してー!」
俺はウィルを追いかけ回したが、やつは空を飛べる幽霊だ。スカートの裾すら掴むことはできなかった。
「いちゃついてないで、行くよ!」
フランに一喝されて、俺は復讐を諦めた。その時になって気づいたが、ウィルはわざと手加減して、俺をもてあそんでいたようだ。くうぅ……
「すごーい、どこもかしこも真っ赤っかだよ」
ライラは自分の赤毛をひと房つまみながら言った。にしても、本当に赤一色だな。町に生えている木は、土の赤さを吸い上げて育ったのか、幹が朱色をしているし、咲かせる花はみな濃いピンク色だ。家もそういった建材を使用しているから、やっぱり赤色だ。だけど、町の広場にある噴水から湧き出る水すら薄紅色だった時は、さすがに驚いた。
「この水……飲めるのか?」
『主様、私を浸けてください。飲める水かどうか判別します』
おお、そういやそんな機能もあったな。俺はアニを赤い水にちょんと付けた。
『……どうやらこの赤みは、植物由来の色素のようです。人体に害はありません』
「植物?」
『はい。この水の水源に、そういった草木が生えているのではないでしょうか』
へー、そういうことなのか。けど確かに、紅茶だって葉っぱの赤さだもんな。うん、それなら安心だ。
「っと、いけね。物珍しくってつい観光しちまった。それよりも、三つ編みちゃんの居場所だよな」
赤い水を興味津々でのぞき込んでいたライラも、はっと顔を上げた。
「そーだった!急がないと!」
「確か、この町にいる高名な魔術師のとこに行ったんだよな。そんなに有名なんだったら、町の人に聞けば分かるだろ」
ちょうどいい、この噴水広場には多くの人が行きかっている。おお、しかもすごいぞ。町行く人の多くも赤髪だ。何から何まで赤尽くしだな。さて、ではてきとうに道行く人を捕まえて……お。たくましい体の男の人が、噴水の向こうから歩いてきたぞ。
「あ、じゃああの人に……」
「あ、お、桜下さん。ちょっと待ってください」
おっと?ウィルに腕を掴まれた。
「なんだ?どうかしたか」
「あの人の、耳……」
耳……?俺ははっとして、その男の耳を見た。そこには、見覚えのある、金色の耳飾りが揺れていた。あれ……ノーマの証だ。ノーマは、三の国では奴隷階級に近い人たちだ。
「ノーマか……」
「ええ……ノーマの人が、何も知らないってことはないでしょうが。けど、別の人に聞いたほうがいいんじゃないでしょうか……」
ウィルに同感だ。ノーマは、タグに刻印されているご主人の為に働く人たちだ。あの男もまた、何かの仕事の最中なのだろう。それを邪魔しちゃ悪い。
「それなら、ノーマ以外の人たちに……って」
俺は広場を行きかう人たちを見て、はっと目を見開いた。ウィルも気付いたようだ。
「え、嘘……あの人も、あの人も!ここにいる人、ほとんどがノーマじゃないですか!」
男も女も、老いも若いも、あらゆる人の耳に金色のタグがぶら下がっている。な、なんだこれ。三の国の首都とは比べ物にならないくらい、たくさんのノーマが歩いている。俺はぞくりとした。歩いている人たち全員、目に光がない。
「ど、どうなってんだ……ここがたまたま、ノーマの人たちの通り道なのか?ほ、他の道にも行ってみよう!」
俺たちはバタバタと、広場を出て、別の通りに入った。だがそこでもみんな、耳にタグをつけている。あの通りでも、この通りでも!しかも、そのほとんどが赤毛だ……
「この町は……ノーマの町、なのか?」
俺は茫然とした。どうしてこんなにも奴隷が?ノーマには、必ず主人がいる。ってことはここには、これだけの数の奴隷を所有できるほどの富豪がいるってことか?
「なんだか、気味が悪い……奴隷だけの町だなんて」
ウィルは寒気を感じているように、腕を抱いている。エラゼムがあたりを見渡す。
「……ここは一度、どこかの店に入られてはいかがでしょうか。奴隷が店主を務めることはまれでしょう」
エラゼムは冷静沈着だ。なるほど、店か。
「そこなら、ノーマ以外の人がいるかも……よし、行ってみよう!」
ほどなくして、俺たちは一軒のボロ宿を見つけた。背中の曲がった白髪のじいさん店主が、店先の掃除をしている。俺はその人の耳を見てほっとした。やっとタグのない人に出会えたぞ。
「なあ!あんた、ちょっといいかな」
「うん……?珍しいの、旅人かい」
じいさんは俺たちを見ると、変わったものを見た様子で、箒を動かす手を止めた。
「ええ?旅人が珍しいって、ここは宿屋じゃないのか?」
「まあの。今はほとんど常連しか泊まらんのじゃよ」
「へぇ……」
誰かが常宿にしているのか?まあ、それはどうでもいい。
「それより、ちょっと聞きたいんだ。この町についてなんだけど」
「はあ。あぁ、そうさのう。旅人からしたら、この町は変わって見えるか」
「なあ、なんでここって、その」
「ノーマばかりなのかって?そりゃあ、ハザールがいるからじゃ」
「ハザール?」
「魔術師じゃ。ま、言ってしまえばあやつが、この町そのものみたいなもんじゃのう」
「ううん?意味が……」
俺が質問を重ねようとした、その時だ。遠くの方から、カラカラと車輪が回る音が聞こえてきた。その音を聞いたとたん、じいさんの態度が豹変した。
「……!隠れるんじゃ!」
「えっ」
「ぼやぼやするでない!そこの、納屋の中に行け!」
な、なんだなんだ?わけが分からないまま、俺たちは掃除用具やらなにやらが置かれた納屋に押し込まれてしまった。
「いいか、そこでじっとしとるんじゃ。何があっても、吐息一つ漏らすでないぞ!」
じいさんは怖い顔でそう言い含めると、店の前へと戻っていった。どういうつもりだ?俺たちは顔を見合わせ、とりあえず言われた通りに息を殺して、何が起こるのかを見ることにした。
少しすると、店の前に大きな馬車が停まった。む、あの馬車、見覚えがあるぞ。ここに来るまでにさんざんすれ違った、奴隷商の馬車だ。なんであんなもんがここに……?
