じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
8-3
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「これが」「汽車」「ですか……」
よしよし。このリアクションが見たかったんだ。蒸気をもうもうと吐く汽車を見上げ、ぽかんと口を開ける仲間たちの姿に、俺は満足げにうなずいた。
漆黒色の機関車は、想像していたよりも一回りほど大きかった。しゅうしゅうと煙を吐くたたずまいは、巨大な生き物を彷彿とさせる。俺も汽車のビジュアルは知っていたけど、こうして現物を見てみると、なかなか圧巻だ。
「ほんじゃま、乗っていくか?」
「…………」
みんな、なかなか動こうとしない。初めて見る乗り物に、そうとう戸惑っているみたいだ。顔にはっきり書いてある。
「大丈夫だってば。ちょっと揺れるかもしれないけど、絶対楽だって」
「そ、そうですよね……」
ウィルは、この上なくぎこちない笑みを浮かべてうなずく。が、この直後に不運な事故が起こった。
汽車が突如、プシュゥー!と勢いよく蒸気を吐きだし、ウィルを吹き飛ばしてしまったのだ。もう絶対に乗らないと泣き喚くウィルをなだめるのに手間取り、俺たちが客車に乗り込んだのは発車ギリギリだった。
「おー。思ったよりも空いてるな」
客車には空席が目立った。座席も床も木造で、向かい合わせのベンチが左右に並んでいる。座部には、文字通り座布団が敷かれていたが、なんともぺらっぺらだ。小学校のころに敷いていた防災頭巾より薄っぺらいぞ。
「これ、どこに座ってもいいの?」と、フランが席を見回してたずねる。
「ああ。こんだけ空いてりゃ、ほとんど貸し切りみたいなもんだな。好きなところに……」
と、ふいに床がガタンと揺れた。汽車が動き出したんだ。
「うわわっ」
おっと。危うく倒れそうになったライラを支える。汽車は汽笛を鳴らすと、少しずつスピードを上げ始めた。ゆらゆらと揺れる客車に合わせて、みんなもおっかなびっくりバランスを取っている。宙に浮いているウィルだけが、困惑したような表情を浮かべていた。
俺はにやっと笑うと、座席へと向かった。
「座ろうぜ。長い旅路になるだろうから」
座席は二人掛けだった。ライラが窓の外を見たそうにしていたので、俺は通路側に腰を下ろした。向かいにはアルルカとフランが座る。鎧と荷物で幅を取るエラゼムは、俺たちの後ろの席に座った。
「わぁー、速いんだねぇ!」
後ろに流れていく景色を眺めて、ライラは瞳をキラキラ輝かせている。
「このペースなら、明日の朝方には着くんじゃないか?」
乗る前に見た時刻表にも、確かそんなことが書いてあったはずだ。
「なら、今夜はここで一泊になるんですね」
ウィルは、ロッドを杖のように床につきながら言った。んん?妙な格好だな。まあもちろん、杖なんだから、間違った使いかたではないんだけど……
「ウィル、なんでロッドをついてるんだ?浮いてるんだから、揺れも関係ないだろ?」
「ああ、これですか。浮いてるからこそ、杖をついているんですよ」
「あん?」
「考えてみてもください。私、床に触れていないんですよ?厳密には、私はこの汽車には乗っていないんです」
あれ?そう言われてみれば……地面がどれだけ動こうが、空中にいる相手に影響はない。つまり汽車が動き出した場合、浮かんでいるウィルを置いてけぼりする形になる、のか?
