じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
8章 1-1 血の契り
1-1 血の契り
某所。薄暗い地下室に時おり響くのは、フラスコから滴り落ちる液体の、ピションという音だけだった。薄緑色に光る気味の悪い液体は、細い管を通じて、点滴のように被検体へと注がれている。しかしその被検体もまた、何かの形をしているわけではない。蠢く肉塊だ。薄緑の液体がピチョンと注がれる度に、肉塊は脈動するようにドクリと動くのだった。
「……遅かったな」
その地下室に、無感情な男の声が響き渡った。
「いやぁ、前の現場が少し手間取っちゃって」
対してそれに答えたのは、男と対照的に妙に軽薄な声だった。薄暗い地下室に、その声は場違いなほど明るく、楽しげであった。
「うわぁ、また実験してるんです?今度のはずいぶんキモイんですねぇー」
「無駄口をきくな。貴様に割く余分な時間など無い」
「はぁーいはい。それで、用件は?」
「仕事だ。ある一行を襲撃しろ」
「一行?なんだ、じゃあ相手は人間か……」
「不満でも?」
「人間はすぐ死ぬから、殺し甲斐がないんだよね。ま、いいけど。それで、相手は?」
「三の国国内にいる。数人からなる旅人たちだ」
「は?それだけ?ただの旅人を殺すために、わざわざ僕を呼んだの?」
「最後まで聞け。その一行は、正体を隠してはいるが……やつらは、勇者のパーティだ」
「勇者……!」
ピション。また一滴、薄緑に光る液体が滴る。その淡い光が、地下室に無数に置かれたガラス器具の輪郭を浮かび上がらせていた。
「へぇ~……それなら、ちょっとは楽しめそうだね。で?どれくらいまでやっていいの?」
「奴らの実力は、まだ正確には不明だ。今回の目的は、それを推し量るものでもある。だが、貴様一人で捻れる程度の力しか持たないのであれば……」
ピション。また液体が滴る。肉塊が震えるようにぴくりと動いた。
「殺せ」
「……りょうかーい。きひひひ!」
気味の悪い笑い声を最後に、二人は地下室を離れていった。薄緑に光る試験管の前を、そのうちの一人が横切る。そのガラスの表面には、銀色に輝く仮面が映し出されていた……
「また君に会えそうだね。勇者くん」
仮面の人物は、無機質な仮面の下で静かに唇を吊り上げるのだった。
「……ふむ。本日の稽古はこのくらいにしておきましょうか」
そう言って、鎧の騎士・エラゼムは持っていた棒切れを地面に置いた。
「ふぅ~……」
俺はどっと疲れた息を吐くと、剣を腰にしまって、乾いた砂地に腰を下ろした。
「だいぶ動きがよくなってきましたな」
「そうかぁ?自分じゃよく分からないけど……」
エラゼムはそうねぎらってくれるが、いまいち鵜呑みにしづらい。エラゼムの棒切れは、傷こそあれど、最後まで折れることはなかったから。
今俺たちがいるのは、青い月が照らす、岩だらけの荒れ地だ。見渡す限り岩、岩、岩で、乾いた大地には草木もほとんど生えていない。月の光が荒れ果てたキャンバスに色を与え、青、濃紺、灰色、黒と、滑らかに染め上げている。ともすれば絵画のように美しい光景だが、こんな不毛な土地では、畑の一つも作れないだろう。不毛が故の美しさ……こういうの、退廃的って言うんだっけ?
