年下御曹司は白衣の花嫁と極夜の息子を今度こそ! 手放さない
Chapter,2_08. いっぽうそのころ
沓庭大学付属病院と市立小学校の中間に位置する沓庭サポートクラブには親が仕事で夜遅くまで家にいない小学校一年生から六年生までの二十人の子どもたちが平日の放課後から最長夜九時まで預けられている。基本的には夕飯前の時間にお迎えが来る子どもが殆どだが、大学教授や病院関係者など不規則な勤務体型で働く親も多いため、延長手続きを行えば同じ建物内にある中華料理店からケータリングで食事をとることが可能になる。今夜の白いごはんのおかずには青椒肉絲と卵スープ、ちいさな杏仁豆腐のデザートもついていた。
ふだんから夜遅くまで働いている親を持つ子どもたちは嬉しそうに食べているが、慣れていない七歳の灯夜は、不安そうな表情をしている。
学童指導員の三澤理絵は灯夜の箸を持つ手が動いていないのを見て、苦笑を浮かべる。遅くても七時半に迎えに来る母が九時まで仕事なのだ。ふだんなら夕飯前に帰れる彼は、自分がこの場にいることに戸惑っているみたいだった。
「珍しいわね、お母さんが残業だなんて」
「……ん」
真っ黒な艶のある髪と黒曜石のような瞳を持つ灯夜は、はたから見ると心理カウンセラーの母、淑乃によく似ているが、お喋りな母と違い、男の子だからか必要最低限のことしかはなさない。生まれた頃から母ひとり子ひとりで過ごしてきたこともあり、人見知りが激しいだけだと言っていたが、いつもと違う状況になると更に寡黙になるらしい。
それでも理絵に声をかけられたからか、もくもくと口を動かしはじめる。食欲はあるようで、白いごはんをぺろりと食べたかと思えば「おかわり、したいです」と要求する。不器用な彼の仕草を見て、理絵は笑って応える。
「いいわよ。たくさん食べて、お母さんが帰ってくるの待ってましょうね」
「……ママ、帰ってくる?」
「帰ってくるわよ。どうしたの?」
急遽、片付けないといけない仕事が入ったため延長をお願いしたいと理絵の元に電話連絡が届いたのは夜七時頃だ。彼女は素早く手続きを行って、九時までには迎えに行きますと申し訳なさそうに電話を切っている。民間学童ではよくあることだが、子どもからすればとつぜんの残業は不安で仕方ないだろう、なんせ灯夜はまだ二年生になったばかり。
「あのね、ぼくのママ、春休みにね」
デザートの杏仁豆腐をちびちび食べながら、灯夜はぼそぼそと口をひらく。
それは、春休みに自分を職場のひとに預けて知らない男のひとと朝まで帰ってこなかったという、子どもにトラウマを与えるには充分な出来事。理絵はあのお母さんが? と信じられないと顔を強張らせるが、灯夜はうん、と首を縦にぶんぶん振っている。
「理絵先生。きっとママ、あの男のひとと一緒にいるんだ。ぼくがいると邪魔だから……」
「お母さんにもなんらかの事情があるはずよ。もし、灯夜くんを仲間はずれにするようなら理絵先生がお母さんをちゃんと叱ってあげますからね」
「ほんとう?」
「ええ」
灯夜を宥めながら、理絵は思案する。
淑乃は三十二歳の若いシングルマザーだ。男性と関係を持つこと事態は悪いことではないが……いや、ほんとうにただの残業なのかもしれないけれど。
灯夜が言っていることがほんとうなら、もしかしたら彼に新しい父親ができるのかもしれない。けれど、彼にはすでにパパと呼べる存在がいたはずでは……?
そのことを理絵が思い出した瞬間、インターフォンが鳴った。
誰だろうと首を傾げながら扉を開ければ、そこには。
「トーヤくんいますか? お母さんの携帯と連絡つかなくて……」
「か、海堂さん?」
「暁おにーちゃん!」
理絵の驚きの声と、灯夜の声が学童クラブ内に響く。ときどき淑乃と一緒に灯夜を迎えに来る彼がひとりで現れたことに、理絵はごくりと息を飲む。
「よしのさんがいないんです! 位置情報は診療所で止まったままだから、残業しているのかなと迎えに行ったらそこはすでにもぬけの殻で。マンションにも誰もいないし、おっちゃんも朔兄も連絡つかない……だけどトーヤが学童にいるってことは」
「ちょ、ちょっと待ってください。香宮さんでしたら本日残業になるから九時まで延長するって連絡が」
「――やられた!」
「海堂さん?」
沓庭で知らない人間はいない海堂一族の御曹司のひとりが取り乱している。それより位置情報って? 彼は淑乃をストーキングしていたのか?
