じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
2-1 脱出
2-1 脱出
カバネの宿へと戻って来た。俺たちはあたりを注意深く見渡し、追っ手や待ち伏せがいないことを確認してから宿に入った。さっきの男の言っていたことが本当なら、今頃連中は躍起になって俺たちを探しているかもしれない。ビビって諦めてくれたら、一番いいんだけどな。
俺たちの部屋の扉を開けると、エラゼムがすくっと立ち上がって出迎えた。ライラはまだ眠っているようだ。
「皆様、お戻りになられましたか。おや?そちらの子どもは……」
「ああ。なんとか助けることはできたよ」
「おお、左様ですか。やりましたな」
「そうなんだけど……ちょいと面倒なこともあってな」
「はい?」
俺はエラゼムに、女の子を助けた一部始終を話した。
「なるほど……この子は、人攫いから逃げていたのですね」
「ああ。で、そいつらは仲間が大勢いて、これから仕返ししにくるんだってさ」
「ふん、いい度胸です。来るというならば、歓迎する準備はありますが……それでは、少々短楽的すぎますかな?」
「だよな。余計なもめ事は避けたほうがいいだろ」
ここで喧嘩しても、俺たちにメリットはない。女の子は助け出したんだし、後はとんずらしたほうが楽だろう。
「ただ、この子をどうするのかが問題なんだよな……」
俺は、フランに掴まれた腕を振りほどこうともがく女の子を、物憂げに見た。
「そちらの少女は、この国の言語は話せないのでしたな?」
「そうなんだよ。だから名前すらわかんなくて……」
「ぬう。それですと、親元を探すことすらままなりませぬな……」
奴隷商連中の対処より、こちらの方が難題だ。せめて言葉が分かればいいんだけど……俺は英語もからっきしだしなぁ。
「あー……キャンユースピークイングリッシュ?」
「……?」
ダメもとで言ってみたが、怪訝そうな顔をされてしまった。うーん、困った。この世界には、なにか、魔法の翻訳機でもないだろうか?食べると言葉が分かるこんにゃくとか……
「……ん、まてよ。アニ、お前なら海外の言葉もわかるんじゃないか?」
そうだ、この喋るガラスの鈴なら。俺は首元を見下ろす。だがアニは、否定するように左右に振れた。
『いいえ、生憎と私は大陸言語のみの対応なのです。異国の言葉についてのデータは持っていません』
「あぁ……そうなのか」
『ですが……一つ、可能性を上げるとするならば。“パロットパローラ”という魔法があります』
「え?魔法?」
『はい。簡単に言うと、言語を刷り込む魔法です。異国から連れてきた奴隷に言葉を仕込む際に使用されます』
「あ、じゃあそれを使えば、言葉が分かるのか!」
『そういうことになりますが……ただその魔法、恐ろしく高度でして。もちろん私も使えません』
「あちゃ、そうくるか……まあでも、確かに難しそうだよな。言葉を刷り込むなんて……」
魔法に全く知識のない俺からしたら、まさに雲の上の世界の話だ。俺は念のためウィルも見てみたが、彼女も首を横に振った。
「私じゃ、とても。でも、ライラさんなら、もしかしたら……」
魔法と言えば、ライラだ。彼女の類まれなる才能には何度も助けられている。今回はどうだろうか?忍びなく思いながらも、俺は寝ているライラを起こした。どのみち、そろそろ彼女にも話を聞いてもらう必要があるだろう。
「むにゃ……なぁに?まだくらいよ……?」
眠たそうな目をこすって、ライラがむくりと体を起こす。
「ライラ、悪いな。ただ、ちょっと忙しくなりそうなんだ」
「えぇー……?」
俺は手短に事の次第を説明した。ライラは眼をしょぼしょぼさせていたが、とりあえず話は理解してくれたようだ。
「パロットパローラのまほーは、知ってるけど……ごめんね、使い方は知らないの」
「ライラでもダメか……はぁ~」
「でも、でも!使い方を教われば、きっとできるはずだよ?呪文のルーン語が載った本があれば、きっとできるはずだもん!」
ライラは知らない魔法がある事が恥ずかしいのか、慌てて言い添える。うーん。その本を探す手間を考えると、最初から魔法が使える人を訪ねる方が早い気がする。魔法使いを探すとなったら、どこを当たるべきだろうか。
「……一度、王都に戻ってみるか」
「王都?」と、ライラが首をかしげる。