俺たちは、ヴァンパイアに苦しめられていたセイラムロットの町を離れた後、進路を北へと取って移動を続けていた。セイラムロットへの行きは、ワープでひとっ跳びだったからよかったものの、帰りの手段は何にも用意されていなかった。当然、あの性根の曲がった大公がお迎えを寄越してくれるはずもなく……もちろん、俺がシリス大公を突っぱねるようなことを言ったせいもあるんだろうけど。なので町を出てからは、ひたすら自分たちの足で歩くしかなかったのだ。
「しっかし、行けども行けども荒野ばっかりだなぁ」
俺は目の前に広がる、ごつごつした荒れ地を見ながらつぶやいた。移動を始めてから数日経ったが、景色は一向に変わる気配を見せない。こんな場所では食い扶持も確保できないのか、村どころか民家の一軒すら見つけられなかった。今夜はこの岩場で野宿するしかないな。ふかふかのベッドが恋しい……
そんななか俺とエラゼムは、ウィルが夕飯の支度をしてくれている間、暇を見つけては行っている剣術の訓練をしていたのだ。
「三の国は土地が痩せているとは聞いておりましたが、まさしくその通りですな」
エラゼムが俺の隣に腰を下ろしながら言う。三の国はこんな土地柄だから、国を挙げて魔術の研究に精を出すようになったんだっけか。たとえ草木や作物は育たなくても、魔力は世界のあらゆる所に普遍的に存在している……というのは、アニの弁だった。そう考えると、合理的な判断だな。
「あ、お二人とも。お稽古は終わりました?」
俺たちが剣を振るうのをやめたところで、幽霊であるウィルがこちらを振り返った。ウィルの手元では、火にかけられた鍋がぐつぐつと湯気を発している。焚き火の炎が、半透明の彼女の体を通して、うっすらと透けていた。
「おう。ちょうどいま終えたところだよ」
「なら、タイミングいいですね。もうできますよ」
ウィルの手元の鍋では、干し肉とゴロゴロした野菜が、琥珀色のスープの中で踊っていた。
「鍋物は、ほんとはもっといっぱい作ったほうが美味しくなるんですけどねぇ」
ウィルが残念そうに肩を落とす。こればっかりはなぁ、何人分作っても、食うのが俺一人じゃしょうがない。
「うーん……あ、ウィルも食べてみるか?」
「へ?」
「ほら、前もやっただろ。俺の魔力を経由して、食べさせるやつ」
幽霊であるウィルは物を食べることができないけど、俺の魔力を介せば、味だけなら感じることができる。そういう意味の提案だったのだが、ウィルは少し考えてから首を振った。
「でも……そんな何回も食べさせてもらうのは、大変でしょう。それに、結局は残っちゃいますしね」
「まあな。俺は構わないけど……」
「うーん、でもやっぱり遠慮しておきます。私、食にはそんなに執着してないので。ああ、でも……」
「でも?」
ウィルは何かを思い出すように、視線を夜空へとむけた。なんだろう?
「前の町で寄った酒場のお酒。あれはおいしそうでしたね……」
がく。俺は思わず肩を落とした。花より団子より、酒か。
「ウィル……そんなにのんべえだったのか?」
「そ、そんなには……たまに嗜む程度ですって」
「ふーん……」
「お、お酒の味は、子どもにはわからないんですよ!」
「なにぃ!?俺が子どもだってか?」
聞き捨てならないな。確かに俺はまだ子どもだが、それを同世代に言われちゃ黙っていられない。
ウィルは当然だ、とばかりに腰に手を当てる。
「だってそーでしょ。私よりは年下なんですから、子どもみたいなもんです」
「ばっ、何言ってんだ。ほとんど同じくらいだろ」
「まさか、本気で言ってるんですか?絶対私のほうがお姉さんですって。私自身、正確な自分の歳は知らないですけど……」
「だったら、何を根拠に」
「見てわかるじゃないですか。私のほうが大人っぽいし、背だって高いし」
「んなわけあるか!ウィルはあれだろ、浮いてるからそう見えてるだけだろ!」
「じゃあ、この場で比べてみましょうよ!ほら、立ってください!」
「望むところだ!」
