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年下御曹司は白衣の花嫁と極夜の息子を今度こそ! 手放さない

ささゆき細雪

Chapter,2_03. 月の裏側の邂逅

 海堂朔、という名前を知ったのは大学二年の冬、淑乃が交通事故で母親を亡くして一年が経過したときのことだ。
 海堂一族に泥を塗ったことで地に堕ちた香宮一族だったが、母は最期までその名に拘っていた。生まれてきた娘に『淑乃』という名前をつけたのも、そもそもは『香宮の娘に相応しい淑女となるように』という母の一存で決められたのだとか。母親は娘に厳しかった。むしろ、自殺した祖父の妻である祖母の方が、淑乃にはやさしかった。香宮の家へ嫁入りし、母を産んだ祖母は、孫娘までこの旧い家に縛る必要はないと何度も母を諭してくれたが、淑乃が高校生になる前に病気で亡くなっている。

 祖母が細々と貯めていてくれた遺産のほとんどは浪費癖の治らなかった母に食い尽くされたが、このお金で大学入学までの諸費用が賄えたのも事実だ。
 母の反対を押し切り、進学とともに一人暮らしをはじめてからは家のお金に頼っていない。だが、母が死んだことで、皮肉なことにひとりで生活するには有り余る金が淑乃に入ってきた。自分にこんな金は必要ない、けれど、老後のためにしまっておくのも忍びない。なるべく早く使い切りたいと考えた淑乃は、それなら大学院まで行って自分の学びたい分野を極めようと決意した。
 そんなふうに進路を選んだ冬、母の命日に墓前へ報告を兼ねて花を供えに行った際に、あの男がいたのだ。濃紺の上品なスーツを着込んだ、場違いな紳士が。亡き母を彷彿させる深紅のガーベラと、上品な焦げ茶色の秋桜チョコレートコスモスの花束を手に持って。

「……君が、香宮のさいごのひとりか。父親によく似てるな」
「どちらさまですか……?」
「名乗ったらきっと、怒られるような人間だよ」
「――海堂の」
「いかにも。君の一族を断罪したのは俺の親父だ」
「なぜ、母の墓前に?」
「彼女に罪はない。悪いのは彼女を誑かしながら姉さんを傷つけた君の父親だ……だが、親父は香宮一族を潰した。生まれてまもない君は知らないだろうが……」

 当時の自分は子どもで、彼らを止めることが出来なかったのだと淋しそうに笑う。
 淑乃よりひとまわりは年齢が上だろうが、彼はまだ三十代といっても通用する容貌をしている。海堂一族に、こんな紳士がいたなんて。それも、とっくに捨て置かれた香宮の人間を気にかけてくれるような、お節介な人間が……

「いまさら蒸し返すようなはなしでもないな」
「いえ……母に花を、ありがとうございます」
「なに。こんなのたいした償いにもならないだろう。東京から逃げた君たちがまさか沓庭まで北上しているとは思わなかったよ……K&Dの本拠地はここだって知っていながら、隠れていたというのならとんだ策士だな」
「この土地を選んだのは、祖母です……でも、海堂一族の本拠地だなんて、知らなかった」
「本拠地とはいえ、いまはもう形だけだからね。本社はとっくに東京に移っているし」
「そうなのですか」
「それでも、本家の人間はこの土地を気に入っていて、子どもたちを沓庭の理工学部へ通わせている。俺も卒業生だ」

 その言葉に、自分もだと淑乃が応えれば、彼は瞳を細めて笑う。

「知ってるよ。沓庭大学社会学部臨床心理専攻の香宮淑乃くん。名簿を見たときにピンときたんだ。この子がさいごのひとりだ、って」
「さいごのひとり?」

 ふふ、と悪びれることなく男はつぶやく。

「なんでもないよ。ただ、お節介ついでにもうひとつだけ」
「……なんですかもう」

 香宮のさいごのひとり、という不気味な単語を放っておきながら、彼はあっさり話題を変える。

「実は来年四月に沓庭の理工に甥が入ることが決まってね……海堂朔っていうんだけど」
「サク?」
「新月の夜に生まれたから、朔。ふたつ下の弟は日の出とともに生まれたから暁っていう」
「サクと、アカツキ……」
「いまの海堂グループを率いているのは彼らの父だ。その、朔なんだが、少々潔癖でね。女性に慣れていないところがあって、俺としては心配なんだ」
「はあ」
「そこで、君が話し相手になってくれればいいなあって思ったんだ」
「それ、あたしにメリットあります?」
「海堂の御曹司と親しくしておくぶんには、悪いことはないと思う。もし俺たちに復讐したいのなら、彼を利用しても構わない」