「ああ。俺たちだけじゃ、この子にしてやれることに限界があるよ。王宮に行って、ロアを頼ってみよう。アイツに借りを作るのは癪だけど……王様なら、凄腕の魔法使いの知り合いくらいいるだろう」
「むぅ……ほんとは、ライラだって使えるはずなんだからね?」
「わかってるって。お前も十分凄腕だよ」
頬を膨らませたライラの頭をぽんぽんと撫でると、俺はみんなの顔を見る。
「みんなも、それでいいかな?」
フランがうなずく。
「いいんじゃない。ドワーフんとこに寄った後の予定は、特に決めてなかったし」
ウィルも賛同した。
「こんなに小さな子どもを放っておくなんてできませんよ。王都には大きな神殿もありますし、だめならそこを頼ってみましょう」
ここまで話を聞いていたエラゼムも、特に意見はないようだった。最後のアルルカは聞いているのか分からないが、有無を言わせるつもりもない。
「じゃ、そういう方向性で行くか。後は、いつここを出るかだけど……」
なるべく早い方がいいだろうなと続けようとした、その時だ。トントンと、扉が小さくノックされた。俺たちは一斉に固まって、扉の方を見る。
「……私が、見てきましょうか?」
ウィルがそう言って扉の方へ向かおうとするが……
「……いや。あいつらだったら、律儀にノックなんかしないはずだ。てことは……」
俺の予想は的中した。ドアの向こうから聞こえてきたのは、主人のじいさんの声だった。
「おーい。お前さんたち、起きとるんか?ずいぶんドタバタしとるようだが、寝るならもう少し静かに寝とくれんか」
「あー、ごめん。ていうか、ちょうどよかった。ちょっと話したいことがあるんだ」
「なんじゃと?」
俺が扉を開けると、ランタン片手にナイトキャップを被ったじいさんが、白い髭面をのぞかせた。俺が彼を中に通すと、じいさんは女の子を見て、顔をしかめた。
「おいおい。一人増えとるじゃないか。困るよ、きちんと言ってもらわにゃあ」
「あ、ごめん。ていうか、今しがた増えたばかりというか」
「うん?どういうことじゃ?」
「どこから話したもんか……いいや、頭から話すか」
この宿からは引き払うことになるだろうから、理由を説明しないわけにはいかないだろう。俺が事情を簡潔に説明すると、じいさんは弛んだまぶたをかっと見開いた。
「なんじゃと。それじゃお前さんたち、マスワニットファミリーに手を出したっちゅうことか?」
「マス……何ファミリーだって?」
「知らんのか?マスワニットファミリー。この町で最大手の商人ギルドじゃよ。まさか、よりにもよってあそこに……」
「商人ギルドだって?じいさん、そりゃ間違ってるぜ。あそこが真っ当な商人だとは思えないよ」
「んなこと、百も承知しておるわ!悪人が大っぴらに悪事を働くわけがなかろう。あいつらに掛かれば、たとえどんなものであろうと商品になってしまうんじゃ。“マスワニットファミリーに売れぬものなし“とは、この町の人間ならだれでも知っとる」
ははぁ。なるほど、その通りだ。人間さえ売りさばく連中だから。
「じいさんたちは、連中のこと知ってるんだな。そいつら、そんなにヤバイ奴らなのか?」
「うぅむ……お前さんたちのような冒険家から見たらどうかわからんが、わしら一般市民にとっては恐ろしい存在じゃよ。大勢の手下がおるし、復讐には手段を選ばん連中じゃからな」
うーん、あの男の言っていたことは本当みたいだな。じいさんはゆるゆると首を振りながら続ける。
「お前さんたちは旅立っちまえばそれまでじゃろうが、わしに余計な置き土産は残さんでくれ。面倒ごとはごめんじゃ。悪いが、出て行ってもらうぞい」
じいさんはきっぱりと言った。ま、こればっかりは、じいさんが正しいだろう。
「わかってる。勝手に首を突っ込んだのは俺たちだからな。すぐに出発するよ。その事を相談しに行こうと思ってたところだったんだ」
俺があっさりとうなずくと、じいさんは拍子抜けしたような顔をした。俺が一晩分の宿代をきっちり払うと、じいさんはコインを受け取った手に視線を落として、ふぅとため息をついた。
「……悪いの。わしじゃって、どちらが悪でどちらが正義なのかはわかっとるつもりじゃ。お前さんたちは正しい事をしたんだろうよ」
「そうか?まあ、そう思ってくれるだけでもありがたいよ」
「うむ……」
じいさんはなおも何か言いたげだったが、悪いがぐずぐずしている暇はない。俺たちは手早く荷物をまとめると、宿の表へと向かった。
