じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。

万怒 羅豪羅

12章 1-1 ロウランの心変わり

1-1 ロウランの心変わり

「ふむ……噂通り、酷い瘴気だな」

濃い紫色の霧が立ち込めている。木々には蜘蛛の巣とコケ、そしてほこりが混じり合ってできた天然の天幕が垂れ下がっていた。空は全く見えず、陽の光は厚い雲に遮られてしまっている。
ここは、紫魂の幽谷。巡礼街道沿いの田舎村、モンロービルの近くの谷に佇む、うっそうとした森だ。かつて竜が倒されたというこの森は、その竜が遺した怨念によるものか、おぞましいほどの瘴気が渦巻く危険地帯と化している。そんな村人たちが恐れ忌避する森の中を、平然と進む一人と一頭の姿があった。

「やれやれ、まったく前が見えん。これではお前の俊足も役に立たんな」

そう言って真っ黒な馬のたてがみを撫でたのは、馬と同じく全身黒い服に身を包んだ女だ。腰元には大きな剣を下げ、足場の悪い森の中をすいすいと進んでいく姿からは、細い体とは裏腹に鍛錬のあとが見て取れる。

「……む。見えてきたな」

黒い旅人・ペトラは、前方の霧を透かして見るように目を細めた。黒馬・アパオシャを引いて少し進めば、霧の合間になにか大きく白いものが見えてくる。大木のようにも見えるそれは、先に進むにしたがって細く、鋭くなっている……

「……間違いない。竜のあぎとだな」

ペトラは、その白い物体……巨大な竜の牙に、そっと触れた。

「……」

ペトラはしばらく、その牙に触れていた。かつてこの地で起きた戦い、失われた命、流された血……そういったものに、思いを馳せるかのように。

「……む?」

するとふいに、ペトラはおかしなものを見つけた。竜の牙の近くの斜面が、まるでつい最近何かが転げ落ちたかのように抉れているのだ。わだちの大きさからして、ちょうど人間の子どもが滑り落ちたようだが。
はて、おかしいな。近隣の村人は、ここを酷く恐れて一歩も近寄らないと聞いていたのだが……ペトラは首をかしげた。
その時だ。

「へぇ。珍しいねぇ、こんなところに見物客だなんて」

場違いに明るい声は、陰気な谷にはおよそ似つかわしくなかった。全く違う色の絵の具が混じったような違和感に、ペトラは顔をしかめた。

「……確かに、そのようだな。私としても、まさかここで誰かに出くわすとは、思ってもみなかった。いいや、より正確に言えば、こんなに早いとは思っていなかったと言うべきか」

「うん?どういうことだい?」

「最近、とある噂を耳にしてな。竜が眠る魔境にこぞって忍び込み、そこを荒らす不届き者がいる、とな」

「……ふーん。そんな風に聞いてるんだ」

ふいに、ペトラの前方の霧が揺らめいた。霧の向こうから現れたのは、銀色の仮面をつけた、奇妙ないで立ちの人物だ。

「不届き者、ねぇ。もしそれがホントだとしたら、とんでもない悪者だね?」

仮面の人マスカレードは、ペトラの前に現れると、両手を広げたふてぶてしい態度で続けた。

「で?おねーさんは、そんな悪者を退治しに来たってワケ?」

「いいや。もともと私は、大陸のあちこちを巡って旅をしていただけに過ぎない。この森に来たのも旅のついでだ。よもや人に出くわすとは思わなんだが……」

「だが、なんだい?」

「だが、もしも目の前で不埒な行為が行われるのだとしたら、それを見過ごすことはできんな。観光のついでに、こそ泥を退治するのもやぶさかではないさ」

ペトラが剣の柄に手を掛けると、ヒューウ。マスカレードは、馬鹿にしたように口笛を吹いた。

「言うねえ、おねーさん。でもさ、こうは考えなかったワケ?ここみたいな魔境は、とっても危険な場所だ。生半可な人間じゃ入ることすらかなわない。故に、ここに出入りできるやつは、相当の実力者である……ってさ」