「けど、それなら今は?」
「何かに触れておけば、私もいっしょに移動できるみたいなんです。ほら、あの風の馬で移動するときに、桜下さんに掴まっているみたいに」
「なるほど、そのためのロッドか」
「そういうことです」
ふうむ、そういうことだったのか。実体のない体というのは、何かと勝手が違うところが多いな。俺が幽霊だったら頭がこんがらがりそうだけど、ウィルはもうだいぶ慣れた様子だった。
「……ねぇ、だったらさぁ?」
俺たちの会話を聞いていたのか、ライラが窓からこちらに振り返った。
「なんだ、ライラ?」
「さっきの話、ウィルおねーちゃんは浮いてるから、何かに掴まってないといけないんでしょ?」
「そうだな」
「じゃあ、ライラがここでジャンプしたら、どうなるの?」
「え?」
「この汽車って、すっごい速く動いてるんでしょ。それなのに、もし床から離れちゃったら……」
ライラは途中で真っ青になって、片方の手を窓枠に、もう片方の手を俺の腕にぎゅうと沈みこませた。
「いてて。ライラ、心配すんなよ。想像しているような事にはならないって」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ……」
はて、どう言えばいいんだろう。なんども電車なり車なりに乗った経験から、そんな事起こるはずないっていうのはわかるんだけど。ええーっと、確か、前にテレビかなんかで……
「えっとだな。ライラ、俺たちはいまじっとしているように見えるけど、実際は猛スピードで移動してるんだ」
「どういうこと?ライラ、今座ってるけど」
「けど、座ってる座席が、つまり汽車が動いてるだろ。ってことは、そこに座ってる俺たちも、汽車と同じスピードで動いてるわけだ」
「……それもそうだね。ストームスティードに乗ってる時と同じってことでしょ?」
「おお、その通りだ。つまりだな、俺たちは常に、前に向かう力を受けているわけなんだ。その状態でジャンプしたとしても、床自体が動く勢いに後押しされる形になるから、後ろにすっ飛ぶことにはならないんだよ」
「……うん。なんとなく、わかったよ」
そうは言ったものの、ライラはまだ手を離さなかった。ライラは高度な魔法を操る天才だが、まだ幼い。頭では理解できているんだろうけど、それだけでは不安を吹き飛ばせないんだろうか。
「そうだな、例えば……」
俺はカバンを漁って、金貨を一枚取り出した。
「見とけよ」
俺はそういって、指に乗せたコインをピーンとはじいた。コインは空中できらりと光りを放ち、すとんと俺の手のひらにおさまった。
「な?俺たち自体が移動しているから、コインもその勢いを受けて、元の位置を動かないのさ」
「ほんとだ……」
ライラは、窓枠を掴んだ手を離し、俺の手からコインをつまみ上げた。そして何度が自分の手の上でぽんぽんともてあそぶと、ようやく納得した様子で、俺の腕を離した。
「本当に、桜下さんはいろんなことを知ってますね」
ウィルが感心した様子でうなずくので、俺は気恥ずかしくなってしまった。
「よせよ。俺だって、どっかで聞いた話を、たまたま思い出しただけなんだ」
「そうなんですか?でも私、そんな話を聞く機会すらなかったですもん。桜下さんのいたところって、みんな頭がいいんだろうなぁ……」
わー、やめてくれ。そんなこと言ったら、学校にろくすっぽ行ってなかった俺は、とんでもない大馬鹿ってことになっちまうぜ。
「……ふーん。じゃああんた、あたしの質問にも答えなさいよ」
え?なぜかアルルカが翼を広げ(その拍子に隣のフランの顔を強打し、フランは青筋を浮かべた)、その場でふわりと浮かび上がった。
「これだったら、どういうことになるのよ?今のあたしは、そこのシスターとおんなじ状況よね?」
へ?アルルカは今、いつもの謎の原理で、空中にぴたりと静止している。その理由云々を省けば、アルルカとウィルの状態は一致している……
「あれ、でも確かにそうだな……俺も、車内でハエが飛んでるのを見たことあるぞ」
「あんた、あたしとハエを同じに見てるの……?まあいいわ。ともかく、あんたの説明によれば、どっかしらかに触れているから、勢いを得れるんだったわよね。けど今のあたしは、どこにも触れちゃいないわよ」
その通りだった。アルルカは汽車には一切触れていない。それなのに、アルルカはその場にとどまり続けている。はて、どうしてだ?
ライラは、さっきまで床に触れていたので、エネルギーが残っているんじゃないかと主張した。けどその場合、アルルカは緩やかに後ろに下がっていくことになるはずだ。
ウィルは、自分と同じで、なにがしかの霊的エネルギーが関与しているのではと主張した。確かにその可能性もあるが、それじゃ元も子もない。ハエは霊的存在じゃないしな。
フランは、ヴァンパイアはあまりにも非常識で馬鹿馬鹿しい存在だから、この世の法則が当てはまらないのだと主張した。
アルルカは、あんたぶっ飛ばすわよと主張した。
「うぅ~む……」
下二つはともかく、上二つの主張も、的を射ているとは思えないが……かといって、代案も思いつかない。実はアルルカも、汽車と同じスピードで飛んでいるのだろうか?俺が電車で見たハエも、ああ見えてそうとうな努力をしていたとか?
『主様。お困りですか?』
俺が首をひねっていると、シャツの下でアニが、チリリとかすかに揺れた。
『もしお困りでしたら、ちょっとしたヒントを。あのヴァンパイアも、何かに触れていると考えてみてください』
触れている?だって、アルルカは宙に浮かんでいるのに……宙?
