じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
7-1 王女の矜持
7-1 王女の矜持
王女ロアは、耳をふさいでいた。
「…………」
耳の奥に、まだ先ほどの断末魔がこびりついている。しかし手でふさいだところで、あれを聞かないようにするなど無理な話だった。
「……王女さま。お気になさらず、とは申し上げません」
ロアのそばにひざまずいた侍女が、かすれた声で言った。
「ですが、王女さま。どうかおかしなお考えなど、なさらないでくださいませ……」
侍女はすがるように、ロアの膝元に手を乗せた。その時、部屋の扉が開かれ、小太りの兵士が息を切らして飛び込んできた。
「はぁ、はぁ。ロア様、ただいま城壁の上にのぼり、敵陣営を視察してまいりました」
「……どうだった」
「はい。その……」
「言え。包み隠さず」
「は、はっ。敵の残虐非道な行いは、まことに遺憾ながら実行されました……兵士の顔に見覚えがありました。騎馬隊、副騎長のバレスです」
「やつか……よりにもよって。つい先日、子どもが生まれたばかりじゃないか……!」
「はい……敵はおそらく、騎長や部隊長クラスの兵に絞って、捕虜にしているものと思われます。そのほうが、その……より、効果的だと考えているのでしょう」
効果的。まさにその通りだと、ロアは思った。
やつと最後に顔を合わせたのは、先週……城を抜け出して散歩をしていた時に、騎馬兵舎でばったり出くわした時だっただろうか。生まれたばかりのわが子のことを、はにかんだ笑顔で話していたことを覚えている。ロアがこうるさい教育係から逃げ出してきたということを、彼はわかっていたはずだ。それでも彼は、何にも気づかないふりをして、ロアと他愛もない会話に興じてくれていた……
「……やつが死んだのは、私のせいだ」
「王女さま!何をおっしゃるのです!」
侍女は顔を青くして、ロアの膝をゆすった。ロアはそれを無視して、強い口調で話をつづけた。
「それで!ほかに捕らわれていた者の姿は見れたのか?」
「は、はい。おそらく、もう数人ほどが捕虜にされている模様です。五名か、もう少しか……確認できたのはそれだけです」
「顔は?誰かはわからんのか」
「距離がありますので、全員は……ただ、今やぐらに縛られている方のお顔は、確認することができました」
ロアは無意識のうちにぎゅっと手を握りしめた。今この兵士は、縛られている方のお顔と言った。それはつまり、相当地位の高い者が敵に捕らわれているということ……
「……それは、誰だ?」
兵士は、少しの沈黙の後に、言いづらそうに告げた。
「……エドガー様です」
ロアはその名を聞いた瞬間、心臓がねじれるように脈動したのを感じた。
「な……!なぜ、エドガーがここに!?やつは城を離れ、ここより遠く離れた地で勇者を追っているはずではないか!」
「……エドガー隊長は王都の危機を知って、こちらへお戻りになったのではないでしょうか。王都が襲撃されたその日、勇者追跡隊へこちらから伝書鳥をとばしております。その知らせを受け取ったエドガー様は、陛下の危機に馳せ参ぜようと……」
「それでは……」
ただの犬死ではないか。ロアは、寸でのところまで出かかったその言葉を、ぐっとこらえた。それは、エドガーの忠義に対してあまりに不誠実であろう。それにエドガーは、まだ死んではいない。
「……エドガー隊長がいらっしゃったので、もしやと思ったのですが。残念ながら、まだ勇者の追跡に出た兵たちは、この王都には戻ってきていないようです。しかし、今少し時間を稼ぐことができれば、必ずや援軍が……」
兵士が続けようとしたその時、再び扉がバタンと開いて、血相を変えた若い兵士が飛び込んできた。
「至急!お知らせしたいことが……」
「馬鹿者!今は陛下へ報告中であるぞ!」
小太りの兵士に怒鳴られ、若い兵士はすくみ上った。それでもよほど急を要することなのか、若い兵士はあきらめ悪く口をはさんだ。
「あ、あのう……ご無礼なのは承知しています。ただ、どうしても兵士長様にお伝えしたいことが……」
「……なんだ。手短に申せ」
「は、はい!それが、城壁の防御に当たっていた魔術師たちが倒れてしまって……」
「なんだって!?」
小太りの兵士はにわかに声色を変えた。今この城がスパルトイの襲撃から辛うじて持ちこたえているのは、高名なマスターたちによる防御の陣があってこそだ。それが失われれば、パワーバランスは一気に敵側に傾く。