ゾクリとする理絵を無視して、ギラギラした瞳の暁は灯夜へにじり寄る。
「トーヤ。ママはきっと朔兄……俺のお兄さんのところだ。春休みに逢っただろう?」
「ん」
「俺と先におうちに帰ってママを驚かせてやろう。もう夜遅いからトーヤはねんねかもしれないけど」
「しない」
「それは俺と一緒に帰るのがイヤなのかな? ――三澤さん、よしのさんが来たら海堂が連れて帰ったって伝えておいて」
「困ります海堂さん! 保護者ではない方のお迎えは事前に連絡がないと」
「トーヤくんのためだと思って、ここは譲ってくれませんか? 俺は将来彼の父親になる男ですよ」
「ちがう」
暁の強引な態度を冷ややかに拒絶する灯夜を見て、理絵は目をまるくする。子どもは冷静にこの場を分析している。そしてどう動けばいいかも弁えている。この寡黙な少年は、おにーちゃんが誘拐犯になる可能性も理解しているのだ。将来父親になると豪語している彼が自分の母を女性として求めていることを、そして母親が彼をそのように見ていないことを知っているから。
「ぼく、ママを待つよ。暁おにーちゃん、パパじゃないし」
「……トーヤ」
「ここでのルールに従わないと。だってもうすぐママ、来るんでしょ?」
賢い少年の鈴の音のような軽やかな声に、理絵が頷けば、それを見て観念したのか暁がため息をつく。
「ああ……そうだな」
七歳の子どもに諭されて、くたびれたスーツ姿の青年がうなだれている。さきほどまで興奮していたのが嘘みたいにしょぼくれてしまった暁を見て、理絵は呟く。
「あの、お茶を入れますので……灯夜くんと一緒にお母さんの帰りを待ちましょう?」
すべてを理解することは難しいが、理絵はひとまずこの状況を落ち着かせようと暁を留まらせる。
なんだかとても厄介なことになった気がするが、しょせん自分は無関係な第三者だ。淑乃が誰を灯夜の父親にしようがしまいが首を突っ込むことはできない。
ただ。
できれば灯夜が幸せになれる選択をしてくれればいいと、漠然と思うのだった。
ふだんから夜遅くまで働いている親を持つ子どもたちは嬉しそうに食べているが、慣れていない七歳の灯夜は、不安そうな表情をしている。
学童指導員の三澤理絵は灯夜の箸を持つ手が動いていないのを見て、苦笑を浮かべる。遅くても七時半に迎えに来る母が九時まで仕事なのだ。ふだんなら夕飯前に帰れる彼は、自分がこの場にいることに戸惑っているみたいだった。
「珍しいわね、お母さんが残業だなんて」
「……ん」
真っ黒な艶のある髪と黒曜石のような瞳を持つ灯夜は、はたから見ると心理カウンセラーの母、淑乃によく似ているが、お喋りな母と違い、男の子だからか必要最低限のことしかはなさない。生まれた頃から母ひとり子ひとりで過ごしてきたこともあり、人見知りが激しいだけだと言っていたが、いつもと違う状況になると更に寡黙になるらしい。
それでも理絵に声をかけられたからか、もくもくと口を動かしはじめる。食欲はあるようで、白いごはんをぺろりと食べたかと思えば「おかわり、したいです」と要求する。不器用な彼の仕草を見て、理絵は笑って応える。
「いいわよ。たくさん食べて、お母さんが帰ってくるの待ってましょうね」
「……ママ、帰ってくる?」
「帰ってくるわよ。どうしたの?」
急遽、片付けないといけない仕事が入ったため延長をお願いしたいと理絵の元に電話連絡が届いたのは夜七時頃だ。彼女は素早く手続きを行って、九時までには迎えに行きますと申し訳なさそうに電話を切っている。民間学童ではよくあることだが、子どもからすればとつぜんの残業は不安で仕方ないだろう、なんせ灯夜はまだ二年生になったばかり。
「あのね、ぼくのママ、春休みにね」
デザートの杏仁豆腐をちびちび食べながら、灯夜はぼそぼそと口をひらく。
それは、春休みに自分を職場のひとに預けて知らない男のひとと朝まで帰ってこなかったという、子どもにトラウマを与えるには充分な出来事。理絵はあのお母さんが? と信じられないと顔を強張らせるが、灯夜はうん、と首を縦にぶんぶん振っている。
「理絵先生。きっとママ、あの男のひとと一緒にいるんだ。ぼくがいると邪魔だから……」
「お母さんにもなんらかの事情があるはずよ。もし、灯夜くんを仲間はずれにするようなら理絵先生がお母さんをちゃんと叱ってあげますからね」
「ほんとう?」
「ええ」
灯夜を宥めながら、理絵は思案する。
淑乃は三十二歳の若いシングルマザーだ。男性と関係を持つこと事態は悪いことではないが……いや、ほんとうにただの残業なのかもしれないけれど。
灯夜が言っていることがほんとうなら、もしかしたら彼に新しい父親ができるのかもしれない。けれど、彼にはすでにパパと呼べる存在がいたはずでは……?