「じいさん、見送りはいいから。バタバタしちゃって申し訳ないけど」
じいさんは玄関先までついて来た。不安げな目をして、しきりに視線を泳がせている。
「き、気を付けるんじゃぞ。すでにマスワニットファミリーが待ち構えとるかもしれん。できるだけ急いで町を離れるんじゃ」
「ああ、わかってるよ」
「うむ。それとじゃな……」
「おい、まだなんかあるのか?急げって言ったのはあんただぜ」
「かぁっ!口の減らないガキじゃ!ええい、受け取れ!」
あん?じいさんは殴るようなしぐさで、俺に拳を突き出してきた。怪訝に感じながらも手を出すと、俺の手のひらに数枚の銀貨がチャリンと落とされた。
「え?これ、さっきの宿代じゃないか」
「そうじゃ。そいつは返しておくぞい」
「え。いいのか?」
「いいもなにも、お前さんらはほとんど泊まっとらんじゃろうが。それに……」
じいさんは瞳を伏せると、ぼんやりと遠いまなざしで続ける。
「……昔は、わしもお前さんらのように動いたこともあったんじゃ。わしの発明で、この世から不幸を取り除けると思っとった……ま、若気の至りじゃがな。結局失敗して、今はしがない宿屋のジジイになっちょる」
「じいさん……」
「そいつは、あの頃のわしからの餞別じゃ。わしの夢の続きは、お前たちに託す。その子のこと、頼んだぞい」
「……ああ。任せてくれ」
俺はコインをぎゅっと握ると、ポケットに落とした。たかだか数枚なのに、なぜだかずっしりと重く感じた。
「よっし、ライラ。寝起きで悪いけど、さっそく頼めるか?」
「任せてよ!大まほー使いは、時と場所を選ばないんだから!」
ライラの声は寝起きで少しかすれていたが、それでも淀みなく呪文を詠唱した。
「ストームスティード!」
風があたりに舞い、疾風の体を持つ馬が召喚された。俺たちが透明な馬に乗り込むのを、じいさんはあっけにとられて見つめている。女の子は得体のしれない存在に激しく抵抗したが、俺が無理やり馬上に抱え上げると、逆に怯えておとなしくなった。
「それじゃ、行こう!全速力で町を脱出する!」
「承知!はいやあ!」
騎手のエラゼムが腹を蹴ると、ストームスティードは力強くいななき、猛スピードで町の出口へと駆け始めた。
つづく
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俺たちの部屋の扉を開けると、エラゼムがすくっと立ち上がって出迎えた。ライラはまだ眠っているようだ。
「皆様、お戻りになられましたか。おや?そちらの子どもは……」
「ああ。なんとか助けることはできたよ」
「おお、左様ですか。やりましたな」
「そうなんだけど……ちょいと面倒なこともあってな」
「はい?」
俺はエラゼムに、女の子を助けた一部始終を話した。
「なるほど……この子は、人攫いから逃げていたのですね」
「ああ。で、そいつらは仲間が大勢いて、これから仕返ししにくるんだってさ」
「ふん、いい度胸です。来るというならば、歓迎する準備はありますが……それでは、少々短楽的すぎますかな?」
「だよな。余計なもめ事は避けたほうがいいだろ」
ここで喧嘩しても、俺たちにメリットはない。女の子は助け出したんだし、後はとんずらしたほうが楽だろう。
「ただ、この子をどうするのかが問題なんだよな……」
俺は、フランに掴まれた腕を振りほどこうともがく女の子を、物憂げに見た。
「そちらの少女は、この国の言語は話せないのでしたな?」
「そうなんだよ。だから名前すらわかんなくて……」
「ぬう。それですと、親元を探すことすらままなりませぬな……」
奴隷商連中の対処より、こちらの方が難題だ。せめて言葉が分かればいいんだけど……俺は英語もからっきしだしなぁ。
「あー……キャンユースピークイングリッシュ?」
「……?」
ダメもとで言ってみたが、怪訝そうな顔をされてしまった。うーん、困った。この世界には、なにか、魔法の翻訳機でもないだろうか?食べると言葉が分かるこんにゃくとか……
「……ん、まてよ。アニ、お前なら海外の言葉もわかるんじゃないか?」
そうだ、この喋るガラスの鈴なら。俺は首元を見下ろす。だがアニは、否定するように左右に振れた。
『いいえ、生憎と私は大陸言語のみの対応なのです。異国の言葉についてのデータは持っていません』