「倒れたとは、どういうことだ!敵の矢に当たったのか!?」
「い、いえ。それが、魔法を使いすぎて疲れてしまっただとか……」
「つ、疲れただと!?ふざけるな、そんなもの張り叩いてでも復帰させろ!」
「で、ですが!マスターたちはいずれも高齢の方ばかりですし、これ以上無茶はさせられませんよ!中にはぎっくり腰になってしまって、まともに立つことすらできないマスターも……」
「~~~~ッ!」
小太りの兵士は歯を食いしばって、天を仰いだ。ここが王女の前でなければ、遠慮なく口汚い罵りを吐いていたことだろう。
「ロア様!大変申し訳ありませんが、私はこれにて失礼させていただきます!城壁に上って、防御体系を組みなおします。ご安心ください、この城には蟻の子一匹たりとも近づけさせはしません!」
兵士は言うが早いか、若い兵士を連れて王女の部屋を飛び出していった。ロアは再び静かになった部屋の天井を、ただひたすら見上げていた。侍女が不安そうに声をかける。
「ロア様……?」
「……すべて、私の責任だ」
「え?」
「私のせいだ。勇者を取り逃したことも、民の不興を買ったのも。兵の大半を王都から離してしまったことも、高齢のマスターばかりをひいきし、ギルドの連中を信用しなかったことも。すべて、私が招いたことじゃないか」
「そんなこと……!」
侍女がそう言いかけたとき、二人以外誰もいないはずの室内に突然、粘つくようなしゃべり方をする男の声が響き渡った。
「さぁぁ、王女ロアよ!どぉした、何を恐れているのだ!」
その声は、先ほど処刑台の上にて、ロアに投降を要求した男のものだった。男の声は魔術によって拡声され、たとえ城内の一室であっても、はっきりと聞き取ることができた。
「民のために、臣下のために命を捧げるのだ!なにをためらうことがある!貴様は進んで、ここにやってくるべきなのだっ!」
「王女さま、聞いてはなりません!」
侍女が必死に叫ぶが、それで声がやむことなどあるはずもない。
「砂はすでに半分を切った!この者に残された時間をどうするかは、ロアぁ!貴様次第だ!このまま残りわずかな時間で生涯を終えるのか、それとも?この先も、幸せに生き永らえることができるのか!」
「ははは……」
まとわりつくような男の声の後に、苦しそうな、だがはっきりと嘲笑の意図が伝わる、せせら笑いが聞こえた。室内にはロアと侍女しかいない。ということは、先ほどの笑いは外で発せられたものだ。
「……ほぉう?どうやら、お前は言いたいことがあるようだな?」
男は、その笑った誰かに向かって話しかけているようだ。
「ああ……お前の、言う……しあわせな生涯とやらを、考えるとな……」
聞こえてきたのは、かすれ、弱り切った男の声。しかしロアには、その声の主がだれか、すぐにわかった。
「エドガー……!」
ロアは思わず立ちあがり、部屋の窓に張り付いた。しかし城壁が見えるばかりで、外の様子などわかるはずもない。再び男の声が響く。
「ほう。ならばお前は、なにを幸せに感じるのだ?生きる以外に、求めるものがあると?」
「ああ……貴様のような、外道には……わからん……」
「……では、聞こうか。今にもくたばりそうなお前は、いったい何を望むのだ?」
「それは……忠、義……心から信じられる、主君に……この身を、ささげること……」
「はっはぁ!これはこれは、ご立派な騎士道さまさまだ!しかし、そう考えると哀れなものだなぁ?お前は、いま、まさに!その主君に、見捨てられようとしているのだ!王女は自分の身ばかりがかわいいらしい。お前の忠義に対する、これが王女の報い方だ!」
ロアの中に、今まで感じたことのないほどの怒りが沸き上がった。殺意と言ってもいいかもしれない。いままでどんな罵倒を浴びせられようと、どれだけ蔑んだ目で見られようとも、感じたことのない怒りだった。
「どうだ?お前はそれでも、あの小娘を主君とあがめるのか?ん?」
「お前は……間違っている……ロア様は……正しい……」
「……なんだと?」
「私一つの命で……ロア様が守れるのであれば、本望よ……ロア様は、この国の……何万という国民を、守る方なのだから……」
バシッ!何かをたたくような音がして、エドガーが苦しそうにむせこむ声が聞こえてきた。
「命乞いをしろ。王女にたいして、自分を救ってくれと懇願するのだ!」
「こと、わる……」
バシ。
「言え」
バシ!