「ああ。思った」

「へえ?じゃ、それだけ腕に自信があるってわけだ?」

「お前が言ったじゃないか?ここに入れるのは実力者だけだと。ここで出会ったということは、私もそれに含まれるのだろう?」

「……ちっ」

揚げ足を取られて、マスカレードはイラついたように舌打ちした。

「可愛くないなぁ、おねーさん。そんなんじゃ僕、手加減できないよ?」

「そうか。だがちょうどいい。ここなら人気もなく、被害を気にしなくてもすみそうだ」

「……なに?その言い方。まるで自分が勝てるみたいだけど」

「そう思うか?」

「……思うわけ、ねぇだろ!!!」

ダンッ!マスカレードは地面を蹴ると、いつの間にか抜かれていた黒い剣の切っ先を、ペトラの左胸目掛けて突き出した。ギィーン!マスカレードの刺突を、ペトラが剣の腹で受け止める。両者のつばぜり合いによって、二本の剣が火花をふく。ギリギリギリ!

「へぇ、やるじゃないか。僕の突きを受け止めるなんて……!」

「おほめにあずかり、光栄だ……!」

キィン。両者は同時に剣を引くと、さっと距離を離した。そして間髪入れずに再び間合いを詰め、剣を打ちこみあう。ギィン!ギィーン!一瞬のうちに無数の斬撃が繰り出され、そして弾かれた。

「らあっ!」

マスカレードが地面の土を蹴り上げる。ぐずぐずの腐葉土が降りかかり、ペトラの視界が一瞬遮られた。マスカレードが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「貰った…………っ!?」

ヒヒヒィィィン!アパオシャが勇ましくひづめを振り上げた。マスカレードは振りかぶった剣を止めて、後ろに下がるしかなかった。間一髪、アパオシャのひづめが振り下ろされ、地面にずずんとめり込んだ。

「はあぁ!」

ペトラが追撃を仕掛ける。ブゥーン!フルスイングで放たれた一撃を、マスカレードは高々と宙がえりすることでかわした。そのまま近くの梢の上に着地する。すると、木がぐらりと傾いたので、さすがのマスカレードも慌てた。下を見れば、木の根元が半分ほど抉れ飛んでいる。ペトラの剣圧によって、幹が吹き飛んでしまったのだ。大木がバキバキと、雷鳴のような音を立てて倒れる。ドスーン!
ザアァァァ。木が折れたことで、落ち葉が雨のように降り注いできた。

「……ふーん。なかなかやるじゃないか」

木の葉の吹雪が落ち着くと、マスカレードとペトラは再び距離を取って睨みあった。

「おねーさん、何者?ほんとに人間なのって感じだけど」

「そうか?私は、むしろ貴様の方こそ不気味に感じるがな」

「へぇ?僕の実力に恐れをなしたかい?」

「いいや。仮面で隠したつもりだろうが、放たれる気までは誤魔化しきれんようだな」

ペトラは剣を掲げると、その切っ先をマスカレードの顔へ向けた。

「その下、どうなっている。それが“本物”ではないだろう。お前は一体、何者だ」

「っ……」

マスカレードは、わずかに息をのんだ。軽くうつむくと、肩を揺らす。

「……ふっふっふ。あははは。そっか、やっぱりおねーさん、只者じゃないね。まさか、“コレ”に気付くなんてなぁ。もしかしたら使えるかもとは思ってたけど、まさかこれほどだなんて。うん、決めた」

「……独り言は終わりか?」

「うん。あんたは邪魔になりそうだ。だから、ここで殺すことにするよ」

ぞわわ。ペトラの腕に鳥肌が立つ。マスカレードの右手に、得体のしれない不気味な気配が集中している。ペトラは剣を構えて守りの体勢を取ったが、次に来た攻撃はそれで防げるものではなかった。

「レイジユニコーン……ッ!」

ザアアァァァ……!禍々しいオーラが、土をかき分けペトラに迫る。オーラは視認できるものではなかったが、彼女は動物的な本能でそれを感じ取った。剣を振りかぶり、オーラを断ち切る。だがそれは、風を剣で切ろうとするような行為だ。おぞましい気配が彼女を包み込むと、向かい風が吹きすさぶかの如く、彼女の長い黒髪をばたばたと乱した。