 死んだ母親の無念を払うには絶好のシチュエーションだよ、とからから笑う男に、淑乃は胡散臭そうな視線を向ける。

「ひどいひとですね」
「一族内の後継者争いなんてどこもこんなもんさ」
「涼しい顔で言われましても」
「まぁ、海堂の人間とかかわりたくないって選択肢も残っているんだし、そこは自分で決めるといいよ」
「……心にとどめておきます」

 ――新月に生まれたサクくん、か。

 淑乃の言葉をきいて安心したのか、彼はそのまま去っていく。
 後姿を見つめながら、淑乃は問う。

「で。あなたは……?」
「――俺はそんな月の裏側にいるしがない陽光だ。いまはまだ、ね」

 彼が、K&Dの現COOである海堂陽二郎だと淑乃が知るのは、もうすこしあとのはなし。


   * * *


 時計の針は午後五時四十分を指していた。照明を落とされた正面入口には『本日の診察は終了しました』という立て札。自動ドアには『カウンセリングを予約された方はインターフォンでお知らせください』と書かれた白い紙が申し訳程度に貼られている。
 受付で外来分の会計処理をしている井森の横で、淑乃は落ち着かない気持ちになっていた。
 そんな淑乃を面白そうに見ていた井森が、ふいに訊ねる。

「彼……よしのちゃんの複雑な事情を知らないんでしょ?」
「まぁ、ね」

 淑乃が朔の弟の暁に七年来見守られていることを、同じ職場にいる井森も篠塚も理解している。監視、という名目の方が正しいのだが、朔の子どもを本人に黙ったまま育てていた淑乃の所在を弟の暁に知られて以来、彼が親身になっている姿は職場内では公認の事実だ。
 淑乃がシングルでいる理由を父親のDVから逃げ出したからだと勘違いしている篠塚は暁がふたりの傍にいることも快く思っていないようだが、彼が兄に代わってふたりを見守っていることや灯夜が彼になついていることから渋々認めているふしがある。

「篠塚先生には新規のカウンセリング希望予約が入ったことだけ伝えてるよ」
「ん……彼のことは、あたしから伝えるから」

 沓庭ガーデンクリニックの常勤医師である篠塚は、三十代でありながら大学病院と行き来することが多い院長に代わりこの診療所を器用に切り盛りしている。病院から淑乃を引き抜いたのも彼だというし、母子寮から離れる際に診療所からほど近い場所にある高級マンションの一室を破格の値段で貸してくれたのも彼だったりする。
 沓庭の大地主といえば篠塚、とささやかれるほど地元では有名な一族の分家の三男だという彼もまた、医師でありながら高級マンションのオーナーとして多額の収入を手にしている贅沢な身の上だ。そして沓庭で事業をあげ全国的企業へ成長したK&Dの海堂一族とは異なり、地元に根付いた形でいまもなお畏れられている。

 そんな篠塚一族の人間が淑乃と灯夜の生活に関わっていることを暁は警戒している。なんせ灯夜は彼を『パパ』だと思っているのだ。ほんとうの父親が別に存在していることを知りながら、灯夜は篠塚に父親的役割を押し付けている。それが、暁を不安にさせているのだろう。彼もまた、灯夜の『パパ』になりたいと淑乃に訴えたのだから。
 実際にはお互いに淑乃をめぐって牽制しあっているのだが、本人は灯夜と生活を送るので手一杯で、男たちのその先の願いにはふれずにいる。
 ふたりが灯夜の父親的役割をそれぞれ担っていることを許していても、淑乃がどちらかの手を取ってほんものの家族になることを拒んでいるからだ。
 なぜなら淑乃にとって、家族になりたいと希うのは――……

「月の裏側で彼らが頑張っていても、重なればその姿は見えないの……」
「よしのちゃん?」
「ううん……篠塚先生の前にまずは、トーヤを説得させるのが第一関門だな、って」

 淑乃はときどき唐突に不思議なことを口にする。月の裏側とか、勿忘草の花言葉とか。リアリストの彼女が呟くとまるで魔法の詠唱みたいだなと場違いなことを思う井森である。

「よしのちゃんは、すごいね」
「なにが? あたしなんかより大変なひとは世の中にごまんといるのに」

 淑乃はきょとんとして井森を見つめる。外来に訪れる患者たちと何年も向き合っている淑乃からすると、自分が抱えている問題などまだまだ可愛いものだと理解している。金銭的に困ることがないだけでも精神的には楽になるものだし、職場や周りには淑乃と灯夜を見守ってくれる協力者もいる。篠塚や暁がちょっかいを出してくるから孤独を感じる暇もない。
 それでも物足りないと思うようになってしまったのはなぜだろう。満たされたいと思うようになってしまったのは。

 ――きっと。ぜんぶ、サクくんのせい。

 淑乃が心のなかでため息をつくのと同時に、診療所のインターフォンが来客を知らせる。
 自動ドアの向こうには、ブルーグレーのスーツを来た青年が……この一ヶ月、淑乃が逢いたくて仕方がなかった待ち人の姿が映っていた。

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