「あっ、そういうことか!空気だ!」
俺がポンと手を打つと、みんなの視線がこっちに集まった。
「空気、ですか?」
「そうそう。この客車の中の空気も、汽車と同じで移動してるんだ。だからアルルカもハエも、空を飛べるんだ。空気に触れてるから」
「ははぁ、なるほど……」
たぶん、そういうことなんだと思う。アルルカなんかは、空気に触れたからなによ?と納得いっていない様子だったが、これ以上は俺にも説明のしようがない。物理の授業なんて、生涯で受けたためしがないからな。
「でも、そういうことなら……」と、ウィルがぽつりとつぶやく。
「わたしも、実は大丈夫なんでしょうか。杖に掴まらなくても」
「え?それは……どうなんだろう。ハエとアルルカは似たようなもんだけど、ウィルは幽霊だからなぁ」
アルルカの抗議は、きれいに黙殺された。
「汽車が動き出した時は、ほんの一瞬だけ、後ろに置いてかれてしまったんです。けど、空気に触れてるって意識すれば、もしかしたら……」
ウィルは幽霊だが、強く意識したものには触れることができる。その理論で行けば、ウィルも留まることができるかもしれない。
「試してみるか?俺が後ろにいて、万が一の時は支えてやるよ」
「そうですね……お願いできますか?」
俺は立ちあがると、ウィルの背後に回った。ウィルは床についたロッドを両手で握りしめ、全神経をそこに集中してます、という顔をしていた。
「……行きます」
ウィルが片手を離した。俺たちはシーンと静まり、ウィルの手だけを見つめている。
「……五、数えたら、手を離しますよ……五、四、三」
ウィルはカウントと連動させて、指を一本ずつ離していく。小指、薬指、中指……
「にぃ……」
ついに人差し指が離れた。ロッドは、親指と手のひらで支えられているだけだ……
「いちやっぱり怖いですっ!」
うわ。離すか離さないかくらいのタイミングで、ウィルが俺の胸に飛び込んできた。ぷるぷる震えているウィルには悪いんだけど、これは……
「ぷっ。あっはっはっは!」
俺と、それからライラは、腹を抱えて笑った。ウィルは顔を真っ赤にして、耳元でぎゃんぎゃん叫んでいたが、あいにくほとんど聞き取ることはできなかった。
「…………」
その光景を、フランだけが、酷く冷たい目で見つめていた。それに気づいたものは、俺たちの中に誰一人としていなかった。
つづく
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よしよし。このリアクションが見たかったんだ。蒸気をもうもうと吐く汽車を見上げ、ぽかんと口を開ける仲間たちの姿に、俺は満足げにうなずいた。
漆黒色の機関車は、想像していたよりも一回りほど大きかった。しゅうしゅうと煙を吐くたたずまいは、巨大な生き物を彷彿とさせる。俺も汽車のビジュアルは知っていたけど、こうして現物を見てみると、なかなか圧巻だ。
「ほんじゃま、乗っていくか?」
「…………」
みんな、なかなか動こうとしない。初めて見る乗り物に、そうとう戸惑っているみたいだ。顔にはっきり書いてある。
「大丈夫だってば。ちょっと揺れるかもしれないけど、絶対楽だって」
「そ、そうですよね……」
ウィルは、この上なくぎこちない笑みを浮かべてうなずく。が、この直後に不運な事故が起こった。
汽車が突如、プシュゥー!と勢いよく蒸気を吐きだし、ウィルを吹き飛ばしてしまったのだ。もう絶対に乗らないと泣き喚くウィルをなだめるのに手間取り、俺たちが客車に乗り込んだのは発車ギリギリだった。
「おー。思ったよりも空いてるな」
客車には空席が目立った。座席も床も木造で、向かい合わせのベンチが左右に並んでいる。座部には、文字通り座布団が敷かれていたが、なんともぺらっぺらだ。小学校のころに敷いていた防災頭巾より薄っぺらいぞ。
「これ、どこに座ってもいいの?」と、フランが席を見回してたずねる。
「ああ。こんだけ空いてりゃ、ほとんど貸し切りみたいなもんだな。好きなところに……」
と、ふいに床がガタンと揺れた。汽車が動き出したんだ。
「うわわっ」
おっと。危うく倒れそうになったライラを支える。汽車は汽笛を鳴らすと、少しずつスピードを上げ始めた。ゆらゆらと揺れる客車に合わせて、みんなもおっかなびっくりバランスを取っている。宙に浮いているウィルだけが、困惑したような表情を浮かべていた。
俺はにやっと笑うと、座席へと向かった。
「座ろうぜ。長い旅路になるだろうから」
座席は二人掛けだった。ライラが窓の外を見たそうにしていたので、俺は通路側に腰を下ろした。向かいにはアルルカとフランが座る。鎧と荷物で幅を取るエラゼムは、俺たちの後ろの席に座った。
「わぁー、速いんだねぇ!」
後ろに流れていく景色を眺めて、ライラは瞳をキラキラ輝かせている。
「このペースなら、明日の朝方には着くんじゃないか?」
乗る前に見た時刻表にも、確かそんなことが書いてあったはずだ。
「なら、今夜はここで一泊になるんですね」
ウィルは、ロッドを杖のように床につきながら言った。んん?妙な格好だな。まあもちろん、杖なんだから、間違った使いかたではないんだけど……
「ウィル、なんでロッドをついてるんだ?浮いてるんだから、揺れも関係ないだろ?」
「ああ、これですか。浮いてるからこそ、杖をついているんですよ」
「あん?」
「考えてみてもください。私、床に触れていないんですよ?厳密には、私はこの汽車には乗っていないんです」
あれ?そう言われてみれば……地面がどれだけ動こうが、空中にいる相手に影響はない。つまり汽車が動き出した場合、浮かんでいるウィルを置いてけぼりする形になる、のか?
