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雨色を染めた窓から

流手

雨色を染めた窓から

 ──好きです。

 始まりはろくに覚えていないが、終わりは違う。確かにその一言がきっかけだった。……否、恋愛でいうのなら、始まってすらいないわけで、終わりというのも違うのかもしれない。ともかく、その一言が私から溢れた時点で彼の態度は変わってしまったのは疑いようがない事実だった。あろうことか、彼はバスとは違う方向へと走り去ったのだ。

 ◇

 バスから降り、学校へと向かう道中、美傘鈴音は一人首を傾けた。一体、何を間違えたのだろうか。
 確かに無意識に口から出た言葉であったが、それがまずかったとは自分ではまだ認めたくない。むしろ、喜んでいてもおかしくはないシチュエーションなのだ。……それは流石に言い過ぎか。まだそこまで図々しくはない……と思う。

「おはよ! 鈴音!」
「んー……おはよ。華帆」

 堂々巡りになりそうなところでクラスメイトが現れ、何とか気持ちに区切りを付ける。こんなタイミングで現れるのだ、いっそのこと相談してみるというのも悪くないのかもしれない。
 ちなみに、彼女は日並華帆。鈴音の友達である。

「んー……じゃないよ! どうした? 悩み事?」

 華帆とは入学式の時から仲良くしており、学年と共に付き合いももう二年目になっている。鈴音にとっては気兼ねなく話が出来る数少ない友人だった。

「んー……ちょっとね」
「んー……じゃないよー! あんたって子は全くー!」

 煮え切らない態度の鈴音を華帆は豪快に笑い飛ばす。

「ねぇ、華帆。今日は傘って“さす”よね?」
「んー……これだけ降ってたら、“さす”ねぇ」

 だよねぇ、と二人で頷いていると、丁度予鈴が聞こえてくる。考え事をしていたので、普段より少しばかり遅れていたらしい。

「走ろっか」
「濡れるのは嫌だねぇ」

 二人は揃って走り始める。並んでいると互いの傘から滴る雨に濡れてしまうので、少し距離を空けての前後の形だ。そう、今は雨が降っているのである。

 ◇
 
 時刻は既に八時半にもなろうかとしていた。予鈴、つまりはその五分前から急いで来たのだから当然そのくらいにはなってしまう。
 少しばかり濡れた肌をハンカチで拭いながら二人は教室に滑り込んだ。

 どうやら自分達が最後だったようで、教室の喧騒は既にピークを迎えている。いそいそと鞄を仕舞うと、それに混じるように二人は早速雑談を始めた。

「ねぇ、華帆。告白ってしたことある?」
「んー……あるよー」

 どうやら、今朝方から“んー……”にハマったらしい。華帆とは偶然にもクラスが同じであり、席も前後の位置にある。ちなみに、彼女が前で鈴音が後ろだ。

「ごめん、辛いこと聞いたね」
「……いいってことよ」

 華帆に彼氏がいるという話は聞いたことがない。つまりは……そういうことなのだろう。聞いておいてなんなのだが、この質問にどういった意図があったのか。
 鈴音は少し申し訳なく思い、華帆に手を合わせる。

「色々あるよね」
「そりゃそうさ。私だって悩みもちょこちょこあるんですよ」
「んー……悩みなんて無さそうに見えるんですけどね」
「くぅ、そう見えてたかー」

 わざとらしく拳を握り締めると、今度は鈴音に詰め寄り目を細めて笑い掛ける。

「それでそれで、鈴音ちゃんは誰に告白するのかしら?」

 先の仕返しだとばかりに、華帆がわざとらしく小さな声で訊ねてくる。一応、周囲には聞かれないように配慮したのかもしれない。

「もうしたよ」

 鈴音が溜め息を吐くように答えると、流石の華帆も驚いて目を丸くしていた。そして、徐々に両手を高く上げ、万歳の姿勢で硬直する。
 その奇抜なポーズに、一瞬付近のクラスメイト達の視線が集まるが、次第に、いつものことかと波のように引いていった。

「うっ……そー?」

 やや遅れ気味かつオーバーリアクションな態度には少々物言いたい気持ちも湧いてきたが、ぐっと息をのみ見逃すことにする。騒ぎになるのは避けたいからだ。
 唯一小声だったことについては、再び手を合わせておく。

「ごめん、また後で」

 鈴音は扉に映る影に気付き、正面を指差す。そのまま華帆に向くように促すと、そこで一旦話を切り上げる。雲行きが怪しくなっていたので、一呼吸置くには丁度良かった。
 最後に教室を見渡すと、一つの空席が目に留まる。