「言え!」
バシィッ!
「いええぇぇぇ!」
「……っ!ことわるっ!ロア様は、決して出てはこない!あの人は、何一つ間違ってなどいないっ!お前の薄汚い策略になど、決っして、乗ることはないっっ!」
エドガーの声を最後に、響いていた音声は突然打ち切られた。再び静寂があたりを包む。
「……王女さま?」
侍女が、恐る恐る声をかける。ロアは窓の外を見つめたまま、硬い声で告げた。
「行かねば」
「え……?どういう、ことですか?」
「奴のもとに、行かなければならない。それでこの馬鹿げた戦いを終わらせるのだ」
「いっ……!いけません!ロア様、先ほどのエドガー様のお声をお聞きになったでしょう!」
「では、そのエドガーをこのまま見殺しにしろというのか!」
ロアのすさまじい剣幕に、侍女はたじろいだ。いつもどこかピリピリした空気をまとっていたロアであったが、ここまではっきり感情をあらわにした姿は見たことがない。
「私が死ねば、この争いは終わるのだ!もう誰も、誰一人死ぬことはなくなる!じきこの城も落とされるだろう、だったらその前に……」
「で、ですが!ロア様がいなくなったら、だれがこの国を治めるというのですか!」
「そんなもの、敵の誰かが勝手にやるだろう。民も大喜びするだろうな。生意気な小娘が玉座からいなくなったと」
「そんなことは……」
「そうであろうが!その結果が、この反乱だ!みな私を必要ないと言っていることが、これではっきりした!」
「ロア様!」
「お前たちもそうなんだろう!?」
ロアが放った一言に、侍女は凍り付いた。
「ロア、さま……?なにを……」
「お前たち城の連中も!本当は、わたしなんか居なくなってほしかったんでしょう!?小娘に毎日頭を下げて、ほんとは嫌だったんでしょう!」
「そんな……そんなことは、決して……!」
「嘘をつかないでっ!もう、うんざりなのよ!誰からも望まれない、誰からも必要とされない!わかっていないと思ったの!?誰も私に優しくしてくれなかったじゃない!私は、母様みたいな人を二度と出したくなかっただけなのに!」
ガシャーン!ロアが机を蹴飛ばし、上に載っていた精巧な調度品が粉々に砕け散った。
「ロア様……どうか、私の話を……」
「もういいわよ!だったら、死んであげるから!それならお城のあなたたちも助かるんだから、一石二鳥よね?安心なさい、すぐにそうしてあげるから」
ロアはずんずんと、部屋の扉へ向かって歩き出した。侍女が悲鳴を上げて、その手にすがる。
「ロア様!お待ちください、おやめください!」
「はなしてっ!」
パシ!ロアに力強く振りほどかれ、侍女はよろめいた。そのすきにロアは扉まで駆け寄り、大きくあけ放った。バーン!
ロアはそこではじめて、侍女のほうへ振り返った。侍女は、目を見開いた。ロアは、静かに泣いていた。
「ごめんなさい……ずっと、嫌な思いをさせて。でも、最後くらい、役に立ってみせるから」
侍女が何か叫んだが、走り去ったロアの耳に届くことはなかった。扉が再び閉ざされる。侍女が最後に目にしたのは、走り去るロアのたなびく髪が、きらりと反射した光だけだった。
つづく
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新年になりまして、物語も佳境です!