そのことを理絵が思い出した瞬間、インターフォンが鳴った。
誰だろうと首を傾げながら扉を開ければ、そこには。
「トーヤくんいますか? お母さんの携帯と連絡つかなくて……」
「か、海堂さん?」
「暁おにーちゃん!」
理絵の驚きの声と、灯夜の声が学童クラブ内に響く。ときどき淑乃と一緒に灯夜を迎えに来る彼がひとりで現れたことに、理絵はごくりと息を飲む。
「よしのさんがいないんです! 位置情報は診療所で止まったままだから、残業しているのかなと迎えに行ったらそこはすでにもぬけの殻で。マンションにも誰もいないし、おっちゃんも朔兄も連絡つかない……だけどトーヤが学童にいるってことは」
「ちょ、ちょっと待ってください。香宮さんでしたら本日残業になるから九時まで延長するって連絡が」
「――やられた!」
「海堂さん?」
沓庭で知らない人間はいない海堂一族の御曹司のひとりが取り乱している。それより位置情報って? 彼は淑乃をストーキングしていたのか?
ゾクリとする理絵を無視して、ギラギラした瞳の暁は灯夜へにじり寄る。
「トーヤ。ママはきっと朔兄……俺のお兄さんのところだ。春休みに逢っただろう?」
「ん」
「俺と先におうちに帰ってママを驚かせてやろう。もう夜遅いからトーヤはねんねかもしれないけど」
「しない」
「それは俺と一緒に帰るのがイヤなのかな? ――三澤さん、よしのさんが来たら海堂が連れて帰ったって伝えておいて」
「困ります海堂さん! 保護者ではない方のお迎えは事前に連絡がないと」
「トーヤくんのためだと思って、ここは譲ってくれませんか? 俺は将来彼の父親になる男ですよ」
「ちがう」
暁の強引な態度を冷ややかに拒絶する灯夜を見て、理絵は目をまるくする。子どもは冷静にこの場を分析している。そしてどう動けばいいかも弁えている。この寡黙な少年は、おにーちゃんが誘拐犯になる可能性も理解しているのだ。将来父親になると豪語している彼が自分の母を女性として求めていることを、そして母親が彼をそのように見ていないことを知っているから。
「ぼく、ママを待つよ。暁おにーちゃん、パパじゃないし」
「……トーヤ」
「ここでのルールに従わないと。だってもうすぐママ、来るんでしょ?」
賢い少年の鈴の音のような軽やかな声に、理絵が頷けば、それを見て観念したのか暁がため息をつく。
「ああ……そうだな」
七歳の子どもに諭されて、くたびれたスーツ姿の青年がうなだれている。さきほどまで興奮していたのが嘘みたいにしょぼくれてしまった暁を見て、理絵は呟く。
「あの、お茶を入れますので……灯夜くんと一緒にお母さんの帰りを待ちましょう?」
すべてを理解することは難しいが、理絵はひとまずこの状況を落ち着かせようと暁を留まらせる。
なんだかとても厄介なことになった気がするが、しょせん自分は無関係な第三者だ。淑乃が誰を灯夜の父親にしようがしまいが首を突っ込むことはできない。
ただ。
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