「けど、それなら今は?」
「何かに触れておけば、私もいっしょに移動できるみたいなんです。ほら、あの風の馬で移動するときに、桜下さんに掴まっているみたいに」
「なるほど、そのためのロッドか」
「そういうことです」
ふうむ、そういうことだったのか。実体のない体というのは、何かと勝手が違うところが多いな。俺が幽霊だったら頭がこんがらがりそうだけど、ウィルはもうだいぶ慣れた様子だった。
「……ねぇ、だったらさぁ?」
俺たちの会話を聞いていたのか、ライラが窓からこちらに振り返った。
「なんだ、ライラ?」
「さっきの話、ウィルおねーちゃんは浮いてるから、何かに掴まってないといけないんでしょ?」
「そうだな」
「じゃあ、ライラがここでジャンプしたら、どうなるの?」
「え?」
「この汽車って、すっごい速く動いてるんでしょ。それなのに、もし床から離れちゃったら……」
ライラは途中で真っ青になって、片方の手を窓枠に、もう片方の手を俺の腕にぎゅうと沈みこませた。
「いてて。ライラ、心配すんなよ。想像しているような事にはならないって」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ……」
はて、どう言えばいいんだろう。なんども電車なり車なりに乗った経験から、そんな事起こるはずないっていうのはわかるんだけど。ええーっと、確か、前にテレビかなんかで……
「えっとだな。ライラ、俺たちはいまじっとしているように見えるけど、実際は猛スピードで移動してるんだ」
「どういうこと?ライラ、今座ってるけど」
「けど、座ってる座席が、つまり汽車が動いてるだろ。ってことは、そこに座ってる俺たちも、汽車と同じスピードで動いてるわけだ」
「……それもそうだね。ストームスティードに乗ってる時と同じってことでしょ?」
「おお、その通りだ。つまりだな、俺たちは常に、前に向かう力を受けているわけなんだ。その状態でジャンプしたとしても、床自体が動く勢いに後押しされる形になるから、後ろにすっ飛ぶことにはならないんだよ」
「……うん。なんとなく、わかったよ」
そうは言ったものの、ライラはまだ手を離さなかった。ライラは高度な魔法を操る天才だが、まだ幼い。頭では理解できているんだろうけど、それだけでは不安を吹き飛ばせないんだろうか。
「そうだな、例えば……」
俺はカバンを漁って、金貨を一枚取り出した。
「見とけよ」
俺はそういって、指に乗せたコインをピーンとはじいた。コインは空中できらりと光りを放ち、すとんと俺の手のひらにおさまった。
「な?俺たち自体が移動しているから、コインもその勢いを受けて、元の位置を動かないのさ」
「ほんとだ……」
ライラは、窓枠を掴んだ手を離し、俺の手からコインをつまみ上げた。そして何度が自分の手の上でぽんぽんともてあそぶと、ようやく納得した様子で、俺の腕を離した。
「本当に、桜下さんはいろんなことを知ってますね」
ウィルが感心した様子でうなずくので、俺は気恥ずかしくなってしまった。
「よせよ。俺だって、どっかで聞いた話を、たまたま思い出しただけなんだ」
「そうなんですか?でも私、そんな話を聞く機会すらなかったですもん。桜下さんのいたところって、みんな頭がいいんだろうなぁ……」
わー、やめてくれ。そんなこと言ったら、学校にろくすっぽ行ってなかった俺は、とんでもない大馬鹿ってことになっちまうぜ。
「……ふーん。じゃああんた、あたしの質問にも答えなさいよ」
え?なぜかアルルカが翼を広げ(その拍子に隣のフランの顔を強打し、フランは青筋を浮かべた)、その場でふわりと浮かび上がった。
「これだったら、どういうことになるのよ?今のあたしは、そこのシスターとおんなじ状況よね?」
へ?アルルカは今、いつもの謎の原理で、空中にぴたりと静止している。その理由云々を省けば、アルルカとウィルの状態は一致している……
「あれ、でも確かにそうだな……俺も、車内でハエが飛んでるのを見たことあるぞ」
「あんた、あたしとハエを同じに見てるの……?まあいいわ。ともかく、あんたの説明によれば、どっかしらかに触れているから、勢いを得れるんだったわよね。けど今のあたしは、どこにも触れちゃいないわよ」
その通りだった。アルルカは汽車には一切触れていない。それなのに、アルルカはその場にとどまり続けている。はて、どうしてだ?