もっとお楽しみいただけるよう、しばらくの間、小説の更新を毎日二回、
【夜0時】と【お昼12時】にさせていただきます。
寒い冬の夜のお供に、どうぞよろしくお願いします!
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王女ロアは、耳をふさいでいた。
「…………」
耳の奥に、まだ先ほどの断末魔がこびりついている。しかし手でふさいだところで、あれを聞かないようにするなど無理な話だった。
「……王女さま。お気になさらず、とは申し上げません」
ロアのそばにひざまずいた侍女が、かすれた声で言った。
「ですが、王女さま。どうかおかしなお考えなど、なさらないでくださいませ……」
侍女はすがるように、ロアの膝元に手を乗せた。その時、部屋の扉が開かれ、小太りの兵士が息を切らして飛び込んできた。
「はぁ、はぁ。ロア様、ただいま城壁の上にのぼり、敵陣営を視察してまいりました」
「……どうだった」
「はい。その……」
「言え。包み隠さず」
「は、はっ。敵の残虐非道な行いは、まことに遺憾ながら実行されました……兵士の顔に見覚えがありました。騎馬隊、副騎長のバレスです」
「やつか……よりにもよって。つい先日、子どもが生まれたばかりじゃないか……!」
「はい……敵はおそらく、騎長や部隊長クラスの兵に絞って、捕虜にしているものと思われます。そのほうが、その……より、効果的だと考えているのでしょう」
効果的。まさにその通りだと、ロアは思った。
やつと最後に顔を合わせたのは、先週……城を抜け出して散歩をしていた時に、騎馬兵舎でばったり出くわした時だっただろうか。生まれたばかりのわが子のことを、はにかんだ笑顔で話していたことを覚えている。ロアがこうるさい教育係から逃げ出してきたということを、彼はわかっていたはずだ。それでも彼は、何にも気づかないふりをして、ロアと他愛もない会話に興じてくれていた……
「……やつが死んだのは、私のせいだ」
「王女さま!何をおっしゃるのです!」
侍女は顔を青くして、ロアの膝をゆすった。ロアはそれを無視して、強い口調で話をつづけた。
「それで!ほかに捕らわれていた者の姿は見れたのか?」
「は、はい。おそらく、もう数人ほどが捕虜にされている模様です。五名か、もう少しか……確認できたのはそれだけです」
「顔は?誰かはわからんのか」
「距離がありますので、全員は……ただ、今やぐらに縛られている方のお顔は、確認することができました」
ロアは無意識のうちにぎゅっと手を握りしめた。今この兵士は、縛られている方のお顔と言った。それはつまり、相当地位の高い者が敵に捕らわれているということ……
「……それは、誰だ?」
兵士は、少しの沈黙の後に、言いづらそうに告げた。
「……エドガー様です」
ロアはその名を聞いた瞬間、心臓がねじれるように脈動したのを感じた。
「な……!なぜ、エドガーがここに!?やつは城を離れ、ここより遠く離れた地で勇者を追っているはずではないか!」
「……エドガー隊長は王都の危機を知って、こちらへお戻りになったのではないでしょうか。王都が襲撃されたその日、勇者追跡隊へこちらから伝書鳥をとばしております。その知らせを受け取ったエドガー様は、陛下の危機に馳せ参ぜようと……」
「それでは……」
ただの犬死ではないか。ロアは、寸でのところまで出かかったその言葉を、ぐっとこらえた。それは、エドガーの忠義に対してあまりに不誠実であろう。それにエドガーは、まだ死んではいない。
「……エドガー隊長がいらっしゃったので、もしやと思ったのですが。残念ながら、まだ勇者の追跡に出た兵たちは、この王都には戻ってきていないようです。しかし、今少し時間を稼ぐことができれば、必ずや援軍が……」
兵士が続けようとしたその時、再び扉がバタンと開いて、血相を変えた若い兵士が飛び込んできた。
「至急!お知らせしたいことが……」
「馬鹿者!今は陛下へ報告中であるぞ!」
小太りの兵士に怒鳴られ、若い兵士はすくみ上った。それでもよほど急を要することなのか、若い兵士はあきらめ悪く口をはさんだ。
「あ、あのう……ご無礼なのは承知しています。ただ、どうしても兵士長様にお伝えしたいことが……」
「……なんだ。手短に申せ」
「は、はい!それが、城壁の防御に当たっていた魔術師たちが倒れてしまって……」
「なんだって!?」