俺は鼻息荒く立ち上がると、ウィルの隣に並び立つ。俺のほうが低いなんて、絶対ありえない。
「ウィル!ちゃんと地に足つけろよな!」
「桜下さんこそ、浮足立たないでくださいよ!」
俺とウィルはぎりりと睨みあうと、くるりと背を向けて、背中をぴたりとくっ付けた。
「エラゼム!判定してくれ!」
「えっ。わ、吾輩ですか」
「そうです!どっちのほうが高いか、白黒はっきりつけてください!」
「わ、吾輩には、少々荷が重いかと……」
「早く!」「してください!」
哀れなエラゼムに、退路は残されていなかった。エラゼムは少し離れた場所で中腰になり、遠目から俺とウィルを見比べている。
「どうだ?やっぱり、俺のほうがでかいだろ?」
「エラゼムさん、私ですよね?」
「………………」
エラゼムは二度ほど立ち位置を変えて、じっくりと審査したのち、ジャッジを下した。
「……桜下殿」
「っ!やっ……」
「申し訳ございません……ウィル嬢のほうが、高いかと」
「……」
「やったー!ほらやっぱり!言った通りじゃないですか!」
そんな、馬鹿な……別に、たかだか背の大きい小さいだけなんだけど……だけなんだけど……
「これで決まりましたね!私のほうが、お姉さんです!」
「くっ……大人げないと思わないのか。年下のいたいけな少年をいじめて!」
「厳密な審査の結果ですから。受け止めてくださーい」
がっくりと膝をつく俺、煽るウィル。するとエラゼムが、神妙な声で言う。
「しかし……年齢というと、難しいところではありますな」
「うん?何がだ?」
「吾輩たちはアンデッド。アンデッドの年齢と言うのは、享年を指すのか、それとも死後の年数も加算するのか、と思いましてな」
「あ、確かに……」
「仮に死後の年数も足すのだとすれば、最年少のライラ嬢であっても、十五歳ということになります」
「え?あれ、そうか。ライラが半アンデッドになったのは、十歳。それから五年が経ってるから……」
嘘だろ。そう考えると、ライラすら俺より年上ということに……?うわあ、なんだか考えちゃいけない事のような気がしてきた。
「……ところで、あの二人は何してるんだ?」
俺は話題を変えて、少し離れた平たい岩に座る、二つの人影を眺めた。これ以上話を続けていると、頭がこんがらがってきそうだ。
「ああ、ライラさんとフランさんですか?ふふふ、お姉さんごっこをしてるみたいです」
ウィルがくすくす笑いながら言う。お姉さんごっこ?岩の上では、真っ赤な赤毛のグール・ライラが、膝立ちでふんふんと息巻いている。そしてその前には、銀色の髪を月明かりにたなびかせる、ゾンビの少女・フランが、膝を抱えて座っていた。
「よーし。じゃあいくよ、フラン!」
ライラは手をわきわきさせると、フランの銀髪をむんずとつかんだ。そして頭の上までもっていくと、手首にかけていた紐でくるくると括る。縛り損ねた髪の毛が、キラキラと光を反射して、はらりと落ちる。その間フランはなすがまま、ライラの手に自分の髪をゆだねていた。
「じゃーん!どう?」
ライラが手を放すと、フランの長い髪は頭の上で一結びにされていた。少々不格好だが、いわゆるポニーテールってやつだ。しかし当の本人であるフランは困惑している。
「どうって言われても……わたしには見えないし」
「あ、そっか。じゃあ、他の人にも見てもらおう」
ライラは俺たちのほうを向くと、フランの肩をつかんでくるりとこちらへ向けた。
「どう!?」
どう、と言われても……俺たちに見つめられて、フランは気恥ずかしそうに視線をそらした。ウィルがにこにこ笑いながら手をたたく。
「ええ。とってもよく似合ってますよ」
「ふふん。そうでしょ」
なぜかライラが得意げだ。
でも、確かに。ライラが縛ったせいで若干位置がずれているけど、フランのポニーは新鮮だ。俺がそんなことを考えながらほけーっと眺めていると、ウィルが肘で俺を小突いてきた。なんだよ?と抗議の目を向けると、ウィルは横目で俺を見つめ返す。その目はこう言っているようだった。
(なにか、気の利いたことの一つでも言ってください!)