「あぁ……そうなのか」
『ですが……一つ、可能性を上げるとするならば。“パロットパローラ”という魔法があります』
「え?魔法?」
『はい。簡単に言うと、言語を刷り込む魔法です。異国から連れてきた奴隷に言葉を仕込む際に使用されます』
「あ、じゃあそれを使えば、言葉が分かるのか!」
『そういうことになりますが……ただその魔法、恐ろしく高度でして。もちろん私も使えません』
「あちゃ、そうくるか……まあでも、確かに難しそうだよな。言葉を刷り込むなんて……」
魔法に全く知識のない俺からしたら、まさに雲の上の世界の話だ。俺は念のためウィルも見てみたが、彼女も首を横に振った。
「私じゃ、とても。でも、ライラさんなら、もしかしたら……」
魔法と言えば、ライラだ。彼女の類まれなる才能には何度も助けられている。今回はどうだろうか?忍びなく思いながらも、俺は寝ているライラを起こした。どのみち、そろそろ彼女にも話を聞いてもらう必要があるだろう。
「むにゃ……なぁに?まだくらいよ……?」
眠たそうな目をこすって、ライラがむくりと体を起こす。
「ライラ、悪いな。ただ、ちょっと忙しくなりそうなんだ」
「えぇー……?」
俺は手短に事の次第を説明した。ライラは眼をしょぼしょぼさせていたが、とりあえず話は理解してくれたようだ。
「パロットパローラのまほーは、知ってるけど……ごめんね、使い方は知らないの」
「ライラでもダメか……はぁ~」
「でも、でも!使い方を教われば、きっとできるはずだよ?呪文のルーン語が載った本があれば、きっとできるはずだもん!」
ライラは知らない魔法がある事が恥ずかしいのか、慌てて言い添える。うーん。その本を探す手間を考えると、最初から魔法が使える人を訪ねる方が早い気がする。魔法使いを探すとなったら、どこを当たるべきだろうか。
「……一度、王都に戻ってみるか」
「王都?」と、ライラが首をかしげる。
「ああ。俺たちだけじゃ、この子にしてやれることに限界があるよ。王宮に行って、ロアを頼ってみよう。アイツに借りを作るのは癪だけど……王様なら、凄腕の魔法使いの知り合いくらいいるだろう」
「むぅ……ほんとは、ライラだって使えるはずなんだからね?」
「わかってるって。お前も十分凄腕だよ」
頬を膨らませたライラの頭をぽんぽんと撫でると、俺はみんなの顔を見る。
「みんなも、それでいいかな?」
フランがうなずく。
「いいんじゃない。ドワーフんとこに寄った後の予定は、特に決めてなかったし」
ウィルも賛同した。
「こんなに小さな子どもを放っておくなんてできませんよ。王都には大きな神殿もありますし、だめならそこを頼ってみましょう」
ここまで話を聞いていたエラゼムも、特に意見はないようだった。最後のアルルカは聞いているのか分からないが、有無を言わせるつもりもない。
「じゃ、そういう方向性で行くか。後は、いつここを出るかだけど……」
なるべく早い方がいいだろうなと続けようとした、その時だ。トントンと、扉が小さくノックされた。俺たちは一斉に固まって、扉の方を見る。
「……私が、見てきましょうか?」
ウィルがそう言って扉の方へ向かおうとするが……
「……いや。あいつらだったら、律儀にノックなんかしないはずだ。てことは……」
俺の予想は的中した。ドアの向こうから聞こえてきたのは、主人のじいさんの声だった。
「おーい。お前さんたち、起きとるんか?ずいぶんドタバタしとるようだが、寝るならもう少し静かに寝とくれんか」
「あー、ごめん。ていうか、ちょうどよかった。ちょっと話したいことがあるんだ」
「なんじゃと?」
俺が扉を開けると、ランタン片手にナイトキャップを被ったじいさんが、白い髭面をのぞかせた。俺が彼を中に通すと、じいさんは女の子を見て、顔をしかめた。
「おいおい。一人増えとるじゃないか。困るよ、きちんと言ってもらわにゃあ」
「あ、ごめん。ていうか、今しがた増えたばかりというか」
「うん?どういうことじゃ?」
「どこから話したもんか……いいや、頭から話すか」
この宿からは引き払うことになるだろうから、理由を説明しないわけにはいかないだろう。俺が事情を簡潔に説明すると、じいさんは弛んだまぶたをかっと見開いた。
「なんじゃと。それじゃお前さんたち、マスワニットファミリーに手を出したっちゅうことか?」
「マス……何ファミリーだって?」