 ──今日は休みなのかもしれない。

 その直後、教室の前の扉が開く音がした。

 ◇
 
 ──彼は何故、傘をさしていなかったのだろうか。

 考えているうちにも授業のほうはどんどん進み、結果的に時間のほうはあっという間に過ぎていった。トラブルといえば、何度か当てられた際に答えることが出来なかったことくらいである。
 これに関しては、決して授業を上の空で受けていたわけではなく、単に難問に当たってしまった不運が原因だと思っている。

 そして、四限目にもなると遅刻していた稲妻理貴も登校し、先程いつも通りに食堂へと駆けていく姿が目に入った。
 遅刻はしても、やはりお腹のほうは減るらしい。

「ふぁー、お弁当食べよっ」

 大きな伸びをしながら、前からくるりと華帆が振り返る。その手には小さな弁当袋が掴まれており、伸びに合わせて何度か揺れた。

「んー……そうだね」

 鈴音は揺れる弁当袋を目で追いながら、空返事をする。もうお昼か。

「んー……って何よー、また考え事? ふっふーん」

 興味があるのか、ないのか、はたまたまずは腹ごしらえだということなのか。華帆は既に鼻歌交じりにお弁当を広げている。

「あ、そのおにぎり可愛いね」
「でしょ? 型抜きを見つけちゃって! つい童心に帰っちまったぜ」

 得意気に話す華帆の箸には、海苔で目と鼻、そして口が施されたクマ型のおにぎりが掴まれている。これがまた持ち主と同じくらいに得意気な顔をしているのが愛らしい。

「懐かしいね、小さな頃に見たことあるかも」

 かつて、鈴音の家にも似たようなものがあったはずだ。

「それで、誰に告ったって?」
「稲妻君」

 唐突に話が朝の件へと戻る。もっとも、華帆に関して隠すつもりもなかったので、さらっと答えて反応を待ってみる。

「へぇ、驚いた。意外……ではないけど、そうだったかー」
「実は中学も同じだったんだ。あまり、話したことはないんだけどね」

 確かに二人とも噂話は好きであるが、自身の話をするのは珍しいかもしれない。また、華帆は知り得ないが、鈴音と稲妻は同中出身でありバス通学同士、毎日挨拶くらいはしている仲ではある。それが親しいのかは別になるが。

「そういえば彼、今日は遅刻してたね。……あれ? でも鈴音が告白したのって?」
「うん、今朝だよ」

 状況を整理しようと、華帆の表情が忙しく変化する。

「え、嘘! それで遅刻したってこと?」
「ううん、遅刻したのは……多分違うと思う。だって彼、びしょ濡れだったから」

 そうなのだ。流石に鈴音も、自分の告白により彼の調子がおかしくなったとは思いたくない。

「びしょ濡れ? 雨は昨晩から降ってたよ? えー、傘を忘れるわけないと思うんですけど」
「……だよねぇ」
 
 梅雨の季節がやってきたのか、ここしばらく気候は乱れており、頻繁に雨が降るようになっている。そんな中、傘を持たずに外出するのはそれだけで少しの冒険だといえるだろう。ましてや、既に雨が降っている中でのそれは、何か訳があるのではないだろうか。

「ははーん、それで、“美傘”の名が許さなかったと? 傘マニアめ」
「いやいや……誰でもクラスメイトが濡れてたら声掛けるでしょ? ほら、私達はバス通学してるから」

 一般的には電車通学をするものが多く、近場のものは自転車で通学している。鈴音や稲妻のようにバス通学をしているものはごく少数なのだ。
 というのも、この辺りを走る私鉄の線が鈴音達の地元である“七浜ヶ丘”との連絡が悪いために、バスで二十分のところを電車では約四十分ほどかけて通わなければならないのである。直線ではなく、回り込まなければならないというわけだ。