「……あー、うん。似合ってるな」
俺がそう言うと、フランはほんのわずかに目を細めた。微妙な変化だが、俺はこれまでの長い付き合いの間に、あれはフランが喜んでいる時のしぐさなのだと分かるようになった。なるほど、さすがウィルだ。フランが喜ぶツボを押さえている。オトメゴコロってやつを分かっているっていうか……
「……ウィルって、時々女の子みたいだよな」
俺が何の気なしにつぶやくと、ウィルは恐ろしく冷たい目でこちらを睨んだ……
「……桜下さん?事と次第によっては、私、暴れますよ?」
俺はぷりぷり怒るウィルを必死になだめすかすことになってしまった。一応ほめたつもりだったんだけどな……
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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某所。薄暗い地下室に時おり響くのは、フラスコから滴り落ちる液体の、ピションという音だけだった。薄緑色に光る気味の悪い液体は、細い管を通じて、点滴のように被検体へと注がれている。しかしその被検体もまた、何かの形をしているわけではない。蠢く肉塊だ。薄緑の液体がピチョンと注がれる度に、肉塊は脈動するようにドクリと動くのだった。
「……遅かったな」
その地下室に、無感情な男の声が響き渡った。
「いやぁ、前の現場が少し手間取っちゃって」
対してそれに答えたのは、男と対照的に妙に軽薄な声だった。薄暗い地下室に、その声は場違いなほど明るく、楽しげであった。
「うわぁ、また実験してるんです?今度のはずいぶんキモイんですねぇー」
「無駄口をきくな。貴様に割く余分な時間など無い」
「はぁーいはい。それで、用件は?」
「仕事だ。ある一行を襲撃しろ」
「一行?なんだ、じゃあ相手は人間か……」
「不満でも?」
「人間はすぐ死ぬから、殺し甲斐がないんだよね。ま、いいけど。それで、相手は?」
「三の国国内にいる。数人からなる旅人たちだ」
「は?それだけ?ただの旅人を殺すために、わざわざ僕を呼んだの?」
「最後まで聞け。その一行は、正体を隠してはいるが……やつらは、勇者のパーティだ」
「勇者……!」
ピション。また一滴、薄緑に光る液体が滴る。その淡い光が、地下室に無数に置かれたガラス器具の輪郭を浮かび上がらせていた。
「へぇ~……それなら、ちょっとは楽しめそうだね。で?どれくらいまでやっていいの?」
「奴らの実力は、まだ正確には不明だ。今回の目的は、それを推し量るものでもある。だが、貴様一人で捻れる程度の力しか持たないのであれば……」
ピション。また液体が滴る。肉塊が震えるようにぴくりと動いた。
「殺せ」
「……りょうかーい。きひひひ!」
気味の悪い笑い声を最後に、二人は地下室を離れていった。薄緑に光る試験管の前を、そのうちの一人が横切る。そのガラスの表面には、銀色に輝く仮面が映し出されていた……
「また君に会えそうだね。勇者くん」
仮面の人物は、無機質な仮面の下で静かに唇を吊り上げるのだった。
「……ふむ。本日の稽古はこのくらいにしておきましょうか」
そう言って、鎧の騎士・エラゼムは持っていた棒切れを地面に置いた。
「ふぅ~……」
俺はどっと疲れた息を吐くと、剣を腰にしまって、乾いた砂地に腰を下ろした。
「だいぶ動きがよくなってきましたな」
「そうかぁ?自分じゃよく分からないけど……」
エラゼムはそうねぎらってくれるが、いまいち鵜呑みにしづらい。エラゼムの棒切れは、傷こそあれど、最後まで折れることはなかったから。
今俺たちがいるのは、青い月が照らす、岩だらけの荒れ地だ。見渡す限り岩、岩、岩で、乾いた大地には草木もほとんど生えていない。月の光が荒れ果てたキャンバスに色を与え、青、濃紺、灰色、黒と、滑らかに染め上げている。ともすれば絵画のように美しい光景だが、こんな不毛な土地では、畑の一つも作れないだろう。不毛が故の美しさ……こういうの、退廃的って言うんだっけ?