「知らんのか?マスワニットファミリー。この町で最大手の商人ギルドじゃよ。まさか、よりにもよってあそこに……」
「商人ギルドだって?じいさん、そりゃ間違ってるぜ。あそこが真っ当な商人だとは思えないよ」
「んなこと、百も承知しておるわ!悪人が大っぴらに悪事を働くわけがなかろう。あいつらに掛かれば、たとえどんなものであろうと商品になってしまうんじゃ。“マスワニットファミリーに売れぬものなし“とは、この町の人間ならだれでも知っとる」
ははぁ。なるほど、その通りだ。人間さえ売りさばく連中だから。
「じいさんたちは、連中のこと知ってるんだな。そいつら、そんなにヤバイ奴らなのか?」
「うぅむ……お前さんたちのような冒険家から見たらどうかわからんが、わしら一般市民にとっては恐ろしい存在じゃよ。大勢の手下がおるし、復讐には手段を選ばん連中じゃからな」
うーん、あの男の言っていたことは本当みたいだな。じいさんはゆるゆると首を振りながら続ける。
「お前さんたちは旅立っちまえばそれまでじゃろうが、わしに余計な置き土産は残さんでくれ。面倒ごとはごめんじゃ。悪いが、出て行ってもらうぞい」
じいさんはきっぱりと言った。ま、こればっかりは、じいさんが正しいだろう。
「わかってる。勝手に首を突っ込んだのは俺たちだからな。すぐに出発するよ。その事を相談しに行こうと思ってたところだったんだ」
俺があっさりとうなずくと、じいさんは拍子抜けしたような顔をした。俺が一晩分の宿代をきっちり払うと、じいさんはコインを受け取った手に視線を落として、ふぅとため息をついた。
「……悪いの。わしじゃって、どちらが悪でどちらが正義なのかはわかっとるつもりじゃ。お前さんたちは正しい事をしたんだろうよ」
「そうか?まあ、そう思ってくれるだけでもありがたいよ」
「うむ……」
じいさんはなおも何か言いたげだったが、悪いがぐずぐずしている暇はない。俺たちは手早く荷物をまとめると、宿の表へと向かった。
「じいさん、見送りはいいから。バタバタしちゃって申し訳ないけど」
じいさんは玄関先までついて来た。不安げな目をして、しきりに視線を泳がせている。
「き、気を付けるんじゃぞ。すでにマスワニットファミリーが待ち構えとるかもしれん。できるだけ急いで町を離れるんじゃ」
「ああ、わかってるよ」
「うむ。それとじゃな……」
「おい、まだなんかあるのか?急げって言ったのはあんただぜ」
「かぁっ!口の減らないガキじゃ!ええい、受け取れ!」
あん?じいさんは殴るようなしぐさで、俺に拳を突き出してきた。怪訝に感じながらも手を出すと、俺の手のひらに数枚の銀貨がチャリンと落とされた。
「え?これ、さっきの宿代じゃないか」
「そうじゃ。そいつは返しておくぞい」
「え。いいのか?」
「いいもなにも、お前さんらはほとんど泊まっとらんじゃろうが。それに……」
じいさんは瞳を伏せると、ぼんやりと遠いまなざしで続ける。
「……昔は、わしもお前さんらのように動いたこともあったんじゃ。わしの発明で、この世から不幸を取り除けると思っとった……ま、若気の至りじゃがな。結局失敗して、今はしがない宿屋のジジイになっちょる」
「じいさん……」
「そいつは、あの頃のわしからの餞別じゃ。わしの夢の続きは、お前たちに託す。その子のこと、頼んだぞい」
「……ああ。任せてくれ」
俺はコインをぎゅっと握ると、ポケットに落とした。たかだか数枚なのに、なぜだかずっしりと重く感じた。
「よっし、ライラ。寝起きで悪いけど、さっそく頼めるか?」
「任せてよ!大まほー使いは、時と場所を選ばないんだから!」
ライラの声は寝起きで少しかすれていたが、それでも淀みなく呪文を詠唱した。
「ストームスティード!」
風があたりに舞い、疾風の体を持つ馬が召喚された。俺たちが透明な馬に乗り込むのを、じいさんはあっけにとられて見つめている。女の子は得体のしれない存在に激しく抵抗したが、俺が無理やり馬上に抱え上げると、逆に怯えておとなしくなった。
「それじゃ、行こう!全速力で町を脱出する!」
「承知!はいやあ!」
騎手のエラゼムが腹を蹴ると、ストームスティードは力強くいななき、猛スピードで町の出口へと駆け始めた。
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