「やれやれ、今回は骨が折れたなぁっと」
御車席から二人の男が降りてくる。一人は真っ黒に日焼けして、もう一人は日除けのバンダナを頭に巻いていた。
「いらっしゃい。何やらおつかれのようじゃの」
じいさん店主は、にこやかに二人組の男に挨拶した。親しげな様子を見るに、顔見知りのようだが……
「そうなんだよ。マスワニットの連中からの帰り、いつもの道を通ってきたら、賊が張っていやがってさ。まあいつもなら通行料を払えば済むんだけど、今回に限っていやに機嫌が悪くって」
うおっと。日焼けした男の言ったその賊ってのは、もしや俺たちがコテンパンにした追いはぎか?もう片方のバンダナ男も首を振っている。
「まったくだ。おかげで二人も差し出すことになっちまったよ。これじゃハザールの旦那にどやされるだろうなぁ」
「おやおや、それは災難じゃ。さ、とりあえず中に。なんにもない町じゃが、秘蔵の酒くらいなら出せますぞ」
「おお。はは、そいつはありがたい」
「ああ。じいさんの果実酒はヤマタノオロチの酒に匹敵するって?仲間に聞いたぜ」
「ほほほ、そいつは光栄じゃの。ささ、早く中へ」
二人組とじいさんは、宿へと入ろうとした。その時だ。カチャンと小さな音がして、馬車の陰から小さな影が飛び出した。二人組が物音に振り返ると、血相を変えて走り出す。
「んなぁ!おい、待ちやがれ!」
「商品が逃げた!捕まえろ!」
男たちは叫びながら人影を追う。だが人影の足はずいぶん遅かった。子どもだ。あっという間に追いつかれて、男の手に捕まる。
「この野郎!どっから逃げやがった!」
「リアアアアーー!」
この、叫び声……!俺は身を乗り出して、もっとよく見ようとした。だが、ぐいと後ろに引き戻される。見ればフランが、出過ぎるなと首を振っていた。無言で、唇だけを動かしている。
(あのこじゃない)
俺はぐっと歯を噛むと、視線を戻した。
「くそ!手錠がきちんと閉まってなかったんだ。おいお前!きちんと確認しなかったな!」
「す、すまん。だけど、捕まえたからよかったじゃないか。な?」
「ったく……」
男二人は、子どもを引きずってきて、乱暴に馬車の中に放り込むと、ぶつくさ言いながら宿へと入っていった。それと入れ違いに、じいさんが表に出てくる。
「……よし。もう出てきていいぞ」
俺は強張った顔で、納屋から出た。
「……じいさん。あいつらが、ここの常連か?」
「そうじゃ。この町に来るのは、ほとんどがあやつら奴隷商じゃ。おぬしらも見つかったら、やつらの商品にされてしまうぞ」
「なら、あいつらがどんなことをしているのかも、全部知ってるんだな?」
「もちろんじゃ。じゃが、しがない宿屋が食っていくためには、こうするほかない。わしとて、あまり贅沢は言えん立場じゃからな」
じいさんはそう言って、自分の耳を触った。その時初めて気が付いたが、じいさんの耳にはタグこそないが、小さなピアスの穴が開いていた。
「じいさん、元ノーマだったのか……」
「そうじゃよ。ハザールに長く仕えておったんでな、ここを任されたんじゃ」
「……なあ。そのハザールって魔術師、いったい何者だ?さっきの男たちも、ハザールの旦那がどうこう言ってたよな。あいつが奴隷商の元締めなのか?」
「……気になるかの?ならば、行ってみるがよい。ただし、何があっても自己責任じゃがの」
そう言ってじいさんは、とある方角を指さした。そちらに目を向けると、町を見下ろすような小高い丘の上に、大きな邸宅が建っているのが見えた。
「あすこが、魔術師の工房じゃ。そこに行けば、全てが分かるじゃろう」
そう言って老人は、痩せた体をぶるりと震わせた。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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