小太りの兵士はにわかに声色を変えた。今この城がスパルトイの襲撃から辛うじて持ちこたえているのは、高名なマスターたちによる防御の陣があってこそだ。それが失われれば、パワーバランスは一気に敵側に傾く。
「倒れたとは、どういうことだ!敵の矢に当たったのか!?」
「い、いえ。それが、魔法を使いすぎて疲れてしまっただとか……」
「つ、疲れただと!?ふざけるな、そんなもの張り叩いてでも復帰させろ!」
「で、ですが!マスターたちはいずれも高齢の方ばかりですし、これ以上無茶はさせられませんよ!中にはぎっくり腰になってしまって、まともに立つことすらできないマスターも……」
「~~~~ッ!」
小太りの兵士は歯を食いしばって、天を仰いだ。ここが王女の前でなければ、遠慮なく口汚い罵りを吐いていたことだろう。
「ロア様!大変申し訳ありませんが、私はこれにて失礼させていただきます!城壁に上って、防御体系を組みなおします。ご安心ください、この城には蟻の子一匹たりとも近づけさせはしません!」
兵士は言うが早いか、若い兵士を連れて王女の部屋を飛び出していった。ロアは再び静かになった部屋の天井を、ただひたすら見上げていた。侍女が不安そうに声をかける。
「ロア様……?」
「……すべて、私の責任だ」
「え?」
「私のせいだ。勇者を取り逃したことも、民の不興を買ったのも。兵の大半を王都から離してしまったことも、高齢のマスターばかりをひいきし、ギルドの連中を信用しなかったことも。すべて、私が招いたことじゃないか」
「そんなこと……!」
侍女がそう言いかけたとき、二人以外誰もいないはずの室内に突然、粘つくようなしゃべり方をする男の声が響き渡った。
「さぁぁ、王女ロアよ!どぉした、何を恐れているのだ!」
その声は、先ほど処刑台の上にて、ロアに投降を要求した男のものだった。男の声は魔術によって拡声され、たとえ城内の一室であっても、はっきりと聞き取ることができた。
「民のために、臣下のために命を捧げるのだ!なにをためらうことがある!貴様は進んで、ここにやってくるべきなのだっ!」
「王女さま、聞いてはなりません!」
侍女が必死に叫ぶが、それで声がやむことなどあるはずもない。
「砂はすでに半分を切った!この者に残された時間をどうするかは、ロアぁ!貴様次第だ!このまま残りわずかな時間で生涯を終えるのか、それとも?この先も、幸せに生き永らえることができるのか!」
「ははは……」
まとわりつくような男の声の後に、苦しそうな、だがはっきりと嘲笑の意図が伝わる、せせら笑いが聞こえた。室内にはロアと侍女しかいない。ということは、先ほどの笑いは外で発せられたものだ。
「……ほぉう?どうやら、お前は言いたいことがあるようだな?」
男は、その笑った誰かに向かって話しかけているようだ。
「ああ……お前の、言う……しあわせな生涯とやらを、考えるとな……」
聞こえてきたのは、かすれ、弱り切った男の声。しかしロアには、その声の主がだれか、すぐにわかった。
「エドガー……!」
ロアは思わず立ちあがり、部屋の窓に張り付いた。しかし城壁が見えるばかりで、外の様子などわかるはずもない。再び男の声が響く。
「ほう。ならばお前は、なにを幸せに感じるのだ?生きる以外に、求めるものがあると?」
「ああ……貴様のような、外道には……わからん……」
「……では、聞こうか。今にもくたばりそうなお前は、いったい何を望むのだ?」
「それは……忠、義……心から信じられる、主君に……この身を、ささげること……」
「はっはぁ!これはこれは、ご立派な騎士道さまさまだ!しかし、そう考えると哀れなものだなぁ?お前は、いま、まさに!その主君に、見捨てられようとしているのだ!王女は自分の身ばかりがかわいいらしい。お前の忠義に対する、これが王女の報い方だ!」
ロアの中に、今まで感じたことのないほどの怒りが沸き上がった。殺意と言ってもいいかもしれない。いままでどんな罵倒を浴びせられようと、どれだけ蔑んだ目で見られようとも、感じたことのない怒りだった。
「どうだ?お前はそれでも、あの小娘を主君とあがめるのか?ん?」
「お前は……間違っている……ロア様は……正しい……」
「……なんだと?」
「私一つの命で……ロア様が守れるのであれば、本望よ……ロア様は、この国の……何万という国民を、守る方なのだから……」
バシッ!何かをたたくような音がして、エドガーが苦しそうにむせこむ声が聞こえてきた。
「命乞いをしろ。王女にたいして、自分を救ってくれと懇願するのだ!」
「こと、わる……」
バシ。
「言え」
バシ!