「声は掛けるけど、告白はしねぇ」

 冷静なツッコミに、思わず押し黙る。もっともだ。

「道理で駅で見掛けないはずだよ」
「ははっ……確かにバス組は少数だから」

 特に稲妻はよく騒いでいるわけでもなく、どちらかといえば大人しい。そんな彼の通学の事情を華帆が知らないのも無理はなかった。

「前から気にはなっていたんだけど……なんだか今朝は普段と違う雰囲気がして……」
「それで、つい言っちゃったと」

 鈴音が黙って頷くと、華帆も頷いた。

「なら、仕方ないね」

 そう、水を纏うかのような彼の姿が、鈴音にはとても楽しそうに見えたのだ。

 ──あの感情は、衝動……だったのかな。

 窓の外を眺めると、水溜まりには沢山の波紋が広がっている。雨はまだ止まぬらしい。

 ◇

 華帆と別れバス停に向かうと、その前方に見慣れた姿を見つけた。今度は……当然ながら傘をさしている。

「あれ? 濡れてないの?」
「いや……そうならない為に傘を持っているんだけど」

 少し呆れた様子で稲妻が鈴音へ振り返った。それにしても、彼はあの告白をなかったことにしようとしているのかもしれない。

 ──よし、確かめてみよう。

「隣いい?」
「いいよ」

 バス停には既にバスが到着しており、二人はそのまま足を速める。鈴音にとってはバス停で留まらずに済んだのは有難かった。内容が内容だけに、人前ではなかなか話しづらいからだ。

 中を覗いてみたところ、幸いにも人はあまりおらず、車内は空いているようだった。そのまま傘をたたみ車内に乗り込むと、二人の足は自然と一番後ろの座席へと向かっていく。
 今日に限って床を踏む感触が少し足に残るのには、何か特別な理由があるのだろうか。雨のせいだろうか。

「ねぇ、今朝のこと覚えてる?」

 座席に着くと、鈴音は早々に話を切り出すことに決めた。こういうのは時間と共にややこしくなるのは目に見えているのだ。いや、決まっている。

「覚えてるよ」

 どうもバツが悪いようで、稲妻はぶっきらぼう視線を少し逸らした。唇が少し尖っている。

 鈴音が奥、つまり窓際に座り、その隣に稲妻がいる。目を逸らした彼の視線が窓の外へと逃げていくのを感じながら鈴音は少し微笑んだ。というのも、話したことは単にクラスメイトの域を出ないが、意識をしていた分、彼のことはそれ以上に知っているからだ。

 ──彼はきっと、照れている。

 稲妻の頬を見て、そう確信した。今度は出来たのだ。

「私、実は前から気になっていたの。それで、今朝楽しそうな稲妻君を見たら、つい……」

 畳み掛けるかのように言葉を走らせ、そして、詰まらせてしまう。この額を走る雫は雨の名残だろうか、それとも……。
 それをハンカチで拭いながら、鈴音は自身の体温が上がっていることを自覚する。

 それからしばらく、二人は黙った。いつしか雨の音は途切れ、その代わりとなるものが絶えず胸を打っている。返事はまだ必要なかった。

 ◇

 最寄りのバス停で鈴音が降りると、後ろから稲妻も降りてくる。早々に傘を開く気配を感じ、鈴音は微かに唇を尖らせた。

 ──この場所だった。

 散々掻き乱した後だ、最後にもう一つくらい良いだろう。

「雨、濡れてみるのも気持ち良いね」

 鈴音は傘もささずに飛び出した。

「美傘!?」

 驚いた声が後から聞こえてくる。振り返ると、ようやく、彼の顔が普段通りに戻ったような気がした。そして、少しだけ……ほんの少しだけ微笑んでいたようにも見えた。

 ──返事は聞けなかったけど、今日は風邪をひく前にもう帰ろう。次の雨の日に聞いてみよう、かな!

 そんな事を考えているうちに、ふと雨が掛かっていないことに気が付いた。

「え?」

 不思議に思い、空を見ると……見慣れない傘が頭上を覆っている。真っ黒な大きな傘だ。

「朝のは妹の傘が折れたんだよ。別に濡れたかったわけじゃない」
「妹……? あ、中等部の香織ちゃん」

 なるほど。妹をバス停まで送り、自分は一度家に帰ったということだろう。……遅刻の理由がようやくわかった。

「そういうこと。別に変なこと言われてビビって遅刻したわけじゃないぞ」

 稲妻は笑いながら歩き始めた。

 ──そうなのだ、私は知っている。彼はこんな顔をして笑うのだ。

 しかし、たった数歩で一度立ち止まる。

「水溜まり、か」

 そして、何か考える素振りを見せると、手で合図を送り鈴音に離れるように伝えると、そこへ向かって大きく跳んだ。

 ──バシャッ!

 水溜まりに飛び込んだのだ。

「どうせ濡れるなら、こういうほうが楽しくて好きだ」
「うわぁ」

 今度は鈴音が呆れる番だった。しかし、意外にも口元が緩んでくる。

「私は雨に打たれるほうが好き、かな」

 そう言うと、鈴音も跳んだ。

 水溜まりに映った稲妻の顔はひどく驚いており、その驚く彼の顔は、どこか子供の様でとても可笑しかった。

 ──ただの衝動ではなかった。私はちゃんと彼を好きになったのだ。

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