ライラは、さっきまで床に触れていたので、エネルギーが残っているんじゃないかと主張した。けどその場合、アルルカは緩やかに後ろに下がっていくことになるはずだ。
ウィルは、自分と同じで、なにがしかの霊的エネルギーが関与しているのではと主張した。確かにその可能性もあるが、それじゃ元も子もない。ハエは霊的存在じゃないしな。
フランは、ヴァンパイアはあまりにも非常識で馬鹿馬鹿しい存在だから、この世の法則が当てはまらないのだと主張した。
アルルカは、あんたぶっ飛ばすわよと主張した。
「うぅ~む……」
下二つはともかく、上二つの主張も、的を射ているとは思えないが……かといって、代案も思いつかない。実はアルルカも、汽車と同じスピードで飛んでいるのだろうか?俺が電車で見たハエも、ああ見えてそうとうな努力をしていたとか?
『主様。お困りですか?』
俺が首をひねっていると、シャツの下でアニが、チリリとかすかに揺れた。
『もしお困りでしたら、ちょっとしたヒントを。あのヴァンパイアも、何かに触れていると考えてみてください』
触れている?だって、アルルカは宙に浮かんでいるのに……宙?
「あっ、そういうことか!空気だ!」
俺がポンと手を打つと、みんなの視線がこっちに集まった。
「空気、ですか?」
「そうそう。この客車の中の空気も、汽車と同じで移動してるんだ。だからアルルカもハエも、空を飛べるんだ。空気に触れてるから」
「ははぁ、なるほど……」
たぶん、そういうことなんだと思う。アルルカなんかは、空気に触れたからなによ?と納得いっていない様子だったが、これ以上は俺にも説明のしようがない。物理の授業なんて、生涯で受けたためしがないからな。
「でも、そういうことなら……」と、ウィルがぽつりとつぶやく。
「わたしも、実は大丈夫なんでしょうか。杖に掴まらなくても」
「え?それは……どうなんだろう。ハエとアルルカは似たようなもんだけど、ウィルは幽霊だからなぁ」
アルルカの抗議は、きれいに黙殺された。
「汽車が動き出した時は、ほんの一瞬だけ、後ろに置いてかれてしまったんです。けど、空気に触れてるって意識すれば、もしかしたら……」
ウィルは幽霊だが、強く意識したものには触れることができる。その理論で行けば、ウィルも留まることができるかもしれない。
「試してみるか?俺が後ろにいて、万が一の時は支えてやるよ」
「そうですね……お願いできますか?」
俺は立ちあがると、ウィルの背後に回った。ウィルは床についたロッドを両手で握りしめ、全神経をそこに集中してます、という顔をしていた。
「……行きます」
ウィルが片手を離した。俺たちはシーンと静まり、ウィルの手だけを見つめている。
「……五、数えたら、手を離しますよ……五、四、三」
ウィルはカウントと連動させて、指を一本ずつ離していく。小指、薬指、中指……
「にぃ……」
ついに人差し指が離れた。ロッドは、親指と手のひらで支えられているだけだ……
「いちやっぱり怖いですっ!」
うわ。離すか離さないかくらいのタイミングで、ウィルが俺の胸に飛び込んできた。ぷるぷる震えているウィルには悪いんだけど、これは……
「ぷっ。あっはっはっは!」
俺と、それからライラは、腹を抱えて笑った。ウィルは顔を真っ赤にして、耳元でぎゃんぎゃん叫んでいたが、あいにくほとんど聞き取ることはできなかった。
「…………」
その光景を、フランだけが、酷く冷たい目で見つめていた。それに気づいたものは、俺たちの中に誰一人としていなかった。
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