「言え!」
バシィッ!
「いええぇぇぇ!」
「……っ!ことわるっ!ロア様は、決して出てはこない!あの人は、何一つ間違ってなどいないっ!お前の薄汚い策略になど、決っして、乗ることはないっっ!」
エドガーの声を最後に、響いていた音声は突然打ち切られた。再び静寂があたりを包む。
「……王女さま?」
侍女が、恐る恐る声をかける。ロアは窓の外を見つめたまま、硬い声で告げた。
「行かねば」
「え……?どういう、ことですか?」
「奴のもとに、行かなければならない。それでこの馬鹿げた戦いを終わらせるのだ」
「いっ……!いけません!ロア様、先ほどのエドガー様のお声をお聞きになったでしょう!」
「では、そのエドガーをこのまま見殺しにしろというのか!」
ロアのすさまじい剣幕に、侍女はたじろいだ。いつもどこかピリピリした空気をまとっていたロアであったが、ここまではっきり感情をあらわにした姿は見たことがない。
「私が死ねば、この争いは終わるのだ!もう誰も、誰一人死ぬことはなくなる!じきこの城も落とされるだろう、だったらその前に……」
「で、ですが!ロア様がいなくなったら、だれがこの国を治めるというのですか!」
「そんなもの、敵の誰かが勝手にやるだろう。民も大喜びするだろうな。生意気な小娘が玉座からいなくなったと」
「そんなことは……」
「そうであろうが!その結果が、この反乱だ!みな私を必要ないと言っていることが、これではっきりした!」
「ロア様!」
「お前たちもそうなんだろう!?」
ロアが放った一言に、侍女は凍り付いた。
「ロア、さま……?なにを……」
「お前たち城の連中も!本当は、わたしなんか居なくなってほしかったんでしょう!?小娘に毎日頭を下げて、ほんとは嫌だったんでしょう!」
「そんな……そんなことは、決して……!」
「嘘をつかないでっ!もう、うんざりなのよ!誰からも望まれない、誰からも必要とされない!わかっていないと思ったの!?誰も私に優しくしてくれなかったじゃない!私は、母様みたいな人を二度と出したくなかっただけなのに!」
ガシャーン!ロアが机を蹴飛ばし、上に載っていた精巧な調度品が粉々に砕け散った。
「ロア様……どうか、私の話を……」
「もういいわよ!だったら、死んであげるから!それならお城のあなたたちも助かるんだから、一石二鳥よね?安心なさい、すぐにそうしてあげるから」
ロアはずんずんと、部屋の扉へ向かって歩き出した。侍女が悲鳴を上げて、その手にすがる。
「ロア様!お待ちください、おやめください!」
「はなしてっ!」
パシ!ロアに力強く振りほどかれ、侍女はよろめいた。そのすきにロアは扉まで駆け寄り、大きくあけ放った。バーン!
ロアはそこではじめて、侍女のほうへ振り返った。侍女は、目を見開いた。ロアは、静かに泣いていた。
「ごめんなさい……ずっと、嫌な思いをさせて。でも、最後くらい、役に立ってみせるから」
侍女が何か叫んだが、走り去ったロアの耳に届くことはなかった。扉が再び閉ざされる。侍女が最後に目にしたのは、走り去るロアのたなびく髪が、きらりと反射した光だけだった。
つづく
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