俺たちは、ヴァンパイアに苦しめられていたセイラムロットの町を離れた後、進路を北へと取って移動を続けていた。セイラムロットへの行きは、ワープでひとっ跳びだったからよかったものの、帰りの手段は何にも用意されていなかった。当然、あの性根の曲がった大公がお迎えを寄越してくれるはずもなく……もちろん、俺がシリス大公を突っぱねるようなことを言ったせいもあるんだろうけど。なので町を出てからは、ひたすら自分たちの足で歩くしかなかったのだ。
「しっかし、行けども行けども荒野ばっかりだなぁ」
俺は目の前に広がる、ごつごつした荒れ地を見ながらつぶやいた。移動を始めてから数日経ったが、景色は一向に変わる気配を見せない。こんな場所では食い扶持も確保できないのか、村どころか民家の一軒すら見つけられなかった。今夜はこの岩場で野宿するしかないな。ふかふかのベッドが恋しい……
そんななか俺とエラゼムは、ウィルが夕飯の支度をしてくれている間、暇を見つけては行っている剣術の訓練をしていたのだ。
「三の国は土地が痩せているとは聞いておりましたが、まさしくその通りですな」
エラゼムが俺の隣に腰を下ろしながら言う。三の国はこんな土地柄だから、国を挙げて魔術の研究に精を出すようになったんだっけか。たとえ草木や作物は育たなくても、魔力は世界のあらゆる所に普遍的に存在している……というのは、アニの弁だった。そう考えると、合理的な判断だな。
「あ、お二人とも。お稽古は終わりました?」
俺たちが剣を振るうのをやめたところで、幽霊であるウィルがこちらを振り返った。ウィルの手元では、火にかけられた鍋がぐつぐつと湯気を発している。焚き火の炎が、半透明の彼女の体を通して、うっすらと透けていた。
「おう。ちょうどいま終えたところだよ」
「なら、タイミングいいですね。もうできますよ」
ウィルの手元の鍋では、干し肉とゴロゴロした野菜が、琥珀色のスープの中で踊っていた。
「鍋物は、ほんとはもっといっぱい作ったほうが美味しくなるんですけどねぇ」
ウィルが残念そうに肩を落とす。こればっかりはなぁ、何人分作っても、食うのが俺一人じゃしょうがない。
「うーん……あ、ウィルも食べてみるか?」
「へ?」
「ほら、前もやっただろ。俺の魔力を経由して、食べさせるやつ」
幽霊であるウィルは物を食べることができないけど、俺の魔力を介せば、味だけなら感じることができる。そういう意味の提案だったのだが、ウィルは少し考えてから首を振った。
「でも……そんな何回も食べさせてもらうのは、大変でしょう。それに、結局は残っちゃいますしね」
「まあな。俺は構わないけど……」
「うーん、でもやっぱり遠慮しておきます。私、食にはそんなに執着してないので。ああ、でも……」
「でも?」
ウィルは何かを思い出すように、視線を夜空へとむけた。なんだろう?
「前の町で寄った酒場のお酒。あれはおいしそうでしたね……」
がく。俺は思わず肩を落とした。花より団子より、酒か。
「ウィル……そんなにのんべえだったのか?」
「そ、そんなには……たまに嗜む程度ですって」
「ふーん……」
「お、お酒の味は、子どもにはわからないんですよ!」
「なにぃ!?俺が子どもだってか?」
聞き捨てならないな。確かに俺はまだ子どもだが、それを同世代に言われちゃ黙っていられない。
ウィルは当然だ、とばかりに腰に手を当てる。
「だってそーでしょ。私よりは年下なんですから、子どもみたいなもんです」
「ばっ、何言ってんだ。ほとんど同じくらいだろ」
「まさか、本気で言ってるんですか?絶対私のほうがお姉さんですって。私自身、正確な自分の歳は知らないですけど……」
「だったら、何を根拠に」
「見てわかるじゃないですか。私のほうが大人っぽいし、背だって高いし」
「んなわけあるか!ウィルはあれだろ、浮いてるからそう見えてるだけだろ!」
「じゃあ、この場で比べてみましょうよ!ほら、立ってください!」
「望むところだ!」
俺は鼻息荒く立ち上がると、ウィルの隣に並び立つ。俺のほうが低いなんて、絶対ありえない。
「ウィル!ちゃんと地に足つけろよな!」
「桜下さんこそ、浮足立たないでくださいよ!」
俺とウィルはぎりりと睨みあうと、くるりと背を向けて、背中をぴたりとくっ付けた。
「エラゼム!判定してくれ!」
「えっ。わ、吾輩ですか」
「そうです!どっちのほうが高いか、白黒はっきりつけてください!」