「くっ……」

ペトラは顔を腕で覆い、じっと怨嗟の暴風雨にたえた。ペトラは心に、自分の意志とは関係なく、ふつふつとした感情が沸き上がってくるのを感じた。奇妙な感覚だ。まるで自分の中に何者かが侵入し、真っ黒な液体を流し込んでいるようだった。

(一瞬でも気を抜けば、“もっていかれる”な……)

完全に防ぎこそできなかったものの、ペトラが放った一太刀は、オーラに一筋の風穴を開けることに成功していた。直撃を免れたことによって、ペトラは自分の心を見失わずに済んだのだ。

「ブルヒヒィィィン!」

その時だった。突如として、アパオシャが狂ったようにいななき、めちゃめちゃに暴れ始めたではないか。しまったと、ペトラは唇を噛んだ。さっきのオーラは、ペトラだけでなく、アパオシャにも効果を及ぼしていたのだ。
我を失ったアパオシャが振り上げたひづめが、ペトラの肩を掠める。彼女が一瞬それに気を取られ、そして瞬時に正面に目を戻した時には、マスカレードは目前まで迫っていた。

「死ねやあぁぁぁぁぁ!」

「っ」

ザシュ!

「ぐあっ」

刹那の会合の直後、地面を転がったのは、マスカレードだった。彼は突進の勢いのまま地面を滑り、背の低い木立にぶつかって停止した。

「くっ……」

苦し気に呻くと、剣を杖のようについて上体を起こす。その右肩には深い刀傷が刻まれていた。マスカレードは肩を震わせた。

「くっくっく……あーっはっはっは!」

カラーン。ペトラの剣が、地面に落ちて音を立てた。その剣の柄には、まだ彼女の左腕が残っている・・・・・・・・・・・・・。ペトラの左ひじから先は、すっぱりと切り落とされていた。

「油断したな!僕の勝ちだっ!!!」

勝ち誇った声で、マスカレードが叫んだ。次の瞬間、マスカレードの眼前に、ペトラの靴底が迫っていた。

「ぎゃっ」

ドカァ!容赦なく顔面を蹴りつけられて、マスカレードは木立の枝葉を突き破ってぶっ飛んだ。マスカレードを蹴りつけたままの姿勢で、ペトラがふぅと息を吐く。

「油断しているのはどちらか。腕を落とされた程度で、私は死なんぞ」

左腕を切り落とされてなお、ペトラは戦意を失ってはいなかった。それは、超人的な精神力によるものか、それとも……

「うぐ……くそったれが……」

吹っ飛んだ茂みの先で、マスカレードが苦し気に立ちあがる。彼の方が傷は浅いが、ペトラよりも弱って見えた。

「ちっ……腕を落としたのに、まだ動けるなんて。ゴキブリみたいにしぶといね、おねーさん」

「そうか。かの虫は、太古より生存競争を生き抜いてきた猛者だそうだな。それに肩を並べられるとは、光栄だ」

「……ッソが。あぁ、計画のことが無けりゃ今すぐぶっ殺してやりたいよ」

「なに?貴様、何を企んでいる?」

「言うわけないだろ、ばーか。目的も果たしたし、ここは引かせてもらうよ。けどね、この借りは必ず返す。いつか必ず殺してやるから、その時までせいぜい生き永らえな」

マスカレードはペトラを見据えたまま、一歩、また一歩と後ろに下がっていく。やがて紫色の霧が覆いかぶさり、彼の姿は茂みの奥へと消えていった。ペトラもまた、無理に追おうとはしなかった。彼女とて、腕を落とされたダメージは無視できるものではなかったからだ。

「やれやれ……面倒なことになった……」

ペトラは息を吐くと、その場にどかりと座り込んだ。左腕の様子を伺う彼女の下に、正気を取り戻したアパオシャが、ぶるぶると心配そうに鼻を鳴らして寄り添う。ペトラは無事なほうの腕で、鼻筋を撫でてやった。

「奴め。いったい何を企んでいる……?」

ペトラのつぶやきは、森の霧の中へと消えていった……



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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