「わ、吾輩には、少々荷が重いかと……」
「早く!」「してください!」
哀れなエラゼムに、退路は残されていなかった。エラゼムは少し離れた場所で中腰になり、遠目から俺とウィルを見比べている。
「どうだ?やっぱり、俺のほうがでかいだろ?」
「エラゼムさん、私ですよね?」
「………………」
エラゼムは二度ほど立ち位置を変えて、じっくりと審査したのち、ジャッジを下した。
「……桜下殿」
「っ!やっ……」
「申し訳ございません……ウィル嬢のほうが、高いかと」
「……」
「やったー!ほらやっぱり!言った通りじゃないですか!」
そんな、馬鹿な……別に、たかだか背の大きい小さいだけなんだけど……だけなんだけど……
「これで決まりましたね!私のほうが、お姉さんです!」
「くっ……大人げないと思わないのか。年下のいたいけな少年をいじめて!」
「厳密な審査の結果ですから。受け止めてくださーい」
がっくりと膝をつく俺、煽るウィル。するとエラゼムが、神妙な声で言う。
「しかし……年齢というと、難しいところではありますな」
「うん?何がだ?」
「吾輩たちはアンデッド。アンデッドの年齢と言うのは、享年を指すのか、それとも死後の年数も加算するのか、と思いましてな」
「あ、確かに……」
「仮に死後の年数も足すのだとすれば、最年少のライラ嬢であっても、十五歳ということになります」
「え?あれ、そうか。ライラが半アンデッドになったのは、十歳。それから五年が経ってるから……」
嘘だろ。そう考えると、ライラすら俺より年上ということに……?うわあ、なんだか考えちゃいけない事のような気がしてきた。
「……ところで、あの二人は何してるんだ?」
俺は話題を変えて、少し離れた平たい岩に座る、二つの人影を眺めた。これ以上話を続けていると、頭がこんがらがってきそうだ。
「ああ、ライラさんとフランさんですか?ふふふ、お姉さんごっこをしてるみたいです」
ウィルがくすくす笑いながら言う。お姉さんごっこ?岩の上では、真っ赤な赤毛のグール・ライラが、膝立ちでふんふんと息巻いている。そしてその前には、銀色の髪を月明かりにたなびかせる、ゾンビの少女・フランが、膝を抱えて座っていた。
「よーし。じゃあいくよ、フラン!」
ライラは手をわきわきさせると、フランの銀髪をむんずとつかんだ。そして頭の上までもっていくと、手首にかけていた紐でくるくると括る。縛り損ねた髪の毛が、キラキラと光を反射して、はらりと落ちる。その間フランはなすがまま、ライラの手に自分の髪をゆだねていた。
「じゃーん!どう?」
ライラが手を放すと、フランの長い髪は頭の上で一結びにされていた。少々不格好だが、いわゆるポニーテールってやつだ。しかし当の本人であるフランは困惑している。
「どうって言われても……わたしには見えないし」
「あ、そっか。じゃあ、他の人にも見てもらおう」
ライラは俺たちのほうを向くと、フランの肩をつかんでくるりとこちらへ向けた。
「どう!?」
どう、と言われても……俺たちに見つめられて、フランは気恥ずかしそうに視線をそらした。ウィルがにこにこ笑いながら手をたたく。
「ええ。とってもよく似合ってますよ」
「ふふん。そうでしょ」
なぜかライラが得意げだ。
でも、確かに。ライラが縛ったせいで若干位置がずれているけど、フランのポニーは新鮮だ。俺がそんなことを考えながらほけーっと眺めていると、ウィルが肘で俺を小突いてきた。なんだよ?と抗議の目を向けると、ウィルは横目で俺を見つめ返す。その目はこう言っているようだった。
(なにか、気の利いたことの一つでも言ってください!)
「……あー、うん。似合ってるな」
俺がそう言うと、フランはほんのわずかに目を細めた。微妙な変化だが、俺はこれまでの長い付き合いの間に、あれはフランが喜んでいる時のしぐさなのだと分かるようになった。なるほど、さすがウィルだ。フランが喜ぶツボを押さえている。オトメゴコロってやつを分かっているっていうか……
「……ウィルって、時々女の子みたいだよな」
俺が何の気なしにつぶやくと、ウィルは恐ろしく冷たい目でこちらを睨んだ……
「……桜下さん?事と次第によっては、私、暴れますよ?」
俺はぷりぷり怒るウィルを必死になだめすかすことになってしまった。一応ほめたつもりだったんだけどな……
つづく
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